エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#宇多田ヒカルさん 「#人格の核 は、#闇の中に」

2016-10-10 23:17:05 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
打つ子はダメな子?
  見失ったものが見つかるとき  「アッバ」(父ちゃん)には、親しみがあんですね。 p352下から2行目から。     ...>続きを読む ......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p160の第3パラグラフ、9行目途中から。

5.11,2020訂正

 

 

自助グループの指導者の中には「90%以上の家族は、愛情のない家族だ」と言う人もいます。セラピストの中には、「クライアントの問題のほとんどは、子どもの頃に粗末に育てられたことに遡れますから、それを見つける為に記憶を掘り下げるところから支援を始めます、たとえ、本人が粗末に育てられたと思っていない場合でも」と盛んに喧伝する者もいます。なかには、三流セラピストや自信過剰なセラピストに出くわした記憶を探す人もいますね。そういう場合は、自分に対するひどい誤解を思い出しますもんね。その間違った「記憶」は,理に適う現実からますます離れていきますね。

 

 

 

 アメリカでも、虐待とネグレクトは、非常に大きな課題です。アメリカの小児科医学会の重鎮やヴァン・デ・コーク教授は、「発達トラウマ障害(DTD)こそが、公衆衛生上、最大の課題だ」と言っているくらいですからね。また、アメリカでは「4人(3人)に1人が発達トラウマ障害(DTD)」と言われているくらいですからね。

 ここでは、記憶も問題になっていますね。

 でもね、先日、宇多田ヒカルさんが、「SONGS」のインタヴューで答えていましたけれども、「人格の核になる所が、記憶に残っていない、闇の中にあるってことがすごいことです」っていうことに気付くことが大事でしょう。

 

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助けも求められないな程の絶望 発達トラウマ障害(DTD)の人の気持ち

2016-10-10 22:12:44 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
信頼の課題が未解決だったからこそ、信頼が厚くなったんですね。
   ルターにとって、悪魔は安全に投影できる相手でした。 Young Man Luther 『青年ルター』p.232の第2パラグラフの、下から6行目途中から。 ......
 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.136、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 次の面接で、その女性は、大学では、実験担当の専任講師からもレイプされてたことを話してくれました。私はその女性に、「助けを求めたり、その人に嫌だって言わなったんですか?」と。すると彼女は「病院に行こうって気になれませんでしたね。私は助けを必死で求めました。でも、立っていると、きっと打たれるだけだって、心底思っちゃうんです。本当にそうなったでしょう。もちろん、何があったのか、両親にも内緒でした。誰にも言いませんでした」と応えました。

 

 

 

 

 絶望って、こういうことを言うんでしょうね。援けを求めるためには、「誰かが助けてくれる」と信頼しなくてはいけませんけれども、それもできない。「どうせ誰も私のことなんか、助けてくれない」、これが絶望でしょう。

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : サイコセラピストの務め

2016-10-10 03:23:45 | 間奏曲

 

 

 
日本に、心の病が多い訳
  The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p.80のブランク後の、3行目途中から。     この、自分と人を大......
 

 サイコセラピストの務めって何でしょうか? Chilhood and Socirty から。p.68.

 

 

 

 

 

 子どもの患者とその親達の間にやり取り関係を作り直すことが、私ども、サイコセラピストの務めだ、と申し上げたいんですね。それは、実りのない、痛みばかりの、破壊的な試みとして、お互いに、相手を自分の言いなりにしようとするのではなしに、やり取りができれば、子どもも親も、自分で自分をコントロール出来るようになりますから。

 

 

 

 

 

 ですから、陽気で楽しいやり取りこそ、αであり、Ωなんですよ

 

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インターメッツォ: お祈りは本音で生きること

2016-10-10 03:18:18 | 間奏曲

 

 

 
打つ子はダメな子?
  見失ったものが見つかるとき  「アッバ」(父ちゃん)には、親しみがあんですね。 p352下から2行目から。     ...>続きを読む ......
 

  今宵も、ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction を味わいます。p.62。

 

 

 

 

 

 結局のところ、根っこのところでは、お祈りは、本音で生きる態度でして、神様の魂に波長を合わせて静かにしていることなんですね。すると、自ずから、感謝の気持ちが湧いてきますし、静かに御言葉に耳を傾けることになります

 

 

 

 

 

 

  

 お祈りは、心静かにして、だまって、御言葉に耳を澄ませること。

 聴いて、本音で生きること

 

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