エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

発達トラウマ障害(DTD)の虐待やネグレクトの記憶は作られる

2016-10-17 06:22:34 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
自覚から生まれる、あの光
  自分を確かにさせるのは、危機を乗り越えた時に初めてできることでしたね。「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」。 Young Man Luther 『青年ルター』p.234......
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p162、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 このようなやり方が、後々実際に試されたみたいに、試されていたら、催眠状態や、普通のセラピーの時も、記憶の回復は、セラピストの影響を受けやすい、と明らかにした研究が見付かったでしょうにね。また、多くの人が子ども頃の強い感情を持ってますね。しかも、これは、実際に虐待されたり、虐待の事件全てが文字通り、実際にあったりした、ということではありません。

 

 

 

 

 「記憶は作られる」。作ると言っても、ねつ造、偽造の場合もありますでしょ。虐待に関することは、「普通」とは違う訳で、「隠そうとする」方が普通かもしれません。

 その聞き取りには、丁寧さと慎重さと、何よりも、≪陽気で楽しい≫感じが大事

 

 

 

 

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#発達トラウマ障害DTD支援の要諦 : #損得を超えて本気の関わりだけが発達トラウマ障害DTDの回復を可能にする

2016-10-17 05:18:41 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 昨日付で、ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma の翻訳本(上の写真)が、出版されました。

 

 
「やりすぎ」は禁物
  The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第3章、「心理社会的発達の主たる舞台」、面白かったですね。当たり前のことですけれども、私ど......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.137、最後のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 子どもの頃に虐待された多くの人たちと同様に、マリリンも、生命力の躍動、自分自身の人生を生き,全うしようとする意志トラウマが全てを台無しにしようとすることに立ち向かうエネルギーを証しています。私がだんだん,「なるほどね」と解ってきたのは、トラウマを回復するという課題をやり遂げることができるのは、トラウマを負わされた人たちに対して、畏敬をもって、損得を超えて本気で関わる時だけだ,ということなんですね。畏敬の念をもって、損得を超えて本気で関わる時だけ、私が関わった発達トラウマ障害(DTD)の患者さんたちは、自分が虐待されたことから逃げ出さずに踏みとどまることができましたし、その後で、回復の過程で必ず生じる「魂の夜の航海」も踏みとどまることもできましたから。

 

 

 

 

 

 「魂の夜の航海」は、ユングが、「精神分裂病」と見紛えてもおかしくない状況から回復した過程について、述べたのが元です。発達トラウマ障害(DTD)からの回復過程もユングの回復過程と同様な訳ですね。

 損得を超えて本気で関わること、河合隼雄先生の言葉でいえば、「不退転の壁」になる覚悟で関わることが決定的に大事です。

 これは、発達トラウマ障害(DTD)の臨床をしていれば、アーメン、「ホントにね」と頷けるところなんですよ。

 

 

 

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 心の地図の創り方

2016-10-17 03:44:45 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
日本の貧困の根本原因
  日本の貧困の根本原因は何でしょうか? 今晩は、これを考えてみたいと思います。 識者は、いろいろ言うかもしれません。貧困対策が出来ていないからだ、だとか、生存権が蔑ろ......
 

 

  Chilhood and Socirty から。p.220から。

 山や初めての場所に出かける時に、地図を必ず手にしますね。地図がないと、自分が今どこにいるのか、自分が目指すところは、どっちに行けばいいのか、解らなくなりますからね。それが分からないと、あらぬ方向に行っていることにも気付きませんし、同じところを堂々巡りしていても、そこからどうすればいいのかが分かりませんでしょ。

 人生にも、人生の地図があったらいいですね。でもね、人生の地図は、紀伊国屋書店にも、丸善にも、八重洲ブックセンターにも、三省堂書店にも、増田書店(国立市ローカルです、すみません)にも、売ってません。でも、心の地図は、自分と自分の親しい人との間で、創り上げることができます。忘れ物の多い私でも、心の地図は、どこかに置き忘れる心配も、ありません。

 

 

 

 

 

 子ども(訳注:赤ちゃん)は、手近にいる、いろんな人やいろんな物を使って、遊びます。その子は陽気に愉しく、大きな声を出して、長くバイバイをすれば、見えなくなったお母さんが、またそばに来てくれるのに、一番役立つと分かったり、あるいは、自分の身体のあちらこちらを触ってみたり、自分の顔の、出っ張っりや、開いてるところをあちこち触ってみることに夢中になるやもしれません。これが、子どもの最初の地図になります。それから、この根っこになる地図は、お母さんとのやり取りの中で手に入れるものですが、「世間」で、自分がどのように生きるのが良いのか、ということの最初の指針として、ずっと残るに違いありません

 

 

 

 

 

 この根っこの地図が、「大丈夫」と、信頼して生きられる地図になるのか、それとも、残念ながら、「どうせダメでしょ」と、諦めてしか生きられない地図になるのか?

 エリクソンは、その地図が「ずっと残るに違いありません」と言ってますでしょ。サイコセラピーをしていて思うのですが、この根っこの地図は、「どうせダメでしょ」になっても、かなりの程度「大丈夫」の地図に変えていくことはできますが、変え切ることは出来ない感じが強くしますね。エリクソンも、完全には治せない、と感じていたに違いありません。

 ですから、012歳の時の関わりが、非常に大事な訳ですね。

 

 

 

 

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インターメッツォ: 仲良しお父ちゃん!

2016-10-17 02:31:53 | 間奏曲

 

 

 
繋ぎの段落
   毎日礼拝  毎日礼拝。聴きなれない言葉ですよね。「日曜礼拝」なら、聞いたことがあるでしょう。でも、「日曜礼拝」だと、本当の「礼拝」になっているのか......
 

 

 ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。ぐっと戻って、p.75。

 

 

 

 

 

 

 アッバ 「お父ちゃん」と言う言葉は、とっても親しみのある言葉でしょ。このアッバの一番いい翻訳はダディ、「お父ちゃん」です。アッバ「お父ちゃん」と言う言葉は、信頼を、安心を、確信を、仲間意識を、特に、親しみを表わしています。この言葉には、権威だとか、権勢だとか、支配だとか、ファザー「父親」と言う言葉から思い浮かべる意味は、およそありません。反対に、アッバ 「お父ちゃん」と言う言葉は、包み込んでくれるような、世話を焼いてくれるような、自分を大事にしてれる気持ちを示していますし、それは、自分の父親、母親、兄弟姉妹、親戚、友達、恋人が、私どもに示してくれるような、馴染のある気持ちです。

 

 

 

 

 

 アッバ、というのは、イエス・キリストが、「父なる神」を呼んだ呼び掛けです。幼い子どもが、お父さんを呼ぶ時の言葉でもあると言います。

 「父なる神」などと言うと、地上の父親が、かつては、権威だとか、権勢だとか、支配だとかの権化であったことからくる、堅苦しいイメージを持ちがちです。ところが、今宵ナウェンさんが教えて下すったみたいに、むしろ、親しみのある、世話好きな感じのする方であることが解かります。ですから、私どもも、裃を着て、日曜日だけに会うのではなしに、普段着の付き合い、あるいは、裸の付き合いを「父なる神」とする方が善いんですね。

 「父なる神」は、仲良し父ちゃん! なんですからね。

 

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