エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

怒りは、煮えたぎったお湯じゃぁ、ありませんから

2016-10-23 12:04:30 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
この世とあの世を分ける落とし穴
  ルターも、言ってることとやってることが違っちゃいました。 Young Man Luther 『青年ルター』p.235の第2パラグラフ、下から13行目途中から。 ......
 

 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p163、第2パラグラフから。インチキ療法は、本当にヒドイ。

 

 

 

 

 

 「抱っこ」療法は、何時間も続けるようにできてます。食事休憩もトイレ休憩もありません。「抱っこ」療法をしている時には、大人たちは子どもをなじって、怒らせます。それはまるで、赤ちゃんの頃になじることが足りなかったみたいでしょ。怒りを「解放すること」が、将来激しい怒りを爆発させずに済む、と考えられたんですね。それはまるで、脳が怒りを、グラグラ煮えたぎってお湯みたいにため込んるみたいで、怒りをあらかじめ晒すことで、怒りを空っぽにできる、と思ってたみたいです。「抱っこ」療法の面接は、子どもが落ち着きを取り戻した時だけ、おしまいになりました。

 

 

 

 

 

 食事にも、トイレにも行けない…。一時間くらいなら良い場合もあるでしょうけれども、何時間ともなれば、問題が出てきますね。人を怒らせておいて、落ち着きを取り戻さなければ、解放しない…。言語道断ですね。

 

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本来の目的、患者の利益を忘れたDSM

2016-10-23 10:37:51 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
防衛機制は、親譲り?
   人を大事にする=人間皆兄弟  謙遜と客観性は、意外に近い。 p111第4パラグラフ。      人を大事にする...>続きを読む ......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.139。第3パラグラフ、4行目途中から。DSMの話の続き。

 

 

 

 

 

DSM-Ⅲの前書きが明確に警告しているのは、DSMの分類は、法医学の場や保険の目的で用いるのには、正確さを欠いている、ということです。それにもかかわらず、DSMは、強力な力のある道具になりつつありますね。保険会社は、保険金の支払いのためにDSMの診断を求めますから、最近では、研究費もDSMの診断に基づいていますし、研究計画もDSMの分類に従って作られていますまでになったんですね。DSMは、大きな文化的流れにもなりました。トニー・ソプラノ(訳注:人気テレビドラマの主人公)がパニック発作とうつ病だってことは、誰でも知っていますし、(訳注:人気テレビドラマの)「ホームランド」のキャリー・マティソンが、躁うつ病(双極性障害)だということも、どなたでもご存知です。DSMは、仮想空間の産業になってますから、アメリカ精神医学界は、これで、100億円も稼いでますもんね。問題なのは、本来はお役に立つはずの患者さんのために、DSMがなってるのかなぁ? ということです

 

 

 

 

 

 こういう問いは、反語的な場合がほとんどです。DSMは本来の患者の利益を忘れで、別のこと、のために使われている、という訳です。

 

 

 

 

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 3つの視点

2016-10-23 09:13:04 | 間奏曲

 

 

 
最初は微笑み
  ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐......
 

 

  Chilhood and Socirty から。p.37から。

 

 

 

 

 

 臨床上の課題と、偏見とは、別物です。私どもはひとりびとりの様々な危機について研究していますけれども、それは、そのひとりびとりの危機に治療的に関わることによって、研究するわけですね。そうしながら解るのは、今までお話した3つの経過が1つに流れ、すなわち、人生の中の3つの側面になる、ということでする。1つの流れも、人生も、どちらの言葉も、等しく大事にしてきました。身体の緊張、ひとりびとりの不安集団の激しい動揺はね、人間の不安が、研究のそれぞれの方法に現われる、それぞれの視点でしかありません。

 

 

 

 

 

 エリクソンは、人間の不安を、安心と信頼に発展するように、臨床していたわけですね。その臨床から解かったことを、ここで述べているんです。それも、身体、自我、対人関係の3つの視点を明示したところが、エリクソンの鋭いところです

 


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#インターメッツォ: #人間らしい心 は、#信頼し、#心を伝え、#神様とやり取りする心

2016-10-23 00:12:59 | 間奏曲

 

 

 
真実は虹に似ている?
  NHKスぺ「女性たちの貧困」と「すべての女性が輝く社会づくり推進室」という看板の間  昨晩、NHKスペシャル「調査報告 女性たちの貧困  ~"新たな連鎖......
 

 ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。今宵は、p.45。ナウェンさんのお話の続き。重たい知的障害の青年アダムから教えて貰ったという「人間らしい心」って、どういうことかしら?

 

 

 

 

 

 暮らしの中で、身体が必要なことやら、気持ちに必要なことなことやら、知的に知りたいことやら、道徳的にしなくてはならないことやらに追われて、が一番大事だということをついつい忘れがちです。心は神様からの贈り物ですから、私どもは、信頼することが出来ます。神様だけじゃなくて、両親も、家族も、世間も信頼することができます。とても幼い子ども達は、心深く、直感的に、神様と心とを知っていますでしょ。悲しいかな、後から次第に身に着けた、いろんな考えで、神様を知ることも、心を知ることも、邪魔され、抑えつけられてしまいます。身体や知的に障害がある人は、簡単に心を人に伝えることができますし、多くの知的に高い人がたどり着くことのできない、不思議を感じる暮らしを明らかにしてくれます。それは、不思議を感じる暮らし、心ある暮らしは、生まれた時から、神様が生み出したものだからです。私どもは、生まれた時から神様の物です。私どもは生まれながらに神様と親しくやり取りが出来るようになっています

 

 

 

 

 

 不思議、と言ったら、荒唐無稽、眉唾もの、と思う人も、多いでしょうね。

 キリスト教、特に、無教会は、東大出身の人も大いし、学者も多いですから、知的に理解することを大事にしますね。けれども、野村實先生は、つねづね、キリストの神秘主義ということをおっしゃっていました。臨床が大事な臨床医として一生を全うした野村先生らしいと、私は思います。

 神様と日々やり取りしてますとね、理屈や常識を超えたことが、現実に起こるんですからね。しかも、それは「奇跡」ではないか、と思うほど、ありがたいことなんですからね

 

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