エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

Je suis Charlie 私はシャルリだ 改訂版

2015-01-15 14:40:45 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「Je suis Charlie 私はシャルリだ」

 つい先日、ロサンゼルスで開催されたゴールデングローブ賞の授賞式、ジョージ・クルーニーさんが、「Je suis Charlie 私はシャルリだ」のバッヂを胸に登場。受賞の挨拶を、「Je suis Charlie 私はシャルリだ」と締めくくった、と言います。

 また、フランス全土ばかりではなく、欧米の各地で「表現の自由」とシャルリ・エブド支持のデモがあった、と言います。特に、11日には、パリでは、370万人が参加するという史上最大規模デモがあったとAFP電は伝えています。そこには、フランスのオランド大統領、ドイツのメルケル首相、イスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ自治政府のアッバス議長も呉越同舟。各国首脳も連帯を示しました。

 何故なんでしょうか?

 20年程前、日本で、「赤報隊」を名乗る者たちが、朝日新聞などを襲撃、新聞記者が殺されることがありました。そのときに、私も含めて、デモをして「言論の自由」を守る意思表明なんてこと、ありましたっけ?

 フランス人にとって、表現の自由は、民主主義の根幹。空気のような感覚でしょう。1789年のフランス革命では、「自由、平等、博愛」のスローガンのもと、アンシャン・レジームと呼ばれる、不自由、不平等、差別を固定化していた体制をひっくり返したわけですね。政治経済上のあらゆる、不自由、不平等、社会的差別があったわけでしょ。それを革命によってひっくり返した。その背景をなしたのが、ジャン・ジャック・ルソーやヴォルテールなどの、「自由」を求める啓蒙思想がフランス全土に広まっていたことがあったと、教科書も教えてくれます。その「自由」を獲得するために、フランス人は長い間、ブルボン王朝下の権力と闘ってきたわけですね。

 ですから、フランス人や欧米の人にとって、表現の自由ほど大事なものはない。表現の自由は、良心の自由を表明する手段だからでしょう。

 私どもも、この欧米のデモに学びつつ、「表現の自由」を意識して、日々を生きたいものですね。

 

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幸せは、意外にも身近にある? 改訂版

2015-01-15 13:19:28 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「三高」でも、幸せとは限らない、としたら、私どもは何を頼りにしたらいいののでしょうか?

 p3の15行目途中から。

 

 

 

 

 

人を魅力的にするものって、体も心も、時代の流行り次第。1920年代は、酒も飲めばたばこもやる女性、タフでセクシーであることが魅力的でした。今の流行りは、もっと家庭的で、控えめであることが必要です。19世紀末から今世紀初めは、男は、攻撃的で野心的であらねばなりませんでした。いまは、男は社交的で寛容でなくてはなりません。それは魅力的な「体裁」になります。とにかく、恋に落ちる感じが発展するのは、普通、自分が関われるくらいの、手近な人と関係したときだけです。私が外出するのは、お買い得品を求めての事なのです。そのお目当ては、みんなの眼から見て、望ましい人ですし、同時に私と一緒にいたい人で、私の長所や持ち味を、眼に見えるモノも、そうでないものも、きちんと考えてくれる人なんですね。

 

 

 

 

 

 バーゲンは意外にも近場でやってる、という訳ですね。消費社会にあっては、手近なところにいる人で、自分をしっかりと認めてくれる人が理想的だ、という訳ですね。

 

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共存共栄を確かにする道

2015-01-15 07:04:33 | アイデンティティの根源

 

 相手の個性を大事にすることは、とっても大事。でもね、それが分かっているからと言って、相手の個性を大事にできる訳ではないのが、人間の不思議です。自分の個性を大事にされ、自分でも大事にしていると、相手の個性を大事にしやすい。これも人間の不思議。

 p242の13行目途中から。

 

 

 

 

 

1つの国家が自分のことを個人の集合と考えるなら、その時は、国際関係においても、やり取りを続けることが、国の務めであることが、ハッキリと見えるようになるでしょうね。なぜならば、軍拡競争に代わる唯一の選択肢は、「共存共栄を確かにするように、自国が発展させるのとちょうど同じように、歴史的パートナーとなる国が、歴史的に発展するを強化するようなものを元気づけること」に務めることだからです。そのようにして初めて、科学技術や歴史が急激に変わる時にあっても、共通点を見出すことができますし、また、バラバラになった過去の負の遺産である、勝ちと負けに対する危険なイメージと、服従と搾取に対する危険なイメージを克服することもできるんですね。

 

 

 

 

 国際関係においても、やり取りが大事になりますね。やり取りをするためには、共存共栄を確かにする道をハッキリ意識していなくちゃぁ、なりませんよね。その共存共栄を確かにする道をハッキリ意識できない石頭ですと、わが安倍晋三首相のように、自分の主張を「理解していただくように、シッカリ説明してまいりたい」などと一方通行で傲慢な寝言を言ったり、歴史的パートナーである近隣諸国の歴史や個性を蔑ろにするようなことが平気でやれるんですね。残念!

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