エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

大人の意を汲んでウソを言う子ども

2016-10-18 23:50:14 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
控えめで、ユーモアセンスのある言い方
  ルターとその他の修道士らとは、対照的でした。 Young Man Luther 『青年ルター』p.234の第2パラグラフ、14行目途中から。    ......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p162、第2パラグラフ、6行目途中から。

 

 

 

 

 

性的虐待について、子どもが自発的にウソを言うことは稀だけれども(ただし、ウソをつくこともあります)、大人からウソをつかされることはあり得ます。その大人は、自分が聞きたい話を子どもに言わせていることに気が付きません。あからさまな強制は要らないけれども、これから見て見るように、それが事態を余計に悪いものにするかもしれません。

 

 

 

 

 

 大人の意を汲んで、子どもがウソをつかされることは、実に多い。子どもは、素直ですから、大人の意を組むことも多いからです。

 性的虐待に関しても、さっきのブルース・ペリー教授の話と同様、性的虐待に馴れる症候群、と言うものがあるくらいですから。

 

 

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性的虐待馴れ症候群

2016-10-18 21:16:44 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
控えめで、ユーモアセンスのある言い方
  ルターとその他の修道士らとは、対照的でした。 Young Man Luther 『青年ルター』p.234の第2パラグラフ、14行目途中から。    ......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.138。第9章。

 

 

 

 

 

 

 自分を人を大事にする気持ちとそれと、なんの関係あるの?

 

 

 入会の儀式、脅し、非難、孤立無縁、自分を悪く言うことは、子どもの頃の性的虐待を怖がるからです…。「こんなことは、心配しなくてもいいよ。内にはそんなことは一度もないから」、「どうして、そんなに恐ろしい子と考えないの」、「そんなことは、2度と言っちゃダメなんだから」。こんなことを言われたら、子どもは2度と性的虐待のことを訊かなくなりますし、話さなくなります。

                         ロナルド・サミット『子どもの性的虐待』

                             性的虐待馴れ症候群

 

 

 

 

 

 人間は、性的虐待にも馴れてしまう存在です。

 それは、会社や組織のために、ウソやゴマカシをやる場合、最初は「ちょっと変」と感じ居たことが、繰り返す内に、慣れっこになって、「何にも気が付かない」ということになり、ウソとゴマカシに、鈍感になってしまうますのと似ています。

 

 

 

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インターメッツォ: 激しい怒りと発達トラウマ障害(DTD)

2016-10-18 07:08:17 | 間奏曲

 

 

 
民主主義的人間像 改訂版
  いま日本は民主主義の危機です。民主主義を進める人、民主化の担い手はどんな人物なのかを確認したくなりますね。そう考えると、政治学の人、たとえば、丸山眞男教授や、福田歓一教......
 

  Chilhood and Socirty から。p.79から。

 

 

 

 

 

 最初の「口の舞台」に関して、私どもがお話したのは、赤ちゃんが物事を受け止めるバターンと、お母さん(文化)が物事を手渡すパターンが、やり取りすることです。ところが、この段階の特徴は、激しい怒りや怒りが出て来るのは避けがたい、ということです。それは、このやり取りが、補うようなことをしても、赤ちゃんとお母さんそれぞれのニーズに、ピタァッとしっくりいくわけではないからです。

 

 

 

 

 おっぱいを貰ったり、オシメを換えてもらったりする時期に、激しい怒りや怒りが出て来るのは避けがたい 、と言いますね。100%、貰うことに依存している存在が、激しい怒りを持つ。通常ですと、「なんてわがまま」、「許せねー」ということになりますね。でも、赤ちゃんだけは特別です。すべてが貰うことに依存していも、激しい怒りがあっても、許されます。

 でも、許されない場合がありますね。簡単に言えば、それが発達トラウマになる訳です。その発達トラウマは、お母さんが赤ちゃんに許しを与えたみたいに許しを貰う時に、癒されるわけですね。

 ですから、

 子どもには、「自由で守られた自由な時空」が必要なんであって、そこには、お母さんみたいな「理解ある大人が一人」必要です。

 

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インターメッツォ: 本物のお祈り

2016-10-18 04:34:45 | 間奏曲

 

 

 

 
トラウマは、昔話じゃぁ、ない⁉
   大いなる福音 : ≪いまここ≫におられる神  「放蕩息子」の譬え、長い譬えです。しかし、許しがはじめから予定されていることが何よりの福音であること......
 

 

 ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。今宵は、p.56。 お祈りについて、ナウェンさんのお話。

 

 

 

 

 

 クリスチャンに対して、「テサロニケ人への手紙」の中で、パウロは次のように書いています。「いつでも、悦んでいなさい。常のお祈りしなさい。すべてのことに、感謝しなさい。これは神のご意志なんですから」。パウロは、ずっとお祈りしてればいい、と言ってるんじゃありません。お祈りを実行しなさいと言っているんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうすると、ピスティスが、「信頼して行動を起こすこと」であり、コンパッション・「人の気持ちが分かる」ことが、「食べ物や手当をプレゼントすること」であるみたいに、お祈りも、日曜日や教会、祈祷会で、その場限りでやるものではなくて、毎日の生活の中で、実行、実践するもの、というのが、ナウェンさんの主張です。私どもも、そうありたいですね。

 

 

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