エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

発達トラウマ障害(DTD)  一番おぞましいもの、お出まし、お出まし

2016-10-08 11:29:27 | 間奏曲

 

 

 
心の耳を澄ませてみれば
                   光の音が聴こえてくる…。  ルターは、心の中では「ヨォーィ」となって、「ドン」を待ってるのに、世に中は、なかなか「ドン」とはならな......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p160の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 

 ところが、アメリカ式養父母のところで子ども達を世話してもらうことは、ひどい話の始まりでした。「キリスト教の伝統」だと思ってることを信じている、その「治療的な」コチコチの養父母家庭は、1980年代後半から1990年代初期には、不釣り合いに見える2つの傾向が融け合って、ゾッとするほどの結果になりましたね。

 

 

 

 

 

 何かを「信仰」していることほど、恐ろしいことはないんです神様以外を「信じる」ことは、人間の最も醜い、ゾッとするもの、この世にお出ましになる時です。このコチコチの養父母もそうですが、カミカゼや「お国のため」を信じていた日本軍・ニッポン人が、どんなおぞましいことが出来たのか、ちょっと知るだけでも、ゾッと身震いがしますよね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発達トラウマ障害(DTD)の根っこの気持ち、誰も助けてくれないことに対する激しい怒り

2016-10-08 10:44:12 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
心の耳を澄ませてみれば
                   光の音が聴こえてくる…。  ルターは、心の中では「ヨォーィ」となって、「ドン」を待ってるのに、世に中は、なかなか「ドン」とはならな......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.135のブランク後の、下から3行目から。

 

 

 

 

 

 マリリンが自分の虐待について話せるようになるまで、ずいぶん時間がかかりました。マリリンは自分の家族を裏切りたくなかったんですね。心深くに、自分の怖さを守ってもらうには、家族が必要だ、っていう思いがあったんですね。この家族に対する思いのツケが、耐えられないほどの 独りぼっち という気持ち絶望、それに、どうしようもないほどの、誰も助けてくれないことに対する激しい怒り、なんです。抑え込もうとしても、こみあげてくる激しい怒りが、何度も自分にも向かってきて、それが、落ち込んだ気持ち、自己嫌悪、自己破壊的な振る舞いになります。両親の1人が私に言ったものです、「それって、お家、台所、水差し、フライパン、ベッド、椅子、絨毯を大嫌いになる感じでしょ」って。1つも安心できるものが無い、自分の身体でさえも安心できないんですよ。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども達、大人達、中年の人たちが、どれだけ独りぼっちと絶望と、どうしようもないくらいの激しい怒りにさいなまれていることか。そんなことはおくびにも出さないフリをしている人もいますね。忙しそうなふりをして。でも、見る人が見れば、自ずから分かるものですよ。ごまかせませんもんね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インターメッツォ: エリクソンの叡智 :  自我の強さって、自分が確かにされ、誠実に生きたいと願うこと

2016-10-08 08:08:31 | 間奏曲

 

アメリカでは、「(発達)トラウマ障害」と言う言葉が、本棚のタイトルになるほど。日本の本屋では、PTSDは本棚のタイトルになっても、まだまだ「発達トラウマ障害(DTD)」がタイトルになることもない。日本語では「発達トラウマ障害」と言う言葉がタイトルにある本さえ一冊もないのが、騙され続けているニッポン人の、お気楽で、オメデタイ現象です。

 
心と心が響き合わないと、心は育ちませんよ。
   働き盛りの大人の時間、ある意味では生が一番充溢してます。しかし、死を忘れやすい時間でもあります。生が充溢しているのに、それは見た目だけであって、死を展望しない生の充溢......
 

  今朝も、Chilhood and Socirty から。p.186.

 

 

 

 

 

 「強い自我」と何となく呼んでいることは、…ひとりびとりの人格の中核にあり、確固としていると同時に、柔軟なところが、どなたでも必ずある、いろんな矛盾と折り合いを付けひとりびとりにあるバラバラな点をまとめ上げ、さらには、特に、長年にわたり、避けて通れないできた、赤ちゃんの頃からの不安を抜け出して、自分が確かにされる感じを手に入れて、誠実であろうとする意志をもつようになったものなんですね。

 

 

 

 

 

 自分が確かにされる感じがどれだけ大事なのか、解りますでしょ。エリクソンのライフサイクルの心理学は、自分が確かにされる感じを人生の道すじ、広がりの中で、明確に示してくれます。

 人は、心がバラバラな人ほど、言ってることとやってることもバラバラで、自分も人も信頼できず、嫌っていますから、ウソとゴマカシを生きるようになるんですよ。残念ですし、もったいないでしょ。せっかく頂いた命なのにね。

 ですから、エリクソンは、心がまとまる(integrate)人になれるように、その手立てを、暮らしの中で具体的に示してくれていて、自分が確かにされ自分も人も信頼しながら、誠実に生きられる(integrity)ように、教えてくださっている訳です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インターメッツォ: #一人静かで #次第に鮮やかになる声

2016-10-08 03:37:26 | 間奏曲

 

 

 
陰になった私
    怖がらなくていい 改訂版  「慈しみ深き、ともなるイエスは…」と歌いたくなりますよね。 p352の第2パラグラフ。   &...>続きを読む......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」    

をご参照ください。  

 今朝も、ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。p.112から。

 5.2, 2020 訂正。

 

 

 一人静かで豊かでいるためには、心も身体も静かな時が日々なくてはなりません。毎日、2・3分から始めてくださいね。早起きして、陽の温もりと光が届く前か、あるいは、夜遅く、陽の温もりと光が消え始めた時かに、ですよ。それは、言葉の要らないお祈り時ですし、神様に心を込めてお祈りをする時です。すなわち、日記を付けて、聖書を読んで、それから、神様の声を聴くゆとりを作り、神様がいまここにおられるのを感じ、待っていなさい、という呼びかけがあって…。ほんと、夜明けか夕暮れの時間が理想的で、一人静かで豊かになるのにも、お祈りするのにも、一番です。一人静かで豊かになり、お祈りをしていれば、私どもは神様に抱かれて、中心軸となる自分を確かめ(訳注:心から自由にな)ることができますから、人と共に生き、人を大事にする、志が与えられます神様の声を聴くことこそが、人と魂で繋がるはじめですからね

 

 

 

 アーメン。真実です。

 そして,声は次第に深まり,次第に鮮明になります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする