糞づまりとは、ちょっとお下品でしたでしょうかね。
p176下から13行目から。
かなりしつこいために、抑圧されているし、抑制されているという、マルティンのイメージは、別のイメージで補わなくちゃなりません。そのイメージは、マルティンは自分の感情を押し殺し、しゃべらないようにしている、というもので、後々、自分が本気になったこと、考え抜いたことを、一気にしゃべりだすことになるまで、そうだった、というものです。ルターが考えたことを知るためには、このような「全人格的」な人物は、知的な意味(建前)と本気の意味(本音)を結び付けたい気持ちがあるかどうかで決まりです。私の主たる目的は、ルターが本気になってから、ルターのメッセージ(最初期の説教において)がまさに、ルネッサンス的な態度そのものだったということです。しかし、ルネッサンスは何か大事なことに抗して登場したので、教義のいくつかの要素を短く論じておくことが必要になります。その教義とは、ルターや当時の人にとって、次の時代の価値となる教義であると同時に、ルターの初期の説教で、ルターが繰り返し述べ、元気を取り戻し、あるいは、拒絶した教義だったのでした。
ルターは、抑圧的な人でしたが、本気になった後は、逆に、非常に改革的なでした。そのためには、本音と建前の一致、という、日本人には弱点になりやすいところを、実現しなくちゃなりませんでした。