エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

発達トラウマ障害(DTD)はいろんな人格障害になっちゃう

2016-06-11 09:01:37 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
礼拝は民主主義に似ている
  ヌミノースは深い。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p46の第2パラグラフから。 &nb...
 

 

 「発達トラウマ障害愛着障害」と診断・アセスメントすることの大事さを、改めて考えていただけたらいいですね。

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、ADHDと一番間違います。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : developmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の60日目。

 今朝は、妥当性と信頼性の章の31日目。今日も、人格障害のつづき。

 

 

 

 

境界性人格障害という診断名は、自分の気持ちに気付かない、ラベル付け、解離の問題には、当てはめません(ただし、一時的な解離の状態は、境界性人格障害にもあります)。あるいは、境界性人格障害という診断名は、回避があったり、母親などとのやり取りがままならなかったりすることにも、当てはめません(ただし、見捨てられる恐怖や、理想化と価値の引き下げの間を行ったり来たりすることが二次的、間接的に出る場合が、境界性人格障害にもあります)。発達トラウマ障害(DTD)は、パラノイド人格障害や境界性人格障害その他の人格障害の前兆になりかねません。それは、子どもの頃の発達トラウマ障害(DTD)と子どもの頃に診断されない場合です。

 

 

 

 

 

 かねてから、発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害と境界性人格障害の結びつきは指摘されます。というのも、いずれも、見捨てられ体験と根源的不信感の強さの点で共通するからです。ヴァン・デ・コーク教授は、発達トラウマ障害(DTD)と境界性人格障害(BPD)の鑑別の必要性を訴えます。たしかに、発達トラウマ障害(DTD)の診断を、境界性人格障害(BPD)の診断を優先すべきでしょうが、現実には、子どもの頃は発達トラウマ障害(DTD)でも、大人になったら、境界性人格障害(BPD)になるケースが少なくないと考えられます。

 

 

 

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いつでも、希望はそこにある

2016-06-11 07:44:15 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
自由にされること ルターの場合
  精霊は場所を選びません。 Young Man Luther 『青年ルター』p205の第2パラグラフ7行目途中から。  &n...
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害の子どもは、アメリカでも、ニッポンでも、基本がホッララカシです。日本の多くの親の意図はともかくも、結果は残忍なネグレクトである場合が多いのです。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.130、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 アーサーと面接し、ジャスティンのカルテを読み、ジャスティンの行動観察をした後、分かったことは、この少年の課題は、この子に能力がないからじゃない、ということでしたね。ジャスティンがしゃべらないのは、おそらく、話しかけられたことがあまりなかったためと思われました。3歳までに300万の言葉を耳にするのが普通なのに、ジャスティンははるかに少ない言葉にしか、触れていなかったんです。ジャスティンが立ったり、歩いたりしないのは、おそらくは、ジャスティンを上手くおだてて、手を取って外に出したり、ジャスティンに「大丈夫だよ」と言ってやる人が誰もいなかったからでしょう。食器を使って食べる食べ方も知らなかったのは、手でつかんで食べたためしがなかったからでしょう。私はジャスティンを治療するにあたって抱いた希望は、ジャスティンが出来ないでいることは、適切ないろんな刺激が足りなかったからだということでした。つまり、基本は、チャンスがなかったからであって、能力がなかったからではない、ということでしたね

 

 

 

 

 

 希望はいつでもそこにあります。足りないのは、知らないからでも、能力がないからでもない場合がほとんどです。足りないのは、能力を発揮するための心のエネルギー、すなわち、本当の自分と、人生を根源的に支える、根源的信頼感である場合がほとんどですよ。

 

 

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暮らしの中にある、お互い様

2016-06-11 03:14:04 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
礼拝は民主主義に似ている
  ヌミノースは深い。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p46の第2パラグラフから。 &nb...
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子どもは、不信の塊。人を信頼したり、任せたりが出来ない場合が少なくありません。すると場を仕切り、人をコントロールしようとします。グリフィンは子どもでも、大人を手繰り、手玉に取ろうとしたと言いますね。無知無恥夫婦の片割れも、そのような不信の塊のすれっからしです。一番教育に関係してはならない人物です。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.342の、第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 里子ケアの世界では、「不変性」が業界用語になっています。そのモットーは、「1人の世話する大人でして、それだけが必要です」。しかしながら、10代の子どもは親元から離れるのが自然ですから、グリフィンが言うには「10代の自分達にとって一番の不変性は、確かな友達グルーブだ」ということです。プログラムでは、その確かな友達グルーブを提供しています。もう1つ、里子ケアの業界用語は、「自立」です。この言葉に対抗して、ポールは「お互いさま」と言う言葉を持ってきました。ポールは次のように言ってます、「私どもはみんな、お互い様でしょ。子どもたちは、世間様に、たった一人で出ていくように問いかけて、自立するように言う、という考えは馬鹿げています。子ども達には、お互い様を教えなくっちゃ。お互い様を教えることが、人との関わり方を教えることになるからです」と。 

 

 

 

 

 頭ではなくて、生活の中で学んでいるが大事だと分かり件です。暮らしの中には、様々なお互いさまが、様々な形で存在するのが世の常ですね。人との関わりもお互いさまで成り立っていることに違いはありません。

 お互い様を学ぶことが、人との良い関わりを学ぶことに繋がっていますよね。

 

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インターメッツォ : 賢さと素直さ

2016-06-11 01:58:45 | 聖書の言葉から

 

 

 
ヌミノースのはじめ 一致のはじめ
   魂に根差す謙遜  心理学も突き詰めれば、≪真の関係≫になる。心理学を専門に研究している人は、認めないかもし...
 

 

 こんばんは。今宵は、本田哲郎神父の言葉から学びます(『釜ヶ崎と福音』から)。そのような「声」がしたからです。本田哲郎神父様が、『新約聖書』の「マタイによる福音書」第10章4節「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(新共同訳)とある聖句ですが、これは訳語がおかしいみたいです。この言葉は、イエスが12人の弟子たちを伝道の旅に派遣する際の心構えを言った言葉です。

 

 

 

 

イエスが12人の弟子を派遣したときに、・・・(中略)・・・次に、何も持たずに行け、と命じます。金貨も銀貨も銅貨も持たずに。「何も持たなくて何ができるのか」とふつうだったら思います。さらにイエスはいいます。ただ「蛇のように感性するどく、鳩のように率直に」(マタイ10章16節)、それだけを自分の武器にしなさい。それは貧しく小さくされた者たちが共通して持っている身を守る術なのです。「蛇のように賢く、鳩のように素直に」ではない。 蛇のように感性するどく。原語φρονιμοιには、賢いとか、頭がいいというニュアンスはない感じとる敏感さのこと。蛇というのは腹ばいで動き、体全体を触角にしていて敏感な生きものです。 鳩のように率直に。原語άκεραιοι混ぜものをして薄めてしまいようなことがないという意味ですから、相手に合わせてしまう素直ということではなく正しいと思ったことをそのまま口に出す、飾り気のない率直ということでしょう。

 

 

 

 

 

 中途半端な知識しかない人は、賢さは知ること、知識から生まれるものだと勘違いしやすい。しかし、知的巨人は、それが間違いだと、体験的に知っています。アインシュタインしかり、エリック・エリクソンしかり、加藤周一さんしかりですね。叡智は感じること、直感から生まれてくるものです。

 直感的に感じたことを、率直に話し言葉にして、さらに行動に移す。本田哲郎神父様は、『小さくされた人々のための福音書』では、後段を「鳩のように率直に行動しなさい」と翻訳しています。

 クリスチャンの生活とは、そういうものです。それは多くの場合、円満」や「日常」と呼ばれる、弱い立場のものを無視し、抑圧する「人でなし」が差配するやり口と闘う生活になります。

 私どもの勝利も間近です。

 

 

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