エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ノモンハンと大川小学校の間 ハンナ・アーレント 最終版

2015-01-10 18:37:50 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ノモンハンと大川小学校の間。

 別に、距離の話じゃぁない。ノモンハン事件は、1939年5月から9月まで続いた、モンゴルと満州国の国境線をめぐる戦争です。関東軍が計画、大規模な戦争に拡大。部隊の76%が戦死するような壊滅的な犠牲が出ても、戦争を続けた結果、2万の犠牲者を日本軍は出した、といいます。しかも、その事実を「極秘」として隠ぺいした戦争でした。

 司馬遼太郎さんが、ノモンハン事件のついて小説にしようとして、長年取材し、大量の資料を神田で買ったことは有名ですね。神田の古本屋から、ノモンハン事件の関する資料が、すっかりなくなっちゃった、といわれるくらいの資料を買ってったと言うんですからね。資料を買っただけじゃぁなくて、当時この愚昧な戦争に関わった人々にインタヴューもしています。

 当時、東京の参謀本部作戦課長、まぁ、参謀の親玉みたいな人ですね、稲田正純さん。陸軍士官学校29期性で、陸軍大学教官、参謀本部作戦課戦争指導班長、参謀課長などを経て、陸軍中将まで上り詰めた職業軍人にしてエリート官僚ですね。こういう人が「日本史上最も陰惨な時代」と司馬遼太郎さんが言う時代を作ったんですね。インタヴューに同行した、中央公論社の山形眞功さんは、その時の様子を次のように述べています。この稲田さんの受け答えは「のらりくらりとしていた」と言います。でも「妖怪みたいな怖さ」もあったと述べています。司馬遼太郎さんは「午後6時くらいから11時くらいまでまでよくしゃべる方でした」、「ノモンハンのことを巧みに外した」語り口で話し、司馬さんが「ノモンハンのことを聞きだすと、なんだか官僚的な答弁が出るだけ」だったと言います。そして、次のように締めくくります。「要するに、官僚だということです。ああこういう人が、(ノモンハン事件以降の陰惨な歴史を)やったのかということであります」。

 要するに、なぜ、あのようなバカな戦争をしでかしたのか、その理由も責任者も明確にしない「お役所仕事」。

 かたや、大川小学校事件。

http://diamond.jp/category/s-okawasyo

70人以上の子どもが殺された事件ですね。日本語では「死んだ」ということが多いでしょうけれども、英語では、70 children were killed. 「殺された」とはっきり言いますね。在校生の68%が無残にも殺されたんですね。なぜ、あのようなバカな事件が起きたのか、その理由も責任者も明確になったのか?

 このブログで何度か記しましたように、教育委員会の対応は、稲田正純さんと同様「のらりくらりとしていた」ですね。また、教育委員会の話は、大川小学校事件の真相と責任者のことを「巧みに外していた」語り口でしたね。また、大川小学校で6年生の娘さんを亡くした大川中学校(?)の佐藤敏郎先生が、石巻市教育委員会に入った先輩教員、戦争指導班じゃなくて、学校指導班の指導主事に対して、公の事件の説明会で詰め寄ったシーン、その先輩は「なんだか官僚的な答弁が出るだけ」でしたね。

 要するに、なぜ、あのようなバカな事件をしでかしたのか、その理由も責任者も明確にしない「お役所仕事」。

 これを政治哲学者のハンナ・アーレントと司馬遼太郎さんの言葉を借りれば、次のようになります。

 自分の組織を超えて共有すべき世界への、労わり、痛みを感じること、優しさを亡くした、考えなし(無思考)で、平気でウソつく極悪非道な、いつもの「お役所仕事」(悪の凡庸さ)。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人に大事にされた~いのに…

2015-01-10 12:23:45 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 人を大事にするのは、司馬遼太郎さんが教えてくれているように、労わり、他者の痛みを感じること、優しさを、訓練を通して身に着けることなのか、それとも、セックスなのか? 

 p1第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 それほど多くないけれども、多くの人々は、人を大事にするとなど大事じゃぁない、と思っています。多くの人は、大事にされることに飢えています。つまり、人々は、数えきれないほどの映画を、ハッピーなものもそうでないものも、見てます。また、人々は、何百もの低俗なラブソングを聴きます。でもね、人を大事にすることについて学ぶべきものなど、そんなとこには、1つもないことには、だーれも気が付かないんですね。

 

 

 

 

 人を大事にすること、映画を見ても、ラブソングを聴いても、ホントのことは分からない、とフロムは言います。私は、半ば賛成、半ば反対です。ごく少数でも、それが分かるものはある、と私考えます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこまでも大事なものとは?

2015-01-10 07:05:29 | アイデンティティの根源

 ガンディーの行動指針は、「人間らしい暮らし」を実現するものらしい。

 p240最後の行から。

 

 

 

 

 

 このような歴史的な事件のおかげで、人間の力強さ、伝統的なインド人の力強さ、それから、当時ガンディー自身が人格を変容させた力に欠くことの出来ない何か大切なものを明らかにしてくれていますでしょ。私にとって、アーメダバードの実験の奇跡とは、敵味方の間にある大きな壁が、たくさんな連帯をぶち壊しにした後の、無秩序な暴力の日々にあって、この実験が永続的に成功し、粘り強かったというだけじゃぁなくて、この出来事を超越したあのスピリットなんですね。

 

 

 

 

 スピリット。どこまでも大事なのは、政治運動や政治制度ではなく、その運動や制度を支え動かす、人の心、スピリットですね。

 丸山眞男教授の真似。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする