基本的人権で最も基礎になるものはなんでしょうか?
ちょっと考えてみてくださいね。何なんでしょうか?
それは自由。思想・良心の自由、信教の自由、言論の自由、学問の自由、集会の自由、結社の自由、職業選択の自由、居住の自由、苦役からの自由、逮捕拘禁からの自由…。自由でもいろいろある。この中で最も根源的な自由は、良心の自由でしょう。良心が隷属的であったら、言論の自由も、集会の自由も、職業選択の自由も意味を持たないでしょう。
では、日本の唯一の価値である同調主義と基本的人権の基礎となる自由の関係を今日のブログで少し考えてみましょう。
結論的に申し上げたいのですが、同調主義と自由は水と油、相いれない、ということです。同調主義は、自由の敵です。
同調主義は、多数派の中身の善悪、正誤、正邪、淨不浄、に関わらず、多数派に同調することでしょう。自分の意見が、自動的に、多数派の意見と同じになることです。「心理学大実験」ではないけれども、自分よりも前に6人の人が同じ意見を言った後に、自分が別の意見を述べることは、極めて難しい。
むかし、西村秀夫先生が、人間にとって自由はいつでも可能だ、という趣旨のことを繰り返しおっしゃっていました。西村先生は、両腕を前に出して、「人が右と言っても、自分は左手を上げることができる」と。私は、その西村先生の話を伺った時には、ピンと来なかったのですが、いまは、それが、きわめて実践的な教えだったと考えます。いつでも自分は、自分が正しいと思った方の手を上げていいんだ…。
サラリーマンをしていると、上司の意向と違う意見を言うことはできない、という人もいます。もちろん、そう思っている人が、そうする自由があるとは思います。しかし、それは間違いだと私は考えます。上司や多数派と違う意見を言う自由がある、と言うのが、私が西村先生から学んだ自由だからです。場合によっては、損することもあるでしょう。実際に「損」をしたことだってありますよ。でもね、それでよかったと思います。ますます私は自由になれたからです。
自由。それは自分を売らない人生の基本だと常々思います。