エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

発達トラウマ障害(DTD)は、膿を出しても、治りません!

2016-10-31 08:22:36 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
信頼という天来の恵み
   あなたは、子どもを操縦してませんか?  フロムとエリクソン、精神的には親戚でしょうね。 p115の7行目から。     ...>続きを読む......
 

 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p165、第2ラグラフから。

 

 

 

 

 

 ですから、この子ども達が、その子ども達が負わされたトラウマに「折り合いを付け」、養父母たちと絆を作るためには、ラぺス一家もバーバラ・バースも「抱っこ」療法を始めました。もう1つ、致命的な思い込みが物を言ったのは、まさにここでしたし、今も精神医学の世界では蔓延している思い込みです。私はそれを「精神病の膿」理論と呼んでいます。これは、切開しなくてはならないオデキみたいに、ある種の記憶が毒になり、トラウマから回復するためには、毒になっている記憶を掘り起こして、話し合わなくてはならない、という考えです。セラピーでは、患者さんひとりびとりの生まれ育ちの中にある「ロゼッタ・ストーン」を探すのに、何時間も時間を賭ける場合が多い。それは、自分の人生に合点がいって、当座の問題がすぐに解決する記憶を1つ見つけようと(訳注:誤解)しているんです

 

 

 

 

 

 これは、暴露療法にも通じる間違いですね。私の経験からすれば、直接的に虐待やネグレクトの経験を言葉にせずとも、象徴的に その経験の核になっている「一人ぼっち」に肯定的な意味があることをハッキリと示す物語ができると、ビックリするほど人格が変わりますね。

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 子どもが、「その子ならでは」になる時

2016-10-31 02:58:50 | 間奏曲

 
大いなる恵み   「≪私≫という感じ」の大切さ その1 
   今の日本にも活かせる、バルメン宣言  バルメン宣言。そう聞いて、それを知っている日本人は、10人の内1人もいないでしょう。しかし、そのバルメン宣言......
 

  Chilhood and Socirty から。p.235から。昨日の続き。

 

 

 

 

 

 子どもは、自分が確かにされる感じに、確かな出ごたえのある力を得ることができるのは、子どもが「出来た!」と心からいつでも言える時だけだ、ということなんですよ。

 

 

 

 

 

 時間と場所とやることの3つを、子どもが自分で決めることができること。これが何よりも大事です。時間と場所とやることを自己決定出来れば、この3つの見通しを確かにできますでしょ。でも、そうするためには、その時間と場所とやることを見守る大人が一人必要ですね。「共に見通す」です。「共に見通す」ことができるから、子どもは自分を確かにできますし、良心も自分もできる訳ですね。

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インターメッツォ: 書くって、不思議!!

2016-10-31 02:31:20 | 間奏曲

 

 

 
身体の声に耳を澄ませば
  発達トラウマは、その元になった体験が無意識に落ちてますから、それをホッタラカシにはできません。発達トラウマ治療は、ですから、基本が、その根っこの体験に直面すること、暴露......
 

  ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction、p.99. 今宵は、書くって、不思議!  です。

 

 

 

 

 

 書くことって、いろんな考え、いろんな気付き、いろんなヴィジョンを書くことだって考える人が多いでしょ。…でもね、これだと、本当に書くことはできませんよ。書くことは、自分の中でイキイキと生きているものを見つけることなんですからね。…書くことは、書く前には気付かずにいた、遊び・ゆとりに新に心開くことにこそ、一番の満足がありますからね。ですから、書くことは、行先も分からぬままに旅に出るようなものですね。書くことには、計り知れない程の信頼が必要です。… 私どもが、心に浮かんだいくつかの思いを紙の上に敢えて「プレゼントする」と、その思いの陰にどれだけたくさんの思いが隠れているのかに気付き出しますから、自分1人の豊かさと、命の源にだんだんと触れることができます

 

 

 

 

 

 書くことは神様からのプレゼント。神様の豊かさと、神様から頂く命の輝きを実感することに繋がりますこのブログの目指すところです。

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大川小学校は、ニッポンの学校の狂気の象徴 : 教員もバカ、市長もバカ、の巻

2016-10-31 01:34:42 | 間奏曲

 

 

 
壁社会ニッポンを≪超越≫する エイチな話
    今は恵みの時、今こそ救いの日  ≪私の時間≫、それは、≪生きる意味≫に気付き、それを深めて、日々の暮らしに活かすカイロス、恵みの時。 p359下......
 

 

 「宮城県石巻市の大川小学校の津波訴訟で、石巻市議会は賠償を命じた判決を不服として、市が提出した控訴する議案を賛成多数で可決した。」とのニュースが流れました(http://www.news24.jp/articles/2016/10/30/07345116.html)。

 大川小学校の教員も、大バカでしたが、石巻市長の亀山さんもバカ、石巻市議会議員たちもバカ、ということです

 大川小学校では、2011年3月11日、14時46分の地震が、3分ほど揺れた後、校庭に108人の子どもが集められた、といいます。

 教員らは何をしていたのか? 教員らは、子どもを校庭に置き去りにして、何処に逃げるかで口論していたと言います(http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html)。教員のバカ丸出しです。6年生や、迎えに来た親が「山に逃げよう」と言っているのに、その声も無視して、結局は北上川に向かった訳ですね。

 やっぱり、非常時には、日ごろからやっていることがそのまま出る訳ですね。

 日頃から、子どもや親を大事にして、子どもや親の言うことを大事にしていれば、「山に逃げよう」という子どもや親がいれば、「そうしましょう」ということになりますよ。

  いつでも子どもを置き去り(ネグレクト・無視)にして、物事をコッソリ決めて、口裏合わせのウソとゴマカシで取り繕う、というのが、大川小学校だけではなくて、今のニッポンの学校の現状です。ピカリと光る教員も例外的にいますけれども、ムラ社会学校にドップリのバカが多いのも事実です。だから、「山に逃げよう」という6年生や親の意見を無視して、川に向かって、子どもを殺しに行ったわけですね。74人の子どもが殺されたことは教員が日ごろから子どもを置き去りにして、無視している狂気の、悲劇的だけれども、必然的な結末に過ぎないのです

 

 

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