エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

お役所仕事の「人類に対する犯罪」ぶりと、ブルース・ペリー教授の熱い仕事ぶりのコントラスト

2016-10-02 05:43:51 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
SEALDsの奥田愛基さんの3つの「なるほど」 改訂版
   「愛着障害」が爆発的に増加したのは、労働環境が劇的に劣悪化したからだ!  小学生の半分が、極めて軽度も含めると、「愛着障害」と申し上げました。「ち......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p158の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 この関わりすべてが、大変な間違いだったんじゃないですか? 罪もない親たちは、良く調べもされずに、子ども達を悪魔教団のヒステリーに取られた、とされたんじゃないですか? テキサス州はギルマー群で本当にあったのは何だったんでしょうか? アメリカ式養育家庭の16人の子ども達(2歳から10歳)にあったことが解かった時すぐに、関わらなくっちゃ、と思ったのでした。

 

 

 

 

 お役所仕事の人類に対する犯罪ぶりと、本物の臨床家ブルース・ペリー教授の熱い仕事ぶりのコントラストが鮮やかです。

 これは何もアメリカの、テキサス州の話だけではないんですね。発達トラウマ障害(DTD)の人たちがお役所仕事のために苦しめられているのは、今のニッポンでも同じですから、真面に仕事をしたいと思えば、ブルース・ペリー教授ほどではなくても、同様な働きをせざるを得ません

 

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ネグレクトも虐待も「臨死体験」

2016-10-02 04:55:49 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
声の力 改訂版
  言葉には、出来事になるという目的がありますから、その目的を意識することが、いつでも何度でも、必要です。 Young Man Luther 『青年ルター』p.230は......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.134の第2パラグラフから。 

 

 

 

 

 

 マリリンは、無力な子どもがいかにして口を閉ざしてしまうのか、いかにして頼まれたことに応じてしまうのか、を理解しようとし始めました。マリリンは、以前は自分を消し去ることで、そうしていたんですね。つまり、父親の足音が、寝室の外の廊下ですれば、「頭がボウッとして、何があったのかが解らなくなる」状態になったものです。似たような体験をした別の患者さんは、その過程がどうなっているのか、絵(訳注:上の写真)を描いてくれました。父親がその女性患者さんを触り出す時、その患者さんは自分を消し去って、天井に浮き上がった感じになって、ベッドにいる誰か別の女の子を眺めていたんです。その女の子は本当の自分ではない女の子でした。性的虐待されたのは、別の女の子でした。

 

 

 

 

 

 こうなると、性的虐待って、臨死体験ですね。まあ、ネグレクトだって、結局は、臨死体験でしょ。時間を掛かっても、魂が殺させる点では、変わりがないんですからね。

 

 

 

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インターメッツォ: 許し合うことが全て

2016-10-02 03:39:06 | 間奏曲

 

 

 
見通しを持って、生きているのかなぁ? 改訂版
    希望の光 輝く見通し  アベシンちゃんと悪魔の仲間たちのように、力に頼ろうとする者ほど、人を信頼できない人です。加藤周一さんが「熱烈な愛国者の多くは、隣人を愛せ......
 

 もうひとつ、ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction p.120から。

 

 

 

 

 

 やり取りのある集団は、お互いに相手を、「77回」許し合う気がなければ、成り立ちませんよ(『新約聖書』マタイによる福音書18:22)。赦すことは、やり取りのある暮らしを結び付けてくれます。お互いに相手を許し合えば、良い時も悪い時も一緒でいられますし、お互いに相手を大事にする関係を育むこともできますものね。

 

 

 

 

 

 

 古代ユダヤの時代は、食事をするのも、いろんな作法ややり方がありました。一緒に食事をしても良い人も限られていたんですね。『新約聖書』の福音書にも良く出てきますけれども、貧乏な人々、当時は、「罪のある人」「まともな暮らしができない奴」と蔑まれて、一緒に食事をしたらいけない連中だと見なされていました。「罪深く」「許されない存在」「どうせ地獄行の連中だ」という訳です。そのことを知っていたら、このナウェンさんの言葉も合点が生きやすいでしょ。

 また、コミュニティ、コミュニケーションなどの源の意味は、この「飲み食いを共にする」という意味であることを知っていたら、このナウェンさんの話が、さらに分かりやすくなりますよね。

 でも、今の日本で、この「公式」は当てはまりますでしょ。日本では「狭い身内」「タコツボ型の身内の組織」の「内輪」だけが、インナー・グループですから、それ以外は、「よそ者」。わざわざ連絡網を、四角い枠で何重にもくくって、「内」と「外」をハッキリ示す連中もいますよ。「人類を2つに分けるウソ」に猛毒を知らない輩です。

 「人類皆兄弟」、「みんなちがって みんないい」となるためには、ナウェンさんがここで示してくれているみたいに、許し合うことが不可欠です。許し合うから、やり取りが出来るんです。ですから、許し合うことが全ての始まりです。

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : エリクソンが明言する、「あらゆる罪の中で最大の罪」

2016-10-02 02:13:12 | 間奏曲

 

 

 
SEALDsの奥田愛基さんの3つの「なるほど」 改訂版
   「愛着障害」が爆発的に増加したのは、労働環境が劇的に劣悪化したからだ!  小学生の半分が、極めて軽度も含めると、「愛着障害」と申し上げました。「ち......
 

 昨日の続きの部分で、Young man Luther 『青年ルター』p.70.から。

 

 

 

 

 

 いつの日か、おそらく、事情に詳しくなり、熟慮を重ね、しかも、心がこもった確信が広く生き渡る日が来ることでしょう。その確信とは、人がしてはならない最大の罪は、子どもの魂を殺すこと、ということです。なぜなら、そのように子どもの魂を殺してしまえば、「信頼できる」という人生の指針が根こそぎにされてしまうからです。「信頼できる」という人生の指針がなかったら、あらゆる人間の振る舞いは、たとえ、とってもいい感じがしたり、正しい感じがしたとしても、様々な破壊的な悪い良心が醸し出す疑り深いまでの用心深さのために、台無しになりますからね。

 

 

 

 

 

 

 ここなどを読むと、エリクソンは発達トラウマ障害(DTD)の子どものことを知っていたと思いますね。もちろん、発達トラウマ障害(DTD)のと言う言葉は当時はなかったですよ。でも、Jeanのような自閉症の少女や、Robertの様な貧しい黒人の少年など、他のセラピストが見放したケースを診ていたエリクソンですから、当然の発達トラウマ障害(DTD)の子どもが含まれていたと考えて、間違いないでしょう。

 なぜなら、発達トラウマ障害(DTD)こそ、ここでエリクソンが言っている「子どもの魂を殺した」子どもなんですからね。ですから、発達トラウマ障害(DTD)の人はセラピーをしない限り、30歳になっても、50歳になっても、80歳になっても、魂は0歳、赤ちゃんと変わらないんです。

 

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