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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ : 神のみ心を行う

2016-06-04 07:28:50 | 聖書の言葉から

 

 谷昌常さんの言葉は教育の原点、本質を突いてましたね。でも、それは意識し続けないと忘れがち。今の教育現場を毎日見てますが、教育の原点はどこに行ったのやら…。

 

 

 

 

 

 今日は、私の恩師、西村秀夫先生の言葉。いまから丁度30年前、『新約聖書』「マタイによる福音書」第12章38節以下を学んだ時の、先生の「まとめ」から(1986.7.6の「聖霊を受けるということ」から)。西村秀夫先生も、高橋三郎先生と同様、矢内原忠雄先生の弟子ですから、無教会三代目です。

 

 

 

 

 

 神に背いていたことを認め、自己主張を捨てて神の下に立ち返り、静かに心の耳を澄ませていると、神のみ心が分かって来る。それが祈るということである。

 

 

 

 

 

 祈りがお喋りではなく、「聴くこと」だと分かりますでしょ。御心を行うとは、その心の耳で「聴いたこと」を、勇んで、しかも、歓びに満ち溢れて、実行に移すことですね。

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発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害

2016-06-04 06:38:25 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 「発達トラウマ障害愛着障害」と診断・アセスメントすることの大事さを、改めて考えていただけたらいいですね。

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、ADHDと一番間違います。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : developmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の53目。

 今朝は、妥当性と信頼性の章の24日目。今日は、反応性愛着障害

 

 

 

 

 

反応性愛着障害

反応性愛着障害(RAD)も、発達トラウマ障害(DTD)も、両方ともに、守ってもらえるような養育をメチャクチャ奪われていることから生まれてきます。反応性愛着障害(RAD)の特色は、対人関係に抑制的であるか、もしくは、抑制が効かないか、のどちらかです。反応性愛着障害(RAD)に診られる対人関係に抑制的であることと引っ込み思案であることは、発達トラウマ障害(DTD)が人と関わらないことと人を信頼できないこととに被ります。反応性愛着障害(RAD)に診られる対人関係に抑制が効かないことは、発達トラウマ障害(DTD)の行動の症状(すなわち、馴れない場で養育者を対人関係のモデルにできない)や対人関係の症状(親しい関係を得ようとして、過剰に、あるいは、誰彼かまわず、関わろうとします)に被ります。しかしながら、反応性愛着障害(RAD)が発達トラウマ障害(DTD)と違うのは、次のものは反応性愛着障害(RAD)とは言わないことです、すなわち、(a)対人間暴力の影響、(b)感情がコントロール出来ない、(c)反抗的態度や危ないことをする、(d)自傷や自分を落ち着かせる行動がある、(e)否定的なセルフ・イメージがなかなか解消しない、場合は、愛着障害(RAD)とは言いません

 

 

 

 

 

 ここはかなり鑑別が微妙なところでしょう。反応性愛着障害(RAD)の診断基準の範囲をかなり絞って、こぼれたところを発達トラウマ障害(DTD)にしている感じです。ヴァン・デ・コーク教授の意図は明確です。診断を明確にして、誤診を避け、間違った治療や関わり方を解消したいということです。

 日本では、発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害と考えて良いでしょう。

 

 

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さらばぁ  心を病んだ仕切り屋よ!!

2016-06-04 05:49:17 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 

  心を病んだ人仕切り屋になり、幅を利かす家庭や職場は、家庭全体、職場全体が、狂気となりますよね。しかも、重症なのは、病気のご当人も、その病人にスポイルされちまった人達も、「自分が病気だ」という病識がないことです。ご本人たちは、正しいことをしてるのに…」くらいに思ってんですね。おバカですね。アル中のあんちゃんが、「悪いのはテメエの方だよ」とホザクのと、似ています。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.341の、第4パラグラフを訳し直します。

 

 

 

 

 

 分かってショックを受けたのは、この生徒たちは、身の危険が迫る場面では、危険をもたらすワル(訳注:心を病んだ仕切り屋)の味方になるってこんなんですね。なぜって、生徒たちは、自分自身が弱い、ということに耐えられなかったからですし、人の弱さも許せなかったからなんですね。餌食になりそうな人たちには、アザケリ顔をするばかりで、「殺(や)っちまえ、殺られても仕方ねー」と叫ぶだけ。それはデートで暴力を振るう場面でしたね。

 

 

 

 

 

 狂気の支配ですね。しかも、狂気に支配されている、その自覚がありません。これは、暴力になれた若者の話ばかりではないんです。三菱自工、東京電力、大川小学校などの教育委員会、ですね、心を病んだ仕切り屋の狂気、狂気の支配程、恐ろしいものはありません。聖書で言う偶像崇拝です。

 神の介入が間近ですね。

 さらばぁ、心を病んだ仕切り屋よ!!

 

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疑問を持つ感性の大事さ

2016-06-04 01:44:26 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達は、脆い存在です。発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害の子どもには、バカで、病気の人が関わってはいけません。禁忌と言うべきでしょう。狂気の沙汰になるからです。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.128、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 私はジャスティンのカルテを読み通して、ジャスティンがどんな暮らしをしてきたのかを想像しだしたんですよ。2歳の時にジャスティンは、「静的脳症」と診断されましたが、それはつまり、ジャスティンは、原因不明の重度の脳障害があり、おそらく発達しないだろう、ということですね。ジャスティンは、医者の所に連れて着来られたのは、ひどく発達に遅れがあったからなんですよね。ジャスティンは、、普通ならよちよち歩きをして、文章が言えるようになる年回りになっても、歩くことはできないし、片言しか言えなかったのです。悲劇でしょうけれども、アーサーは、ジャスティンに医療検査をさせた時、誰もジャスティンの暮らしの状況について、疑問に思いませんでした。生育歴が良い人なんていませんしね。ジャスティンは、いろんな身体の検査をされて、脳の画像を取られて、大脳皮質に委縮と、脳中央部の、水が溜まった空洞の肥大が認められました。実際に、ジャスティンの脳は、進行したアルツハイマー病の人の脳みたいでした。ジャスティンのおつむの円周は、同い年の子どもよりも。2パーセント小さかった程です。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害の子どもは、脳まで委縮してしまう訳ですね。いかに恐ろしい重度の精神病で、しかも、それは家庭環境・社会環境があまりにも悪いからだ、ということを忘れてはなりませんね。

 しかも、発達トラウマ障害とは、すぐには分からずに、「静的脳症」「ADHD」「うつ病」などと、誤診されてしまう訳ですよね。

 

 

 

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