発達トラウマ障害≒愛着障害のジャスティンは、そもそも生まれそのものが苛酷でした。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.127、第4パラグラフから。
おばあちゃんが病気の間、おばあちゃんと同居している友人アーサーがジャスティンの世話をしてくれました。赤ちゃんのジャスティンの行動は厄介になり、それは、こんなに短い間に、母親と祖母の2人を失ってしまったからであることは明らかでした。アーサーは、まだ自分も喪に服している時に、泣きわめき、癇癪を起す子どもにどう対処したらいいのか分かりませんでしたし、アーサーはすでに60代後半でしたから、こんなに大変なことを担う肉体的、心理的な体力がありませんでした。アーサーは児童保護委員を呼んで、この子のためになる安定的な場を探したわけですね。ジャスティンには、親戚もいなかったからです。児童保護委員(CPS)は、この少年は安全であると感じましたから、アーサーに「次のところが見つかるまで、ジャスティンを預かっていただけますか?」と尋ねました。アーサーは「分かりました」と言いました。アーサーは、生来、嫌とは言えない男でしたし、我慢強い人でしたしね。アーサーは「児童保護委員は、ジャスティンのために新しい場を探し回ってくれるだろう」と思いましたから。でもね、児童保護委員は、申請に応えて動く、危機対応の組織でしたし、新しいところを探すように求められない限り、動かなかったのです。
アメリカにも、日本のお役所仕事さながらの申請主義(聴こえは良いが、言われなければ、仕事をしない、という怠慢ぶり、気が利かない、遅いお役所仕事の典型)の組織があったんですね。
日本はあらゆる役所がこの仕事をしない質、そのくせ長時間労働なのが、実態です。それは、市民が一番大事なお客様という、行政の目的を見失って、役所が自動運転、「目的、使命を考えない」「人類に対する犯罪」(ハンナ・アーレント)に成り下がっているからなのですね。
ジャスティンも、アーサーというお人よしだけれども、ジャスティンをどう育てたらいいのか分からないお爺さんと一緒にいなくちゃならなくなりましたね。