エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

胸糞悪いインチキ療法と、子どもが「未来を作り出す自由(子供の未来決定の自由)」

2016-10-24 07:47:17 | 間奏曲

 

 

 
主権者教育
   人を大事にできるのは、自己愛から卒業して、信頼が豊かになった人だけ  人を大事にする人は、どんな人でも大事にできますし、人を客観的にみられる人なら......
 

 

 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p163、第2パラグラフ、6行目途中から。インチキ療法のひどさの続き。

 

 

 

 

 

「抱っこ」療法の面接は、子どもが落ち着きを取り戻した時だけ、おしまいになりました。バカにされても、怒らず、親の言いなりになったら、おしまいになるんです。乱暴されたくなければ、いじめっ子が好きだと言わなくてはなりませんし、養父母やアメリカ式養父母に対して、「本当の」親だと言わなくてはなりませんし、「なんでもいうことを聞きます」って示さなくてはなりません。

 

 

 

 

 

 翻訳してても、「胸糞悪い」。お下品で申し訳ありません。

 これは、人間にとって、最も大事な「自由」、加藤周一さんが「人間らしい正しさ」≒人権の要と言う「自由」を蹂躙することです。子どもが大人の言いなりになったら、そういう社会は、必ず滅びます

 名古屋大名誉教授の安彦忠彦教授(神奈川大招聘教授)によれば、子どもは大人を乗り越える自由があるから、社会は発展するのです。ですから、子どもが「自分の未来を作る自由」(子供の未来決定の自由)を保証することが、いつでも、何度でも、大事になるんです。

 

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発達トラウマ障害(DTD)の子ども等が誤診される不幸

2016-10-24 07:06:24 | 間奏曲

 

 

 
愛着障害児支援に不可欠な自覚
  発達トラウマのある愛着障害の子どもが回復する最初は、子どもが笑顔になる場面を作るような関わりです。  ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the ......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.139。第4パラグラフ。精神疾患の診断の話。

 

 

 

 

 

 精神疾患の診断は、重大な結果を伴います。診断が治療も決めますし、間違った治療をすれば、悲惨な結果を招きかねませんでしょ。また、診断した病名は、人の人生に付きまとい、自分がどういう人間か? ということに決定的に影響します。実際に、「私は躁うつ病でした」、「私はボーダーラインでした」、「PTSDと言われました」と言う人にごまんと会ったことがありますもんね。それはまるで、モンテ・クリスト伯みたいに、地下牢行を宣告されたみたいなもんですよ。

 

 

 

 

 ここを読むと、発達トラウマ障害(DTD)の子どもで、ADHDだの、PTSDだの、うつ病だの、不眠だの、起立性失調症だの…と誤診されて、リタリンや、抗うつ剤や、眠剤などが出されている子どもがたくさんいることが、いかに罪深いか…も解かりますね。

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 偽りの前進

2016-10-24 01:27:06 | 間奏曲

 

 

 
「《私》という感じ」と真実な関係
   仏道は自己なり 「仏道は自己なり」とは、浜松市半田山の龍泉寺参禅道場の門にある、道元禅師の言葉です。仏教も、非常に心理学的だと感じさせる言葉ですね......
 

  Chilhood and Socirty から。p.82から。

 

 

 

 

 

 お互いに自分で自分をコントロールするということは、ここで(訳注:一歳半過ぎに)一番苛酷な試練に出逢うことになります。もしも、外から加えるコントロールが厳しすぎたり、早すぎたりして、躾は子どもが自分のお腹や働きを自由な選択と自由意思でだんだんコントロールとようとするやる気をそいでしまえば、子どもは二重に反抗し、二重に負け犬になることになります。自分の身体(ウンチが怖くなります。それはまるで、内側に住んでいる敵のオバケみたいです)も、外も頼りないから、その子は、退行したり、偽りの前進をしたりして、自己満足のコントロールを満たさざるを得なくなります。

 

 

 

 

 今のニッポンには、退行している人も、偽りの前進の人もごまんといますね。

 偽りの前進をさせられた人たちは、いずれ必ず「退行」しますしね。だいたいそういう子どもが、私どもサイコセラピストにお鉢が回ってきますしね。

 あるいは、子どもっぽい大人たち、あるいは、ウソとゴマカシだらけの、大人になり切れない大人たちが多いのも、「偽りの前進」の成果です。

 

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インターメッツォ: アダムが教えてくれたこと : 人がまとまる要

2016-10-24 00:04:22 | 間奏曲

 

 

 

 

 
≪真実の関係≫の基本の「き」
  あの世とこの世を分けるルターの考え方は、問題アリでした。 Young Man Luther 『青年ルター』p.235の第2パラグラフ、下から5行目途中から。 ......
 

 ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。今宵は、p.45。ナウェンさんのお話の続き。重たい知的障害の青年アダムから教えて貰ったということの続き。

 

 

 

 

 

 最後に、アダムが私に教えてくれたことは、まとまりのある集団ですね。「何かを共にすることは、1人でするよりも大事だ」ということです。私は1人でことをなすことに関心がある世界から来ましたけれども、今はアダムと一緒にいますでしょ、アダムはとても弱く、脆く、人なしにはいられません。私はアダムをホットケマセンもんね。私ども2人は、あらゆる人が必要です。…一番弱い人が私達を繋げるみたいに、アダムがまとまりのある集団を作り出すんですよ。アダムが私どもを1つにしてくれます。アダムはいろんな人を世話されなくてはなりませんし、脆い存在ですから、私どもは、本物の、人を大事にする、まとまりのある集団になることができます。

 

 

 

 

 

 

 日本にも「子は鎹(かすがい)」という諺がありますね。弱い存在が、人と人を繋ぐ要になる。

 石原慎太郎や、津久井やまゆり園の事件の犯人は、「弱い知的障害者には、存在価値がないから殺せ!」と言いますでしょ。人と人がまとまりがあること、やり取りする悦びを知らないから、そんなバカを言えるのでしょうね。

 ナウェンさんは、

 弱い立場の人が、人と人を繋げて、まとまりのある集団を作り出す

という真実を見つけることができました。

 逆に言えば、

 人が集団を作るのは、助け合い、補い合うためだ

 ということもハッキリ分かりますね。

 

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