エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

悪魔教団の儀式をさせる親もヒドイが、それを助けたソーシャル・ワーカーもヒドイ:発達トラウマ障害(DTD)の子どもの周辺

2016-10-01 03:57:32 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
シャワーとフラッシュ それから、直感の芳香  改訂版
   「光の子どもの家」の教育方針  児童養護施設「光の子どもの家」理事長 菅原哲夫さんのインタヴュー、先日このブログでも取り上げましたから、覚えておら......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p158の、第3パラグラフ、10行目途中から。

 

 

 

 

 

この児童保護局のケースワーカーが申し分のない成績で、数々の法務長官賞や喝采を受ける以前のことです。告訴が、他の警官たち、郡の保安官たち、動物保護局の職員たち、FBIの代理人にさえに対しても、ギルマー群警察署長に対して以外にも、計画されてました。16人の子ども達は、親元から引き取られてはいましたけれども、次に行く場がなかったんです。

 

 

 

 

 

 悪魔教団の儀式に参加させた親もヒドイけれども、その子ども達を助ける立場のケースワーカーやその上司も、それと同じくらいヒドかった…。

 あってはならないことのようで、実によくあるケースです。ヤブ医者に、子どもっぽい教師もご参照くださいね。

 

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「普通」に見える親が、野獣のように、子どもに酷いことをしている現実:発達トラウマ障害(DTD)の子どもが溢れといるニッポン社会の現実

2016-10-01 03:22:54 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
ルターに学ぶ歴史的教訓
   調子の良い時ほど、原点と目的意識を忘れずにいたいものですね。 Young Man Luther 『青年ルター』p.230は第2パラグラフ、8行目途中から。 ......
 

 

 子ども性的虐待適応症候群なんて、本当に生き地獄でしょうね。

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.134から。 

 

 

 

 

 

 私もこの仕事を40年してますけれども、まだ「こんなことって、信じられない」と心の中でつぶやくのが常ですよ。それは、両親が自分の子どものことを話してくれる時にそう思うんですね。その親たちは私と同じように、そう簡単に信じることはないのですが、どうして、こんな拷問やテロを自分の子どもにするんでしようか? なかには、「冗談ですよ」だの、「大げさに言っただけですよ」などと言い張る親もいますよ。でも、そんな親はおしなべて、自分の境涯を恥じたり、自分を責めたりしていますね。ある程度は、その親たちは、子ども達に酷いことをしたのは、自分が酷い人だから、と分かつています。

 

 

 

 

 人間は、簡単に野獣になれる。見た目が野獣になる訳ではないので、本人も気が付かない内に野獣になっていることが圧倒的多数ですよ。むしろ、キチンとした身なりで、立ち居振る舞いも、非の付け所がない人が、野獣になっている、と言うのが現実です。それが、アイヒマン裁判を取材した政治哲学者、アンナ・ハーレントの、鋭い結論です。

 この親達も、見た目は「普通」に見えたでしょう。「普通」に見える親が、現実には、野獣になって、子どもに酷いことを来る日も来る日もにやっちゃっている、それが現実であり、「信じられない」と言いたくなる事実なんですね

 

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インターメッツォ その②:ヘンリー・ナウェンとマザー・テレサ

2016-10-01 01:23:45 | 間奏曲

 

 

 
赤ちゃんだった頃の、アベシンちゃんと悪魔の仲間たちを 見て見たい!
   自由と創造性の源はわがままなんですね。大人の度量が試されます。 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p78の第2パラ......
 

 

 昨日買った本から。ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction p.5から。

 

 

 

 

 

 むかし、2・3年前、コルカタのマザー・テレサに会うチャンスに恵まれました。当時、多くの問題で苦労していましたから、私は思い切って、このチャンスを生かして、マザー・テレサにアドバイスしてもらおうと思ったんですね。私ども2人が座るや否や、私は自分のいろんな課題について説明し始めました。いかにこの課題がこんがらかったものなのかを、マザー・テレサに分かってもらおうとしたんです。10分くらい念入りに説明して、話が途切れた時、マザー・テレサは、私を見つめて、静かに仰いました。「そうですね、1日に1時間、主の声を聴く時間を過ごして、いけないと解っていることを決しておやりにならないでいたら…、きっと上手く生きますよ。」、と。

 …宇宙のように大きく、正しい問いを問うて、その問いを生きていたら、正しい行動ができるというものですよ。そういう正しい行動って、なるほどそうなりますよね、と納得できるやり方で、実現するものでしょ。そのような問いを生きる為にも、正しいことを実行する為にも、神さまのスピリットに導かれているとはいえ、指針と勇気が必要でしょ。 

 

 

 

 

 

 アンパンマンのテーマで歌われているみたいに、「何のために生まれて、何をして生きるのか?」、大きな問いを忘れずに日々生きることが、とっても大事ですね。

 

 

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インターメッツォ:エリクソンの叡智:子どもっぽい大人、大人が怖い子ども

2016-10-01 00:50:53 | 間奏曲

 

 
シャワーとフラッシュ それから、直感の芳香  改訂版
   「光の子どもの家」の教育方針  児童養護施設「光の子どもの家」理事長 菅原哲夫さんのインタヴュー、先日このブログでも取り上げましたから、覚えておら......
 

 「エリクソンの小部屋」ですから、このブログの読者の皆さんも、エリクソンの言葉、エリクソンの叡智の人気が高いみたいです。

 今朝は、Young man Luther 『青年ルター』p.69-70.から。

 

 

 

 

 

 子どもに押し付けるようなやり方、すなわち、大人が、上に立ったり、屁理屈を言ったり、物やご褒美で釣ったりするやり方をしてれば、大人が大人になる必要がなくってしまいます。そういう大人は、あの、本物の心の気高さを育てる必要がなくなりますよね。そういう気高さが大人の方にあれば子どももその人の話を聴く気になるのにね。そういう大人は、気高さを育む代わりに、エバッタ態度で、「言ってること」と「やってること」を違えたり、勝手気ままなことをしたりします。要は、そういう大人は、子どもっぽい。子ども打つことで、子どもに大人の願望を押し付けるんですね。そうされた子どもは、大人が怖いから、大人が見ている時には、見てない時よりも、「良い子」のフリをするようになりますから、自分のことは棚に上げて、人には「正しいこと」を強制する、ケダモノの様な力を発揮するのを期待されていることになりますね。

 

 

 

 

 

 親の中にも、教員の中にも、よく見かける人たちです。エリクソンも同じ気もちだったんですね。そういう大人は、謙遜なフリをしていても、エバッタ感じと子どもっぽい感じが、必ず同居しています。傲慢で身勝手。

 そういう大人に育てられたら、子どもは大人を怖がりますよ。基督教独立学園の元校長の安積力也さんが、「親、大人を怖がる子ども」について、今年の初夏の「こころの時代」で触れていましたでしょ。「親や大人を怖がる子ども」がとても多いんです。発達トラウマ障害(DTD)の子どもが多いからです。

 安積力也さんや、金森俊朗さんや、エリクソンのように、子どもの言葉にならない言葉に真実に心を傾ける大人が、1人必ず必要です。

 

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