エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

やっぱり、発達トラウマ障害(DTD)とPTSDは鑑別できる

2016-06-12 10:54:59 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
遊び相手になることが子どもを肯定しますよ 正しいことより楽しいことを是非
  遊び相手。「遊びのオジサン」のお仕事です。スクールカウンセラーとしては、心理面接や行動観察が本来の業務ですが、それだけでは圧倒的に足りない気分だからです。「気...
 

 

 「発達トラウマ障害愛着障害」と診断・アセスメントすることの大事さを、改めて考えていただけたらいいですね。

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、ADHDと一番間違います。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : developmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の61日目。

 今朝は、妥当性と信頼性の章の32日目。鑑別の妥当性に関する量的なデータに入ります。

 

 

 

 

 

鑑別の妥当性に関する量的なデータ 発達トラウマ障害(DTD)は、他の精神病と鑑別されます。発達トラウマ障害(DTD)の診断基準は、いつでもPTSDの診断基準を同時に充たすことも多いのですが、それにもかかわらず、PTSDと鑑別されますし、他の精神病と鑑別されます。たとえば、CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)のデータでは、PTSDの診断基準を満たす子どもが多い(医師の質として、そう考える)のかもしれませんが、発達トラウマ障害(DTD)特有のいろんな症状において、違いがあると同時に、発達トラウマ障害(DTD)の診断基準A1とA2を基準にして、鑑別されました。

 

 

 

 

 

 このように、発達トラウマ障害(DTD)は、PTSDとは、明確に鑑別できます。どこかの教育大や、どこぞの医科大の偽物学者たちのホザキとは、全く異なることが事実です。

 

 

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生まれながらの役者

2016-06-12 09:53:45 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子どもは、お互い様を学べたらいいですね。そのためには、関わる大人がやり取りを相当意識することが必要です。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.343の、第52パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ポールが分かったのは、養子に出された青年は、生まれながらの役者だ、ということでした。悲劇的な人物を演じる時、感情表現をしなくちゃいけませんし、深みと悲しみと苦しみからくるリアリティーを創り出さなくっちゃいけません。養子に出された若者たち? 養子に出された若者たちが知っているのは、それだけです。彼らにとって、生と死は日常です。時間の経過とともに、協力のお陰て、子ども達は他の人の人生を演じる中で重要な人物になることが出来ました。最初のリハーサルによって、根源的な合意ができました。応える責任、説明する責任、人を敬う責任は全うする、しかし、感情表現をしても、グループの中でセックスはご法度というのが、その合意の中身です。青年たちは歌い始め、動き始めていって、青年たちは響き合う感じになります。

 

 

 

 

 

 演劇の中で、何時もないがしろにされてきた発達トラウマ障害(DTD)の青年たちが、いつもの生活のシーンの中で重要な役割を果たしていく。すると、青年たちは変わって行くのでしょうか? 変わり映えしないのでしょうか?

 応える責任、説明する責任、人を敬う責任は全うする時に、生まれながらの役者でである、発達トラウマ障害(DTD)の青年たちがどうなるのか、おのずと分かりますね。

 学校の教員たち 政治屋、企業経営者らにも、応える責任、説明する責任、人を敬う責任は全うすることに合意した発達トラウマ障害(DTD)の子ども達に、学んで貰いたいですね。

 

 

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発達トラウマ障害(DTD)の子どものセラピーに必要な慎重さと賢慮

2016-06-12 08:44:19 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
子どものわがままにどう応ずるかで、天地の差が出ます。
   礼拝は民主主義に似ている。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p46の第3パラグラフから。 ...
 

 発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害の子どもは、アメリカでも、ニッポンでも、基本がホッララカシです。日本の多くの親の意図はともかくも、結果は残忍なネグレクトである場合が多いのです。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.130、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私がジャスティンの犬小屋に慎重に歩み寄っている時、看護師たちは変やことが起きりはしないかと監視していました。「何かを放り出し始めますからね」1人が皮肉っぽく言いました。私はスローモーションみたいに、動きました。私はジャスティンにも私を注意して見てほしかったんですね。小児集中治療室[PICU]でのお決まりの忙しさとは対照的に、私がする、ユッタリとした動きが新鮮であれば、ジャスティンは注意を向けるだろう、と思った訳です。私はジャスティンを見たりはしませんでした。アイコンタクトをしてしまうと、ジャスティンが怖れを感じてしまうかもしれない、と知っていたからです。私はジャスティンの犬小屋のまわりを覆っているカーテンを引っ張って、ジャスティンが、私か、ナースステーションしか見えないようにしたんです。そのようにして、ジャスティンが、近くのベッドにいる子ども達に気を散らすことがないようにしたんです。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子どもに近づき、セラピーをする時には、ブルース・ペリー教授に限らず、これくらいの慎重さ・注意深さ、そして、配慮・賢慮が必要です。

 

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インターメッツォ : 教育と魂

2016-06-12 07:18:07 | 聖書の言葉から

 

 

 
遊び相手になることが子どもを肯定しますよ 正しいことより楽しいことを是非
  遊び相手。「遊びのオジサン」のお仕事です。スクールカウンセラーとしては、心理面接や行動観察が本来の業務ですが、それだけでは圧倒的に足りない気分だからです。「気...
 

 今宵は、以前にも翻訳した、エーリッヒ・フロムの言葉から学びます(The art of lovong から)。

 

 

 

 

 

 知識だけ教えている間は、人間が発達する上で一番大事な、教えるということをじつは、失っているのです。すなわち、教える、ということは、魂が大人の、関係に誠実な人にしかできないものなのです。…昔は、…教員でさえ、単なる情報源であることが大事な訳はなかったのです、そうではなくて、教員の務めは、人間としての生き方を伝えることにあったのです。…尊敬され、お手本とされる人間は、魂が気高い人物です。

 

 

 

 

 

 

 その点、無知無恥夫婦のような「人でなし」の塊で、ウソとゴマカシのプロフェッショナルが差配するような学校は、もう「教育」の名に値しないことしかできないのも、無理はありません。いくら知識を伝えようとしても、今日フロムが教えて下さるように、知識さえ伝えることが出来ません。

 子どもに何かを教えることが出来るのは、ウソとゴマカシのない、関係に対する誠実さを大事にする人でなくてはできません。ですから、本来教育は魂の気高さを感じさせるような人物によって、なされたわけですね。たとえば、林竹二、三谷隆正、金森俊朗さん、みたいに、関係に誠実な「本物の教師」が教育をしていたし、教育をしている訳です。

 


 

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