エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

人を大事にすること = やりとりすること 改訂版

2015-01-19 13:25:45 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 人を大事にすることの意味を学び続けることが、とっても大事。

 p5の4行目から。

 

 

 

 

 

 とるべき最初の段階は、人を大事にすることは、「一つの技術」であることを、ハッキリ意識することですね。それはちょうど生きることが1つの技術であることと何ら変わりません。もし人を大事にするやり方を学びたければ、ちょうど、他の技術、すなわち、音楽や絵画、大工、医療技術や工学上の技術を学びたいと思った時に通らなければならない道を、通らなくてはなりません。

 

 

 

 

 

 人を大事にすることは、非常に具体的、日常的な関わり方が大事です。人を大事にすることは、人とやり取りすることなんですね。

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ルターのイメージ

2015-01-19 11:53:48 | アイデンティティの根源

 

 「新たな洞察の光で見た時の黄金律」が終了しまして、次は? と考えました。『青年ルター』にしようと思い立ち、じゃぁ、また訳し終えた後に戻ろうかと思いましたが、それじゃぁね、という感じがしました。ここは6章の「『本気』の意味」が一番面白いからです。そこで今日から、その6章2節~訳そうと思います。カテゴリーは「アイデンティティの根源」のままです。しかし、「新たな洞察の光で見た時の黄金律」同様、やり取りが永遠、という話になるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 この時点になると、聖トマスの同僚の轍を踏むことになりやすいんですね。無口な(この場合、ドイツ語も話さない)牡牛が口には出さないことにも、感心しすぎです。この2~3年の内に、このような男が偉大な改革者になるなんて信じられない、という人もいました。あるいは、荒涼としたアルプスを超えて戻ってきた時には、ルターは腹が煮えくり返るほど怒っていたのではないのか、といぶかるものもあったでしょう。。しかしながら、特にこの旅におけるルターの態度や、後になってこの旅について述べたことは、ルターは中世的に人物だとするイメージを強めてきました。そのイメージは、ルターがルネッサンスとは全く無縁で、ルネッサンスには盲目に見える、ということです。

 

 

 

 この旅とは、ルターがローマに旅したことを指しています。ルネサンス全盛のローマを旅しても、ルターはそのことを文書として残していないらしい。そのことがここでスキップした第1節に出てきます。それがルターは、非常に中性的な人物、新しいものには懐疑的な保守的な人物だという印象を盛られることが多かった、という訳ですね。

 

 

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この世のあの世 改訂版

2015-01-19 07:02:47 | エリクソンの発達臨床心理

  

 

 マザーテレサ。1979年ノーベル平和賞受賞。コルカタ(カルカッタ)の聖女。いろんな呼び名があります。

 大学生の頃かしらね。そのマザーテレサが来日したときだったでしょうか? テレビでその話を聴いたのか、本で読んだのか、その両方だったか、今は定かではないのですが、マザーテレサの言葉に不思議を感じたことがあります。それは「貧しい人こそ、イエスキリストなのです」という言葉でした。「どういうこと?」、「どういう意味?」。その意味するところが分からずに、不思議な感じがしました。「イエスキリストの肖像画と、貧しい人たちの姿は似ているようで、似ていないな…」などなど。今でも本当のことが分かっている訳じゃない。

 ボンヘッファー。イエスキリストと「この世に存在していること」を、徹底的に、生きる場で考え抜いた人ですね。しかし、それだけじゃぁない。考えたことを行動の中で確かめ、考えを改めていくと言った、思想と行動のやり取りのある人です。そして、1945年、ヒットラーが死んでも、第三帝国がなくなっても、「生かしちゃ置けない」人物として、処刑された人ですね。宮田光雄先生が紹介してくださるディートリヒ・ボンへッファー。ボンヘッファーが、ゲシュタポに逮捕されて、投獄されていた時に書いた書簡。『ボンへッファー書簡集』という本になっていると言います。その一説に、宮田光雄先生の訳で「手に届く隣人が超越的なものなのだ」とあります。ボンヘッファーは神学者なので、表現が難しい。でも、マザーテレサの先の言葉と意味は同じでしょうね。

 ですから、「この世はあの世」になりますし、「この世が、ありのままで、天国」にもなります。別にLet it goを歌うことじゃぁない。

 よろしくね。

 

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