「病んで脆い不毛な社会」impoverished society。
これは国際障害者年行動計画の原則の中の63節にある言葉です。それは次の文脈に出てきます。すなわち、
「メンバーのいくらかの人々を閉め出すような社会は、病んで脆い不毛な社会なのである」
障害者差別をしてはならないことを、直接的には表現していると思いますが、その後私は障害者福祉、心理臨床と仕事をしてまいりまして、この原則は、当初考えた抽象的なものではなくて、非常に具体的な原則だったことを実感しています。それを備忘録的に、ブログに記しておこうと思います。
私は臨床と臨床研究を自閉症児の自己形成支援から始めています。自閉症児は、その感覚特性、認知特性などから、母子関係がやり取りのあるものにすることが非常に困難な場合が少なくなく、したがって、対人関係とコミュニケーションにハンディキャップを持ちやすくなりがちです。ですから、彼らの感覚特性、認知特性を踏まえて、母子関係や対人関係を支援することが非常に大事なサービスになります。私は、この部分をサービスするために、臨床と臨床研究を、まぁ20年この方、一心不乱にやってきました。
すると最初は自閉症児支援とためにしてきた臨床と臨床研究が、自閉症児ではない子どもにも応用できることに気付くようになりました。自閉症児支援の方法論に普遍性があったと最初は単純に考えていました。しかし、その応用が効く子どもが、驚くほどたくさんいることが分かってきました。それで気付いたのは、社会の方が痛んできた、ということです。「失われた20年」のためでしょう。一部を締め出していた社会が日本には厳然としてありましたでしょう。「村」の共同体はとうに昔になくなっているのに、「村八分」が今も生きてますからね。排除されているが、次第にその数を増やしてってんですね。
いまや、社会的に弱い立場の人が、平気で切り捨てられていますでしょ。それも、時の権力者は「皆さんのために、しっかりやってまいりたいと思います」「経済を豊かにすれば、いずれは皆さんのところにも…」などと寝ぼけたことを言ってますでしょ。あの大ウソつきのイカサマ野郎(お下品な表現であることをどうか御寛恕ください)のおかげです。
ですから、私どもは、その大ウソとイカサマに騙くらかされないように、正気でいたいものですね。
大ウソつきのイカサマ野郎(お下品には鷹揚に)