エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ : 真実と謙虚

2016-06-05 10:09:28 | 聖書の言葉から

 

 

 
藤原保信先生の『自由主義の再検討』から
  藤原保信先生が亡くなって、21年。藤原保信先生は安曇野出身ですから、ゼミ合宿では、マイクロバスに揺られて、安曇野に行き、ワサビ田で、ワサビ入りのソフトクリーム...
 

 藤原保信先生も、晩年はカトリックになりました。生と死を深くとらえたからだろうと思います。葬儀は築地カトリック教会で行われました。亡くなられたのは、22年前の今日です。すなわち、本日は藤原保信先生の御命日です。藤原保信先生も真実に対して、非常に謙虚な方でありました。

 

 

 

 

 今日は高橋三郎先生の言葉から(『歴史を担うもの』キリスト教夜間講座出版部)。無教会三代目のお一人。藤井武、という内村鑑三の弟子で、高級官僚を辞めて、キリスト教の独立伝道者(既存の「〇〇基督教団」から経済的支援を得ないで、そういう教会から独立して伝道する人ということ)となった人がなくなった後の記念集会でのお話から。藤井武は、非常に厳格な人で、「真実」を何よりも大事にした人でした。

 

 

 

 

 

 藤井武における真実とは、人間よりも神を大切にする精神でありました。人間が偉く見えている間はだめだ。私は大胆に申します。…私は1つの理想像を掲げ、それに向かって自己を完成して行こうとする生き方そのものを、きっぱり放棄したのであります。…福音とは、いかに人間がだめな存在かということを、突きつけるものです。

 

 

 

 

 

 そして、ダメな人間だから、見捨てられるか? と言えば、逆ですね。「たとえ、母親があなた(達)を見捨てるようなことがあっても、決して見捨てたりなんかしませんからね」と言われたとしたら…。こんなに嬉しいことは、ないのじゃぁないですか?

 そうすると、どなたでも本当の自分を生きることができますからね。このようにしたら、何よりも増して、自分を確かにできます

 

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分離不安障害と発達トラウマ障害(DTD)の鑑別

2016-06-05 07:40:28 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
真面目なのに、陽気で楽しい
   他の人を自分の思い通りにする悪魔  相手のことを知り尽くすことなどできないからこそ、人に対して寛容にならざ...
 

 

 「発達トラウマ障害愛着障害」と診断・アセスメントすることの大事さを、改めて考えていただけたらいいですね。

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、ADHDと一番間違います。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : developmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の54目。

 今朝は、妥当性と信頼性の章の25日目。今日は、分離不安障害

 

 

 

 

 

 分離不安障害の特色は、愛着が不安定なことですから、人を信頼できないかも、人が守ってくれないかも、という警戒した状態を含みます。しかしながら、分離不安障害という診断名は、発達トラウマ障害(DTD)の次のような特色に対応しません。すなわち、(a)特に対人間暴力の影響、(b)不安以外の感情をコントロール出来ない、(c)攻撃的な行動や危なっかしいことをする、(d)自傷、あるいは、(e)自分はダメダァという感じがなかなか改まらない、場合は、分離不安障害とは言いません。

 

 

 

 

 

 分離不安障害と発達トラウマ障害(DTD)は、愛着が不安定な点で被ります。しかし、ヴァン・デ・コーク教授が示す、(a)~(e)でしたら、分離不安障害とはせずに、発達トラウマ障害(DTD)と診断することになります。

 

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ネグレクトされただけでも、脳が小さくなっちゃう!!

2016-06-05 02:37:20 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
日常と専門用語
 本物の臨床は、形が決まっているのに、とっても陽気で楽しいものです。あそびですからね。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p4...
 

 

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達は、脆い存在です。発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害の子どもには、バカで、病気の人が関わってはいけません。禁忌と言うべきでしょう。狂気の沙汰になるからです。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.129、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 当時、ネグレクトを受けただけでも、脳にダメージがあるということを理解していない医者が、まだまだたくさんいたころです。そういう医者たちは、画像診断で眼にハッキリと見えるものが、遺伝的な欠陥や子宮内損傷の証拠だと考えていましたから、赤ちゃんの頃の養育環境だけでも、重篤な身体的な影響がある、などということは想像すらできませんでした。しかし、その後私どもの研究グループがした研究やその他の研究によれば、施設に捨て置かれて、心温まる、ひとりびとりを大事にする関わりをさせなかった孤児は、眼で見て分かるほど頭が小さくて、脳も小さいことが分かってきました。脳は、明らかな異常を示していますし、それはジャスティンに診られるものと、事実上同じものでしたね。

 

 

 

 

 

 ネグレクトと言えば、食事を与えなかったり、どこかに閉じ込めるような関わりを想像しがちです。しかし、それは日本では遥かに少数派です。一番多いネグレクトは、長時間労働のために、二重、三重の保育をしながら、子どもの眼の前にいる時間が少ない、1時間にも満たない、という人たちです。あるいは、時間があっても、その母親自身がやり取りのある温もりに満ちた関わりを知らないために、子どもを一人にしている場合です。いずれも、一見「異常には見えない」「普通の」子育てのように見える場合が一番多いネグレクトのケースです。

 ですが、そのネグレクトのために、子ども等は脳が変質、縮小してしまう訳ですね。

 

 

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真実の力の再生力

2016-06-05 01:44:45 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
藤原保信先生の『自由主義の再検討』から
  藤原保信先生が亡くなって、21年。藤原保信先生は安曇野出身ですから、ゼミ合宿では、マイクロバスに揺られて、安曇野に行き、ワサビ田で、ワサビ入りのソフトクリーム...
 


 

  心を病んだ人仕切り屋になって、狂気と化した家庭や職場は、正気突き抜けた希望のある人によって、正気を取り戻すことができます。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.341の、第5パラグラフ。

 

 

 

 

 

 

 最初は、プロの役者たちのなかには、「辞めたい」というものもありましたよ。この子どもたちがいかにも下品で、見るに堪えなかったからでしょう。でもね、その役者たちも最後まで頑張りぬきましたし、私はと言えば、生徒たちが新しい役割を、たとえ不承不承ではあっても、経験するようにと、役者たちが次第にさせていく、その様子を拝見して、感動していましたね。そのプログラムの終わりに向けて、弱さや恐怖を示すことにもなる役回りを自発的にする者も現われました。生徒たちは終了証を受け取った時、ありがとうの気持ちを示した絵を、恥ずかしそうに役者たちにプレゼントするものがかなりいました。何人かは眼に涙を浮かべているのが分かりましたし、気が付けば、私自身も涙がこぼれていましたね。

 

 

 

 

 

 高校生たちが、真実に触れて、変化していくのは感動的ですね。最初は反発を感じても、真実の力としか、言いようがありません。「不良」に見える高校生たちの中にも、真実の力に応じる真実がある訳ですね。イヤイヤながらでも、真実の力を受け入れる時、子ども達は再生することができます。それは、もらい泣きするような、心の底からの笑顔がこぼれるような、瞬間ですね。

 こうして、人格は陶冶されるわけです。人格は真実の力によって陶冶されるのです。そこに、ウソとゴマカシに付け入る余地などあろうはずがありませんよね。

 

 

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