エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

自由 :自分を売らない生き方の基本 3訂版

2015-01-04 14:34:20 | エリクソンの発達臨床心理

 

 基本的人権で最も基礎になるものはなんでしょうか?

 ちょっと考えてみてくださいね。何なんでしょうか?

 

 

 

 それは自由。思想・良心の自由、信教の自由、言論の自由、学問の自由、集会の自由、結社の自由、職業選択の自由、居住の自由、苦役からの自由、逮捕拘禁からの自由…。自由でもいろいろある。この中で最も根源的な自由は、良心の自由でしょう。良心が隷属的であったら、言論の自由も、集会の自由も、職業選択の自由も意味を持たないでしょう。

 では、日本の唯一の価値である同調主義と基本的人権の基礎となる自由の関係を今日のブログで少し考えてみましょう。

 結論的に申し上げたいのですが、同調主義と自由は水と油、相いれない、ということです。同調主義は、自由の敵です。

 同調主義は、多数派の中身の善悪、正誤、正邪、淨不浄、に関わらず、多数派に同調することでしょう。自分の意見が、自動的に、多数派の意見と同じになることです。「心理学大実験」ではないけれども、自分よりも前に6人の人が同じ意見を言った後に、自分が別の意見を述べることは、極めて難しい。

 むかし、西村秀夫先生が、人間にとって自由はいつでも可能だ、という趣旨のことを繰り返しおっしゃっていました。西村先生は、両腕を前に出して、「人が右と言っても、自分は左手を上げることができる」と。私は、その西村先生の話を伺った時には、ピンと来なかったのですが、いまは、それが、きわめて実践的な教えだったと考えます。いつでも自分は、自分が正しいと思った方の手を上げていいんだ…。

 サラリーマンをしていると、上司の意向と違う意見を言うことはできない、という人もいます。もちろん、そう思っている人が、そうする自由があるとは思います。しかし、それは間違いだと私は考えます。上司や多数派と違う意見を言う自由がある、と言うのが、私が西村先生から学んだ自由だからです。場合によっては、損することもあるでしょう。実際に「損」をしたことだってありますよ。でもね、それでよかったと思います。ますます私は自由になれたからです。

 

 

 自由。それは自分を売らない人生の基本だと常々思います。

 

 

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自分が得することを、最も大事にする生き方

2015-01-04 09:41:46 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 現代人、当然、今の日本人は、自分の暮らしが危うい暮らしだ、ということを感じている人が実際は多い。それはお金持ちでも、貧乏でも変わりません。貧乏である人ほど、切実に生活の危うさを実感しています。でもね、お金持ちでも変わらない。貧乏でもお金持ちでも、その危うさを、その危うい自分を見ないようにしている点で、対外共通しています。

 p97第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 この点で、このように、生活を神の戒めに従って変えることなしに、擬人化した神に、子どもっぽく依存している点で、私どもは、中世の宗教的文化の人よりも、むしろ、偶像崇拝をしている原始人に近い。もう1つの点では、私どもの宗教的な状況が示すものは、現代西洋資本社会にだけ当てはまる、新しくて、独特の特色をです。私は、この本の中ですでに述べたことに触れることもできます。現代人は自分を消費者に変えてます。すなわち、現代人は、自分の人生を投資として経験すんですね。その投資とは、現代人は、人材市場における自分の立場と状況を勘案しつつ、最大の利益を得ようとするということです。現代人は、自分も、仲間も、自然さえも顧みることはありません。現代人の主たる目的は、自分の技術、自分の知識、自分自身を、すなわち、「自分の人材パッケージ」を、公平で有利な取引を目論んでいる人に、できるだけ高く売ることです。現代人にとっては、人生には、売れるモノ以上の目的はない、公平な取引以上の原則はない、消費するモノ以上の満足はない、となる訳ですね。

 

 

 

 

 現代人は、「なんでも鑑定団」のように、全てをお金で換算してしまいます。逆に言うと、お金に換算できないものは、勘定に入れない、という訳ですね。もうそれだけで十分に病んだ状況でしょう。なぜなら、『星の王子様』にあるように、「肝心なものは、眼には見えない」からですね。現代人は、最も肝心なものは、勘定に入れないのですから、基本が病人ですね。

 その病人となった現代人は、仕事を選ぶときも、結婚相手を選ぶときも、友達を選ぶときも、カネ勘定、となる訳ですね。寂しいだけじゃぁなくて、哀れですよね。

 

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争い合う者が共に、≪いまここ≫から成長すること

2015-01-04 06:20:58 | アイデンティティの根源

 

 ガンディーの課題解決法。

 p238の下から4行目途中から。

 

 

 

 

 

このストライキの詳細とセツルメントの詳細は、ここでは問題にしません。このストライキは、いつものように、賃金問題として始まります。アーメダバードの経験が、インド内外の他の地域の工業地域に、政治経済的に限定的に当てはめる時間的な余裕が、ありません。ここで私どもが関心を持つのは、ガンディーが、この闘争に加わった時から、いつもの妥協に行きつくまで、お互いに最大限、脅かしあう場であると、闘争を考えるんじゃぁなくて、すべての人にとって、すなわち、労働者にとっても、工場主にとっても、ガンディー自身にとっても、「≪いまここ≫から成長する」チャンスだと、闘争を考えた、という事実ですね。

 

 

 

 

 普通じゃない。闘争は、勝ち負け、勝負の時でしょ。普通は。ガンディーは、闘争を勝ち負けにしない。そこで普通は対立する人が共に成長するチャンスに、戦いそのものをしたんですね。

 それが非暴力の不思議ですね。

 

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