エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

発達トラウマ障害(DTD)と解離性障害の鑑別

2016-06-07 06:38:38 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

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≪いまここ≫をホントに生きてる?
   温もりと学び  見ることの三項関係 心はこの三つが結びついてできるものなのです 加藤周一のような...
 

 

 「発達トラウマ障害愛着障害」と診断・アセスメントすることの大事さを、改めて考えていただけたらいいですね。

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、ADHDと一番間違います。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : developmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の56日目。

 今朝は、妥当性と信頼性の章の27日目。今日は、解離性障害。躁うつ病のことです。

 

 

 

 

 

解離性障害

発達トラウマ障害(DTD)は、解離という特別な症状がある場合があります。しかし、(a)自分が生きている感じがない、あらゆるものに現実感がない、多重人格のような解離障害が主たるものは、発達トラウマ障害(DTD)に含めない、(b)特に、気持ち、身体の状態(発達トラウマ障害(DTD)の診断基準B1)が分からないか、人を避ける(発達トラウマ障害(DTD)の診断基準C5で、必ずしも解離がなくても良い)場合だけを発達トラウマ障害(DTD)と言います。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子どもで、解離の人はかなり多いです。ここでヴァン・デ・コーク教授が明らかにしているみたいに、解離と言っても、多重人格のような解離は、解離が主症状になるので、発達トラウマ障害(DTD)には含めない。発達トラウマ障害(DTD)の解離は、「授業中ボウッとしている」、「手遊びをやめない」、「いつも、うつむいている」と言った感じの子どもで、30人のクラスに4~5人はいる感じです。多いクラスでは10人以上います。

 

 

くちなしの香りは、いい。真実の香り

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インターメッツォ :  優しさと正しさ

2016-06-07 04:02:32 | 聖書の言葉から

 

 

 
「タケノコ」も場所を気にしない話
  ルターにとっては、トイレが面接室でした。 Young Man Luther 『青年ルター』p204の第4パラグラフ下から6行目から。 &...
 

 

 さて、こんばんは、今日は、山浦玄嗣さんの言葉から(『イエスの言葉 ケセン語訳』文春文庫)。この「エリクソンの小部屋」を始めるきっかけを作ってくれたのが、山浦玄嗣さんであり、『イエスの言葉 ケセン語訳』でしたね。

 

 

 

 

 

    すると、正しい人が王(=イエス)に答える。

 原文のディカイオスな(正しい)人びとです。この形容詞の名詞形ディカイオスューネーが「義」と訳されてきた…この「義」も、日本語の義というよりも、「やさしさ」といたほうがいい場合が少なくない…。

 

 

 

 

 

 「正しい」ことは決まりを守ることだと勘違いするのが、お役所仕事であり、バカ役人の習慣です。しかし、それ自体が「正しいこと」ではありません。むしろ、大間違いや狂気の始まりであることの方がはるかに多い。それは、ハンナ・アーレントが指摘する通りでしょう。

 「正しい」ことは、「やさしい」ことだ、とすると良いですね。それは、浜矩子さんが、憲法の活かし方として、もらい泣きする、「涙する眼」が大事だとするのと、重なります(涙する目と懲戒免職)。人に「やさしい」ことは「正しい」ことだとすると、より一層分かるはずです。

 

 

 

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役立たずと役立つ者

2016-06-07 02:36:25 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
「怒り+不安」の風
  やり取りができない人、それはプライベートな人、すなわち、それは、「何かか奪われている」、「何かが足りない」人なんですね。ピーンときますもんね。そういう人を前に...
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害の子どもには、その子どもを生活の中で、1人の子どもとしてトータルに見る視点と、継続的に関わる支援が必要不可欠です。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.129、第3パラグラフ、下から7行目途中から。

 

 

 

 

 

この手の医者たちは、ジャスティンの「静的脳症」は、未知ですから治療もできない、何か出産時の手違いによるものだと思っていました。このような重度の脳障害を示す子ども達と無言で諍うなら、医者たちが治療関係に応えていない、ということでしょう。要は、この医者たちがアーサーに言ったことは、「お子さんは、脳障害は治りませんし、自立もできません。」と。ですから、アーサーはさらに援けを求める気にならなかったわけです。

 

 

 

 

 ヴァン・デ・コーク教授が、トラウマ・ドラマをボストンの公立学校でやろうとするのを邪魔したバカ役人も、ジャスティンを誤診した医者達も、発達トラウマ障害(DTD)の子ども達のためにはならない。

 どういう人が、発達トラウマ障害(DTD)の子どものためになるのでしょうか? それは、ルーティーン・ワークも、組織も、超えるものを大事にできる人でしょう。

 

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自分の手で、将来は変えられるぜぇ!!

2016-06-07 01:19:06 | 聖書の言葉から

 

 

 
≪いまここ≫をホントに生きてる?
   温もりと学び  見ることの三項関係 心はこの三つが結びついてできるものなのです 加藤周一のような...
 


 日本でも、アメリカでも、バカ役人は、子どもの人権や人格よりも、決まりを優先しがちです。人類への犯罪者ですね。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.342の、初めから。

 

 

 

 

 

可能性プロジェクト

 

 ポール・グリフィンのニューヨーク市の「可能性プロジェクト」では、役者たちには、出来合いの台本は渡されません。その代わりに、9カ月以上に渡って、役者の人たちは週に3時間会い、自ら一編のミュージカルを書き、そのミュージカルを何百人もの人の為に演じます。20年の歴史の中で、「可能性プロジェクト」は、1人の腰の据わったスタッフと強固な伝統を育んできましたね。ぞの制作チームも、卒業したばかりの卒業生たちがメンバーで、プロの役者やダンサーや音楽家の人たちの助けを借りて、台本を書き、舞台をデザインし、振付を考え、新入りのためにリハーサルをします。こういった新卒業生たちは、どういう役回りをすればいいのかを示す強烈なモデルになります。ポールが言うように、「新卒業生がこのプラングラムに入ってくる時、生徒たちは何か新しいこと等できはしないと思い込んですまよ。でもね、こういったプログラムを一緒にしているとね、自分の将来にとって、経験を変えられる、って感じになっちまうんですよ」ということでしょうね。

 

 

 

 

 

 これは大きな変化です。発達トラウマ障害(DTD)の子ども達、青年たち、大人たちは、根源的不信の塊です。ですから、人も信じられなければ、自分も信じられませんし、未来に対して、「どうせダメだろぉ」という感じが強烈です。

 一緒に演じることを考え、実際に演じていくことが、そのあきらめの境地を変えることが出来る。素晴らしいですね。

 自分の手で、将来は変えられるぜぇ!!

って思えるようになるのですからね。

 

 

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