エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「善意の暴力」と「悪い良心」

2016-10-25 08:32:57 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
信頼の言葉も台無しになる言葉
   「いってること」と「やっていること」を一致させること、それがあらゆる真実の関係の基本の「き」です。 Young Man Luther 『青年ルター』p.235の最......
 

 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p163、第2パラグラフ、10行目途中から。インチキ療法のひどさの続き。

 

 

 

 

 

ラップ家と、ヴァーノン一家の子ども達を住まわせたバーバラ・バースと言う1人の女性は、この「抱っこ」療法をしてたんです。しかも、自分たちのやり方も付け加えてたんですね。それは、子ども達に、階段を駆け上がったり、駆け下りたりさせて、子ども達を疲労困憊にさせて、泣かせてから、「抱っこ」療法を始めたんです。

 

 

 

 

 

 「善意の暴力」って、恐ろしいでしょ。ひどいことをしてても、子どもが疲れ果て、泣いているのに、それでも、自分が酷いことをしているという自覚、気付きが全くございません。

 ここには書いてないですが、この「善意の暴力」をやらかす人は、「私だって、こんなにガマンしてんだから」と内心思っている、「悪い良心」の人と相場が決まっています

 

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発達トラウマ障害(DTD)の診断登場前夜

2016-10-25 08:06:37 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
イキイキ生きる
  人間の心、「私」と自分のことを呼ぶ、その「私」の中心にあるものは何か? とエリクソンは考えました。そして、「私」の中心にあるのは「≪私≫という感じ」という、無意識から意......
 

 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.139。最後から。

 

 

 

 

 

 辞書によれば、診断とは、「a.   病気や怪我の性質や原因を、病歴、検査、健康診断のデータを評価することによって、特定し、決定すること、b.  そのような評価から引き出された見方」だとされます。この章と次章では、公式の診断と、私どもの患者さんが実際に苦しんでいることの間にある、深い裂け目について論じて、長年発達トラウマに苦しんできた患者さんたちを診断する方法を、同僚と私が、いかに換えようとしているのかについて、論じようと思います。

 

 

 

 

 

 

 間違った診断やインチキ療法のために、そうでなくても、塗炭の苦しみを味わっている発達トラウマ障害(DTD)の子どもや大人が、さらに苦しめられ、痛み付けられている…。人間として、医者として、ホットケナイ、と思った、ヴァン・デ・コーク教授とその同僚は、実に人間的ですね。

 ヴァン・デ・コーク教授らの試みは、発達トラウマ障害(DTD)の診断として、2009年に公表されることになります

 

 

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 永遠の宝物と自分の感じ

2016-10-25 02:14:46 | 間奏曲

 

 

 
呼吸が感情をコントロールする
  感情脳の混乱をコントロールして、自分自身をコントロールするためには、内省が不可欠です。 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score :......
 

  Chilhood and Socirty から。p.84-5から。

 

 

 

 

 

 オートノミー autonomy(自分が感じていることに従ってやればいい、という感じ=自律)が育っていくためには、赤ちゃんの時の信頼が確実に育って、頼りになる状態になっていなくちゃいけませんね。あかちゃんは、自分自身とこの世の中と根源的に信頼すること(この信頼こそ、永遠の宝物です。この永遠の宝物は、口が主人公のなる舞台の葛藤から守られるものです。)が、急に、暴力的にわがままになったり、あれもこれも独り占めにしたくなったり、頑固に出したくなったり(ノケモノにしたくなったり)することに邪魔されない、と感じられるようにならないとね。

 

 

 

 

 

 大人の顔色を窺って、振る舞うのではなしに、自分の感じに従って自由に振る舞えるのが、自律です。その自律が育っていくためには、自分の感じと、自分の感じをお母さんは大事にしてくれるという感じの両方を信頼できないとできませんでしょ。自分の感じと、自分の感じをお母さんは大事にしてくれるはずだ、ということを信頼するのが、永遠の宝物です。それは、親から子へ、子から孫へ、あるいは、そういう大人から、その周りの子どもや大人へと、伝染していくので、「永遠」なんですね。あるいは、神様の信頼に連なるから「永遠」なんですね。

 

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インターメッツォ: 必ず出来事になる言葉

2016-10-25 01:29:57 | 間奏曲

 

 

 
子どもは、ルールや制度や大人の上だ!
   人格の香  人を大事にできる人は、自己愛から卒業して、信頼が豊かになった人だけなんですね。それ以外は、大事にするフリをしているだけ。 p112第3......
 

 ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。今宵は、アダムの教えから離れまして、p.89。

 

 

 

 

 

 聖書の御言葉を聴く、ということは、イエスをお手本にして生きる、ということですし、イエスの生き方に、命がけで従うことです。聖書の御言葉を聴くことは、1人神様の御言葉に静かに耳を傾けることと、イエスが、神様の言葉が実現したものとして、今この世の中で働かれていることを信頼することとを前提としています。

 必ず出来事になる、いのちの言葉に耳を傾けることは、クリスチャンの信頼の核心です

 

 

 

 

 

 18十字架のことばは滅びるものには愚か、われら救われるものには神の力です。」(第1コリント 第1章18節 前田護郎訳) 「神の力」とは、ギリシア語では、「デュナミス・セウー」と言います。「デュナミス」は「ダイナマイト」の語源になる程の「強烈な力」です。どういう「強烈な力」が、聖書の御言葉にあるのか? と言えば、それは必ず実現する、ウソやゴマカシの微塵もない言葉だ、口先だけの言葉のように頼りないものじゃなくて、必ず出来事になるほどの「強烈な力」のある言葉だ、ということです。

 

 

 

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