神様との関係でのウソとゴマカシ逆説的ですが、能動的に、意識的に、受け身になることを選択する時、心の病から回復するんだと感じます。 Young Man Luther 『青年ルター』p208の第2パ......
私も子どもの頃から「ウソはドロボーの始まり」とウソは戒められて、育ちました。その親がウソを言わなかったかと言えば、相当のウソを言う親でしたから、このウソを言う親が言っていた「ウソはドロボーの始まり」という言葉が、「ウソか真か?」は、非常に難しい哲学的な命題になりますでしょ。
でも、「ウソはドロボーの始まり」と言って、子どもにウソを戒めること自体は、正しいことだと考えます。
しかし、それだけじゃぁ、ありません。
サイコセラピストとして日々仕事をしていて感じるのは、「ウソはドロボーの始まり」である以上に、「ウソはビョーキの始まり」であることの方がはるかに多い、ということがあるからです。特に、依存症は「ウソの病気」、依存症患者=嘘つき、と相場が決まっています。なかには、パーソナリティーまでやられている場合も少なくありません。ドウボーも多いですが、依存症大国日本には、1,000万以上の依存症の人が、ほとんど、本人の自覚のないまま、存在しているのが現実です。
ですから、「ウソは、心の病、ビョーキの始まり」、ということが真実です。