藤原保信先生の『自由主義の再検討』から藤原保信先生が亡くなって、21年。藤原保信先生は安曇野出身ですから、ゼミ合宿では、マイクロバスに揺られて、安曇野に行き、ワサビ田で、ワサビ入りのソフトクリーム...
藤原保信先生も、晩年はカトリックになりました。生と死を深くとらえたからだろうと思います。葬儀は築地カトリック教会で行われました。亡くなられたのは、22年前の今日です。すなわち、本日は藤原保信先生の御命日です。藤原保信先生も真実に対して、非常に謙虚な方でありました。
今日は高橋三郎先生の言葉から(『歴史を担うもの』キリスト教夜間講座出版部)。無教会三代目のお一人。藤井武、という内村鑑三の弟子で、高級官僚を辞めて、キリスト教の独立伝道者(既存の「〇〇基督教団」から経済的支援を得ないで、そういう教会から独立して伝道する人ということ)となった人がなくなった後の記念集会でのお話から。藤井武は、非常に厳格な人で、「真実」を何よりも大事にした人でした。
藤井武における真実とは、人間よりも神を大切にする精神でありました。人間が偉く見えている間はだめだ。私は大胆に申します。…私は1つの理想像を掲げ、それに向かって自己を完成して行こうとする生き方そのものを、きっぱり放棄したのであります。…福音とは、いかに人間がだめな存在かということを、突きつけるものです。
そして、ダメな人間だから、見捨てられるか? と言えば、逆ですね。「たとえ、母親があなた(達)を見捨てるようなことがあっても、決して見捨てたりなんかしませんからね」と言われたとしたら…。こんなに嬉しいことは、ないのじゃぁないですか?
そうすると、どなたでも本当の自分を生きることができますからね。このようにしたら、何よりも増して、自分を確かにできます。