本棚をごそごそしていたら、古いスクラップが出てきて、「懐かしいなぁ」と思いながら、古い新聞の切り抜きを読んでいました。その中に「朝日新聞 4.19,2002 夕刊2版 p4」の「全生園の灯」と題する記事が出てきました。その記事を書いたのは宮崎駿さん。
全生園、と聞いても、知っている人はそんなに多くはないかもしれません。東京は東村山市のある「国立療養所多磨全生園」のことです。かつてはらい病と言われた、ハンセン氏病の療養施設で、1909(明治42)年の創立だそうですから、106年目の施設、ということになります。
ハンセン氏病患者を療養所に押し込めていたことは、「癩予防法」(1907(明治40)年)、「らい予防法」(1953(昭和28)年)という法律で、強制的に故郷を奪われ、拉致されるがごとく、ここに押し込められたわけですね。しかも、治っても、この療養所から出ていけなかった。事実上の刑務所だった。平成になってから、この隔離政策は、人権侵害として遅まきながら認められ、ハンセン氏病患者の名誉回復が、ある程度行われてきました。小泉首相が、元患者さんたちに、国の非、過ちを謝った。
ここを散歩コースにしていたのは、今は超有名なアニメーション映画監督、宮崎駿さんです。ここを散歩すると、宮崎駿さんは、「おろそかに生きてはいられない」と感じたそうですね。きちんと自分と向き合いながら、生きているからでしょう。全生園には、昭和の初めにたてられた古い建物がまだ残っているので、それも「懐かしい」感じがするのだそうです。また、ハンセン氏病と向き合って生きてきた人たちの営みの中に「どんな苦しみの中にも、悦びや笑いも又あるのだ。あいまいになりがちな人間の生が、これほどくっきりと見える場所はない」との所感も述べられます。
宮崎駿さんのアニメーション。その背後には、このような「人の痛みを感じること」や「いたわり」や「優しさ」という、司馬遼太郎さんが述べておられたことと重なる事実があったことを、今あらためて感じる次第です。