エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ウソはドウボーの始まり?

2016-06-24 07:00:55 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
神様との関係でのウソとゴマカシ
  逆説的ですが、能動的に、意識的に、受け身になることを選択する時、心の病から回復するんだと感じます。 Young Man Luther 『青年ルター』p208の第2パ......
 

 私も子どもの頃から「ウソはドロボーの始まり」とウソは戒められて、育ちました。その親がウソを言わなかったかと言えば、相当のウソを言う親でしたから、このウソを言う親が言っていた「ウソはドロボーの始まり」という言葉が、「ウソか真か?」は、非常に難しい哲学的な命題になりますでしょ。

 でも、「ウソはドロボーの始まり」と言って、子どもにウソを戒めること自体は、正しいことだと考えます。

 しかし、それだけじゃぁ、ありません。

 サイコセラピストとして日々仕事をしていて感じるのは、「ウソはドロボーの始まり」である以上に、「ウソはビョーキの始まり」であることの方がはるかに多い、ということがあるからです。特に、依存症は「ウソの病気」依存症患者=嘘つき、と相場が決まっています。なかには、パーソナリティーまでやられている場合も少なくありません。ドウボーも多いですが、依存症大国日本には、1,000万以上の依存症の人が、ほとんど、本人の自覚のないまま、存在しているのが現実です。

 ですから、「ウソは、心の病、ビョーキの始まり」、ということが真実です。

 

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自分の人生の意味を考える人になる

2016-06-24 05:46:45 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
急がば、回れ!
  人生で繰り返しはつきもの。問題なのは、螺旋階段を上がっての、建設的な繰り返しなのか?、 それとも、螺旋階段を下っての、破壊的な繰り返しなのか? です。 The li......
 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども。演劇トラウマプログラムを通じて、言葉の豊かさと力に気付けた者は、自分の人生の意味を意味づけ、自分の人生を方向付けることができるようになります。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.345の第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 これは、生涯にあい渡る変化の始まりになるんですね。私はこれをワークショップで何度も見てきましたよ。そのワークショップは、「シェークスピアと仲間達」で仕込まれた役者たちによって運営され、ニューヨーク州バスにある「退役軍人医療センター」にあります。ラリーは、59歳の、ヴェトナム帰還兵で、これまで27回も薬物依存回復病院に入院歴のある人でしたが、「ジュリアス・シーザー」の一場面でブルータスを、自ら演じたんです。リハーサルが始まると、ラリーは自分のセリフをモゴモゴと早口で言いました。ラリーは、人からどう見られているかが、気になったみたいです。

 

 

 

 

 

 乱暴ばかりしていた人、薬漬けだった人が、自分の人生の意味を意味づけるもの、方向付けるものを「考える」ようになる…。バカ役人にも、学んでもらいたいですね。

 

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インターメッツォ : 心の底からの悦びと正義

2016-06-24 04:52:56 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
神様との関係でのウソとゴマカシ
  逆説的ですが、能動的に、意識的に、受け身になることを選択する時、心の病から回復するんだと感じます。 Young Man Luther 『青年ルター』p208の第2パ......
 

 バカ役人ですと、「根本にあるもの」、「正しいこと」も、せいぜい、手続きや枝葉末節なルールを守ることくらい。そもそも、その手続きや枝葉末節なルールが「何のためのあるのか?」は考えない。この「考えない」ことが、ナチスのユダヤ人ジェノサイドにも繋がる「人類の対する犯罪」(ハンナ・アーレント)であることにも気が付かない…。そんな「考えない」毎日、「考えない」ルーティーン、「考えない」自動操縦で日々を過ごすのが、バカ役人の特色です。心や自分は、「息」をしてませんから、死んでます

 今朝は、本田哲郎神父様が、心の底からの悦びを味わうことが、真実に正しいことだと教えて下さいます。『釜ヶ崎の福音』から。

 

 

 

 

 

 神が望まれる平和は、貧しく小さくされている人たちに「抑圧からの解放をもたらす正義」(ディカイオシューネー δικαιοσυνη)を土台としたすべての人が「人として大切にされる」(アガペー άγαπη)、「喜び」(カラー χαρα)のある平和です。

 

 

 

 

 

 この「喜び」(カラー χαρα)は、単なる「喜び」じゃないですよ。「腹の底からの悦び」、「弱い立場の人たちと分かち合う悦び」です。教育基本法で言う「人格の完成」と言った時の「人格」と言う言葉にも、この種の「弱い立場の人たちと分かち合う悦び」というニュアンスがありますね。何故ならば、この「人格」を携えた人は、①真理と正義を大事にして、②個人の価値を大事にして、③勤労と責任を大事にして、なおかつ、④自主的精神に充ちている人だからです。

 

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言葉のシャワー 

2016-06-24 03:58:04 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 

 

 
子どもの日常生活に、「平和」を!!
   「愛着障害」のたくさんな子どもたち  激しい怒りも、活かせば宝!  子どもの頃の作った積み木遊びの音色と、大人になってからついた仕事の音.........
 

 

 発達トラウマ障害DTD愛着障害の子どものセラピーも。セラピスト自身の根源的信頼と、それに基づいた賢慮があれば、人と仲良しになれる、という訳ですね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.133の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 言語療法士たちが、ジャスティンが話し出すのを手助けしている間、ジャスティンが子どもの頃に出逢い損ねたいろんな言葉をあびるように提供したんです。ジャスティンの、一度はお休み中だった神経ネットワークが、新たな刺激のパターンに反応してきました。ジャスティンの脳みそは、スポンジみたいに、脳みそが求める経験を喉から手が出るみたいに望み、熱心に吸収しているように見えました。

 

 

 

 

 

 ジャスティンの成長ぶりが手に取るように分かる所ですね。

 ≪根源的信頼感≫が豊かな人が、丁寧に、真摯に、やり取りすることが、発達トラウマ障害(DTD)の子どもにはなくてはならないものなのです。

 

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