エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

虐待もネグレクトも、息苦しい

2016-10-15 09:39:07 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
私どもにも必要なのは チッチャナ言葉だけ
  ルターも詩人。 Young Man Luther 『青年ルター』p.233の第3パラグラフから。      「Ein Woertlein k......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.137、第2パラグラフ、5行目途中から。

 

 

 

 

 

ある時、マリリンが教えてくれたんです、「昨日の晩、歯磨きをしていたら、そこらじゅうを鞭で打たれたみたいな気持ちに圧倒されたんです。まるで陸に打ち上げられた魚みたいに、身体を激しくバタバタさせて、息が苦しくて、もがき苦しんだんです。泣きながら、喉を詰まらせながら、歯を磨いたんです。そこらじゅうを打たれた感じだけじゃなくて、パニックが胸から湧いてくる感じもしたんです。全身全霊で、『NOぉ――』と叫んだんです。シンクの前に立ってた時です。」と。マリリンはベッドまで行くと、眠り込んだんですが、その晩は、2時間ごとに眼が醒めたんです。

 

 

 

 

 

 虐待やネグレクトの体験は、首を絞められるみたいに息苦しい体験なんですね。それは言語化できなくても、この本のタイトル『身体は覚えてる』みたいに、身体は、虐待やネグレクトの息苦しさを知っているんです。

 マリリンが、首を絞められる夢を見たり、息苦しいフラッシュバックを起こしたのも、虐待とネグレクトの息苦しさを証明する一つだと言えますね。

 

 

 

 

 

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発達トラウマ障害(DTD)の子どもには、心理教育では、到底太刀打ちできませんからね

2016-10-15 07:10:08 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

紀伊国屋書店が、ヴァン・デ・コーク教授の、この本を、翻訳出版しました。これで、あの人も読めるようになりましたね!

 

 
自分の悩みを、人様のために役立てる生き方
  このあたりを読んでますとね、日本が、これだけ社会全体が狂ってきているのと、たくさんの人の心が病になっているのは、共通する背景がある、ということが分かります。その背景は、......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p161、第2パラグラフ、下から5行目から。

 

 

 

 

 

 悪魔儀式の虐待に対する物的証拠もありませんでしたし、この事件が世間で騒がれるまで、「記憶の回復」セラピーも科学的に試されてきませんでした。「記憶回復」のセラピストやワークショップのトレイナーの人達は、「子ども達は性的虐待のことでウソは言いません」と教えてたんですね。だけれども、そのようなことを教える根拠となる経験を、持ち合わせていた訳じゃなかったんですね。

 

 

 

 

 

 ここを読んでも、この「悪魔調査官」たちと、被災地派遣の自称「専門家」達は、全く同じですね。被災地の子どもたちの実態がよく分かっていないのに、20年近く前の経験がそのまま当てはまるはずだ、という甘い幻想に囚われて、大間違いを教えているからです。ヴァン・デ・コーク教授は、発達トラウマ障害(DTD)は、サイコセラピー・薬物療法・各種のボディーワーク(演劇も含む)の組み合わせが有効だ、とハッキリとこの本の中で言っているのに、そして、その自称「専門家」の1人は、「その(ヴァン・デ・コーク教授の)本は買ってある」と言っているのに、英語が読めないから、読んでないんですね。

 彼らは「心理教育が役立つ」と間違って、言ってますが、発達トラウマ障害(DTD)の子ども達には、心理教育では到底太刀打ちできないのは、1ケースでも、発達トラウマ障害(DTD)の臨床をすれば明らかです。

 

 

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インターメッツォ: 魂のリアライズ

2016-10-15 06:03:24 | 間奏曲

 

宇多田ヒカルさんが見つけた「道」は、このような「光の道」でしょうね。

 
自分の頭で考える
         今朝の朝日は美しかったですよ。   暗い話題やおバカで狂気なことが、次から次におきますので、いくら能天気、極楽トンボの私でも、「いい加減にして......
 

 昨日は、移動のために、4本目の投稿がかなり遅くなりましたが、その最後のブログ「改訂版 : 東日本大震災の心のサポートのために...」が、ご覧になった方が一番多かったみたい。

 まさかね、公費を貰って来ている「専門家」達が、ズブの素人だ、って、ふつうは想像だにしませんよね。宇多田ヒカルさん続きですが、「それは事実」!!

 ですから、彼らは被災地の人々のために来ているのではなく、自分の面子のため、自分の社会的地位を保つため、公費=税金をチャッカリ着服するために「着」ている訳ですね。

 さてさて、今宵も、今朝も、
ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。p.151-2。少しスキップしますが、昨日の続き、と言ったところ。

 

 

 

 

 

 私はこの「空中ブランコ」を、5年間に何十回も見ましたけれども、決して飽きませんでしたね。いつでも、何か新しいもの、何か特別なもの、何かピチピチしたものがありますよ。宙に浮いている彼らを見る度に、いつでも同じ深い気分を感じんですね。それは、父と始めて、この「空中ブランコ」を見た時と同じ気分です。その気分を言葉にするのは難しいんですけれども、魂が形になる(訳注:イメージとそのイメージに結びついた話言葉が、現実になること、リアライズすること)体験です。それは同時に、身体と魂が完全に一致する体験です。

 

 

 

 

 

 

 素晴らしい!! ですね。

 でも、これは、自分に、人に、誠実に、謙虚に、向き合っていれば、どなたでも体験できることではないか、と思います

 

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宇多田ヒカルさんの「道」

2016-10-15 05:18:23 | 間奏曲

 

 

 
ヴェトナム戦争で戦うよりも苛酷な日常
   本物の生き方とは?  スピリチュアルな人間が必要みたいですね。 p108 下から9行目途中から。     ...>続きを読む ......
 

 先日のブログでも書きましたけれども、宇多田ヒカルさんが、「Songs」のインタヴューで語っていること、その歌の歌詞を耳にして、本当に、涙が出るほど感心したんですね。「誰からも「自分と向き合え」なんて、言われないけれども…」とおっしゃっていましたけれども、その話ぶりから、深く内省していることが感じ取ることができました。

 「花束を君に」も良いのですが、今宵は「道」のお話。

 http://www.utadahikaru.jp/lyric/もご参照ください。

 この「道」の歌詞の中には、「魂彩る」、「問う」、「私の中にあなたがいる いつ如何なる時も」、「人は皆生きてるんじゃなくて生かされてる」、…。

 ここからだけでも、これはエリクソンが言う「根源的信頼」≒「自分を人を信頼して、自分らしく(それぞれのミッションを)、イキイキ生きる」のことを歌っていることがハッキリと解かります。

 そして、その道は、必ず、

「It's lonely road

   But I'm not alone

   そんな気分」

 になる訳ですね。

 「その道(生き方)は、孤独な道(生き方)

  でも、私は1人じゃない

  そんな気分」

  

 solitude ソリチュード 「1人の豊かさ」、1人なのに繋がりを感じて、深い悦びが湧き上がっている感じ…。

 

 この曲を聴くと、そんな気分!

 

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