エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ニッポンの裁判官は、自分の出世のために、法の正義や良心をドブに捨ててるのが普通!

2016-10-13 08:16:34 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

ヴァン・デ・コーク教授の本、売れ行き好調!  下は、この本(ただし、上の本のようなペーパーバックではなく、ハードカバー本の物)のカバーの内側の文書と、ヴァン・デ・コーク教授の写真。

 
腑に落ちるとトラウマ
  自分自身を失ったら・・・。  トマスによる福音書では、見失った羊は、一番デカい羊。それは「本当の自分」だから。 p353第3パラグラフ。   .........
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p161、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ヴァーノン一家に関わった、児童保護局のケースワーカーの人たちやアメリカ式養父母は、そのピークにおいて、この文化的に錯綜した状況の、洗礼を受けたんですね。この子ども達が養子に出された1990年当時は、この子どもたちの面倒を見たアメリカ式養父母達やケースワーカーの人たちは、「悪魔教団儀式における虐待」の勉強会に出てたんですよ。その地区の首席検事が、この事件に関わり合いたくなかったのは、以前に被告の代理人になった時に、児童保護局のケースワーカーの人たちが、地方判事を検事役に指名したからでした。

 

 

 

 本来は、法と良心にのみ忠誠を誓うはずの、検事や裁判官が、文化的混乱の悪影響を受けてしまう。悪魔教団の虐待事件は、その文化的混乱の最たるものだったらしい。アメリカの検事や裁判官もそうなんですからね。

 日本の検事や裁判官、自分の出世のためには、法の正義や良心は、ドブに捨ててる場合が一般的です。

 

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発達トラウマ障害(DTD)の人は、殺し合う戦場にいるのと同じ?

2016-10-13 07:30:39 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
実感主義のルターの聖書
  ルターが、話し言葉であるドイツ語で翻訳したのはバイブルが本当に実感を持って読むことができるようになるためです。 Young Man Luther 『青年ルター』p.......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.136、ブランクから。

 

 

 

 

 

 トラウマを繰返す

 マリリンが子どもの頃に負わされたトラウマの記憶の1つは、夢になって現れました。その夢の中で、マリリンは、まるで自分が首を絞められて、息ができないみたいに感じたのでした。白い水拭きタオルで両手が縛られて、首の周りのところを、そのタオルで締め上げられたので、マリリンは足が地面に届かなかったんです。マリリンは、ギョッとして跳び起きました。それで、死ぬところだったって思ったんですね。マリリンの夢の話を聴いて、退役軍人の人たちが私に話してくれた悪夢を思い出したんです。正確に申し上げると、退役軍人の人たちが戦場で出会った、いろんな顔やいろんな身体の一部の完璧なイメージを思い出したんですよ。こういった夢は、とってもオッカナイので、夜眠れなくなりますもんね。昼間にウトウトするのが精いっぱい。昼間の転寝と言えば、夜の待ち伏せ攻撃を連想しますよねウカウカしてならない感じだったんでしょうね。

 

 

 

 

 マリリンも、「戦場で待ち伏せ攻撃」を受けたので、戦争に言った軍人みたいに、死にそうな夢を繰り返し見たわけですね。

 発達トラウマ障害(DTD)の人が毎日味わう苦しみは、戦場で軍人たちが期間限定で味わる苦しみと同じ位、苦しい、ということでしょうね

 

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インターメッツォ: #エリクソンの叡智 : #退行する恵み #自由になる道

2016-10-13 02:21:47 | 間奏曲

 

 

 
今どきのニッポン
    今の日本に心の病が多いことと、今の日本に、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちを代表選手に、東電、東芝、朝日新聞などの一部上場企業から、西武学園などの私立の学校ま......
 

 「変なことをまた言うの?」、そんな声が聞こえてきそうです。

 でも、真実は二律背反に思えるところにあるのですから、「変」じゃ、ないんですね。人格的真実とは、そういうものなんですよ。

 Chilhood and Socirty から。p.57-8から。

 

 

 

 

 

 その子が「退行しました」。赤ちゃん返りをして、甘えん坊になり、破れかぶれになって、もうこれ以上失くさないように、「くっ付く と同時に,待ち続け ました」。それが、以前ならしたことでしたね。…その子の遊びを見れば分かりますが、その子がしがみついているものは、様々に解釈できます。…フロイトは、それを「多くの要因があること」と呼びましたよね。…その子は、失った関係のどちらの立場にも自分を重ねているんですね。つまり、その子は今子どもと一緒にいる看護士であると同時に、その看護士が世話をしている赤ん坊でもあります。いろんなものを失ったことから生じる、自分を重ねる相手というものは、得てして、こういうものです。悲しみの中にあれば、私どもは、喪った相手の立場になると同時に、その失くした関係が一番蜜だった頃の自分らにまたなることでもあります。こういったことが、一見二律背反に見える症状を生み出すものですね。

 

 

 

 

  退行しているように見えると、「しっかりしなさい」なんて言いたくなる人、いませんか?

 妹か、弟が生まれた時に、お兄ちゃんやお姉ちゃんが、赤ちゃん返りをする…。下の兄弟が生まれることによって失くした母親との以前の関係、その悲しみ。赤ちゃん返りをすることで、失ったお母さんの立場になると同時に、一番蜜だったころの自分と母親の関係にも、自分を重ねてみる…。それによって、失った関係を、自分の心の中で折り合いのつくものにしよう。誰にも教えられないのに、子どもは、人は、そのことを知っているんですね。

 そうすることで、別れや喪失の多い、この世に中での暮らしの中で、自分が確かにされる生き方の練習をしている訳です。新しい生き方の始まりです。

 退行することは,自由になる道を得るための恵みです。

   June 24, 2020 訂正

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インターメッツォ: 落ち目になる悦び

2016-10-13 01:11:18 | 間奏曲

 

 

 
腑に落ちるとトラウマ
  自分自身を失ったら・・・。  トマスによる福音書では、見失った羊は、一番デカい羊。それは「本当の自分」だから。 p353第3パラグラフ。   .........
 


 落ち目のなる、負ける、負け犬、落ちぶれる…。どなたでも、そうなりたくないものの代表。悦びなんぞ、あるはずない、と思うのが普通ですね。あるのは、悔しさ、悲しみ、惨めさ、…?

 でも、「負けるが勝ち」、「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」の場合もありますね。

 それが人生の不思議なのかもしれません。

 今宵も、ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。p.137。

 

 

 

 

 

 私どもが暮らしている世の中は、数え切れない位に、人生は上向きだとしているところがありますね。一番になる、スポットライトに当たる、新記録を作る…それが人の注目を引くことですし、私どもが紙面の巻頭記事に惹きつけられ、お金と名声が得られるものですもんね。世間の価値では、上昇志向が価値あることですね。…

 イエスの生き方は、世間の考え方とは、根っから違いますね。その生き方は、落ち目になる生き方です。後塵を拝することでしたり、表舞台には出ずにいたり、末席に甘んじたりすることです。何故、イエスはそんな真似をするんでしょうか? それはね、それが、神の国に繋がる生き方だからですし、この生き方こそが、いつもイキイキ、ピチピチとした生き方ができるからです。

 

 

 

 

 

 

 エリクソンが教えてくれる「救い」 : ツェダカーとヘセドもよろしくね。

 

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