エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

現世考 : 今晩も愉しみ 毎朝、毎日、毎晩、愉しんで

2017-01-26 07:36:09 | 間奏曲

 

 

 

 
高尚すぎると、ウソっぽくなる
   偉人の謙虚さ  価値には、歴史と個人を作る力があります。 p177第3パラグラフ。      現...>続きを読む  エリック......
 

 

 今晩も、愉しみですね。

 何の話?

 今晩7時半~NHKで、大竹しのぶさんのご家族のことを取り上げる番組があるからです。その番組は、「ファミリーヒストリー 大竹しのぶ ~ 語り継がれる大竹さま伝説、1世紀を経ての出会い」です。

 このブログでも、大竹しのぶさんのことは、繰り返し取り上げてきました。人が当てになるかどうかは、これで決まり 改訂版ヨーヨー・マと大竹しのぶ「貧乏だけど幸せだった」という大竹しのぶさん 洗礼名はマリア大竹しのぶさんにとって大事なこと

 そのブログで、「大竹しのぶさん、そのおじいさまが、吉川一水(かずみ)という、内村鑑三の弟子だと言いますから、私も驚きましたよ(2010/2/9の朝日新聞の夕刊の「人・脈・記」の、早野透さん署名入り記事「非戦と清貧 信じるままに」)。」と書いたことがあります。

 また、「「女優として大切にしていることは?」との問いに対して、大竹しのぶさんは応えて言います。

 「お芝居でもウソはつきたくないけど、実生活でもウソつきなくないです」、「自分の心にウソをついて生きていたくないですね」、「お芝居にも良くない感じがします」

ってね。

 皆さん、どうぞご大切にしてくださいね。

」とも書きましたね。

 今晩も、愉しみです。

 皆様も、毎朝、毎日、毎晩、愉しんでください、ね😄😆㊗️ね。

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国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワーク

2017-01-26 06:57:01 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
一緒にいると安心
 子どもの世界はピカピカ  子どもって、従順で切ない。 、レイチェル・カーソンの『The Sense of Wonder 不思議を感じる感じ』から p53。 &......
 

 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.157の、ブランク後の、最期のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもの作業グループの1人、ビル・ハリスは、子ども関連の法律について、豊富な経験がありましたから、ケネディー上院議員のスタッフと共に、私どもの考えを立法化するために働くようになりました。国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワーク設立法は、超党派の圧倒的な賛成で上院を通過し、2001年以来、17の共同的なインターネットサイトが出来て、全国に150の発達トラウマセンターができました。デューク大学、カリフォルニア大学ロサンジェルス校にある統合センターが調整して、国立子どもトラウマ・ネットワーク(NCTSN)は、大学、病院、部族代表、薬物依存症回復プログラム、精神科クリニック、大学院がメンバーになっています。同様に、インターネットのサイトひとつひとつも、地域の学校、病院、福祉施設、ホームレスの宿泊施設、青年センター、母子自立支援施設、と協同し、8,300以上の会員と協同しています

 

 

 

 

 

 こちらhttp://www.nctsn.org/をご参照ください。

 翻って、ニッポンでは、繰り返しですが、発達トラウマ障害(DTD)の子ども等は、間違った教育、間違った治療、間違ったケアを受けて、さらに虐待され続けている、と言うのが、偽りのない、絶望的な状況です。

 

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 子どもの遊び(高校生の問題行動)の不思議

2017-01-26 03:17:54 | 間奏曲

 

 

 

 
高尚すぎると、ウソっぽくなる
   偉人の謙虚さ  価値には、歴史と個人を作る力があります。 p177第3パラグラフ。      現...>続きを読む  エリック......
 

 今宵のエリクソンは、Childhood and society p.216から。

 

 

 

 

 

 もともとの形では、子どもにとって、あまりに耐えがたいことなので、繰り返し向き合ったり、進んで向き合ったり、することができない状況に、能動的に対処したいと、人はしようとするものです。

 

 

 

 

 

 子どもの遊びを見ていると、あるいは、高校生の「問題行動」を聴かされると、このエリクソンが教えてくれていることが、そのまんま、現実になっていることに、繰り返し出逢います。

 先日もある高校生が、女の子のものを取って、すぐにばれることを、無意識にやったという話を聴きました。それは、その高校生が、赤ちゃんの頃、母親と生き別れになった時の気持ち、すなわち、寂しさ、いたたまれなさ、悲しみ、裏切られた悔しさ…を、もう一度、今によみがえらせようとする、無意識からのメッセージであることが、ハッキリ分かりましたし、その忘れている気持ちと状況を、能動的に対処したい、という、これまた無意識にある願いも現れしていることも、ハッキリと解かりますね。

 


 

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聖書の言葉: 彼は生きている  ζῆν  晴れ晴れの源

2017-01-26 02:55:38 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
一緒にいると安心
 子どもの世界はピカピカ  子どもって、従順で切ない。 、レイチェル・カーソンの『The Sense of Wonder 不思議を感じる感じ』から p53。 &......
 

 

 「彼は生きている」。『新約聖書』の四つのイエス・キリストの物語の3つ目が「ルカによる福音書」です。その最後、イエス・キリストが「復活」して、洞窟のお墓から出て、女の人たちや弟子たちの前に現れるくだりがあります。第24章13節以下が、その部分です。ちょっと長いのですが、前田護郎先生の翻訳で確認しておきましょうか。

「 エマオへの道

 13同じ日に弟子たちのふたりがエマオという村へ歩いていた。それはエルサレムから六十スタデオ離れていた。14彼らはこのすべての出来事を話しあっていた。15話したり論じたりしていると、イエスご自身が近づいていっしょに歩いておられた。16しかし彼らの目がさえぎられて、彼を認めえなかった。17彼はいわれた、「何のことですか、あなた方が歩きながら論じあっているのは」と。彼らは悲しい顔をして立ち止まり、18そのひとりのクレオパというものが答えた、「エルサレムにご滞在なのに、あなただけがこのごろそこでおこったことをご存じないのですか」と。19彼はいわれた、「なんのことですか」と。彼らはいった、「ナザレ人イエスのことです。彼は神とすべての民の前にわざとことばに力ある預言者でしたが、20大祭司や役人たちが引き渡して死刑にし、十字架につけました、21われらは彼こそイスラエルをあがなう方と望みをかけていましたのに。そればかりか、あのことがおこってからきょうでもう三日目です。22それに、仲間の女たちがわれらをおどろかせました。女たちは朝早く墓に行きましたが、23お体が見つからぬまま帰って来て、『彼は生きておられる』という天使の姿を見たと申します。24それで、仲間が何人か墓へ行って見ますと、女たちのいったとおりで、彼は見えませんでした」と。25すると彼はいわれた、「ああ、愚かで心の鈍いものよ、預言者のいったことを何も信じないとは。26キリストはこれらの苦難を受けてから栄光に入るよう定められていたではないか」と。27そして、モーセやすべての預言者からはじめて、ご自身についてのことを聖書全体にわたって彼らに説明された。28めざす村に近づくと、彼はなお先へ行く様子をされたので、29ふたりは無理にお引きとめしていった、「わたしたちのところにお泊まりください。夕暮は近く、日ははや傾きましたから」と。そこで彼らのところに泊まるために家に入られた。30共に食卓について、パンを取って讃美し、裂いて渡されると、31彼らの目が開けて、彼とわかった。すると彼は見えなくなった。32彼らは語りあった、「彼が道でわれらに語って、聖書を説かれたとき、心が燃えたではないか」と。33すぐさま立ちあがって彼らはエルサレムに帰った。すると、十一人とその仲間が集まっていて、34「本当に主は復活してシモンに現われられた」と話しているところであった。35それで彼らも、道であったことやパンをお裂きになって彼とわかったことを物語った。

 イエス・キリストが十字架で処刑され、女たち以外は、ペテロも含めて全ての弟子たちが逃げて、身を隠していました。自分も捕まったり、投獄されたり、あるいは、殺されたり、するのが怖かったんだと思います。想像できますでしょ。

 ところが、この箇所の前に、マグダラのマリア他の女性たちが、生き返ったイエスに出逢って、そのことを他の弟子たちにも知らせました。ほとんどの弟子は信じなかったのですが、3回も「イエスのことを知らない」と裏切ったペテロだけは、洞窟の墓に走り寄って、イエスの死体がないことを確認します。

 その後の弟子たち、女の人たちの生き方はどうだったでしょうか? 逃げたり、身を隠したり、し続けたのでしょうか? 

 そうではありませんでしたね。イエス・キリストが、死から蘇ったみたいに、弟子たちも、女たちも、コソコソ、ビクビク、ハラハラした、死んだような状態から、晴れ晴れとしていて、イキイキ、ピチピチした、はじけるようで、しかも、静かでもある生き方に、ガラリと生き方が変わりましたでしょ。

 自分が生きた(我を張った)から、元気になったのではないことに注意が必要ですね。

 彼(イエス・キリスト)が生きている ζῆν ゼーンから、女性たちも弟子たちも元気になったんですね。

 ここに自分を確かにされる要がありますよ

 


 

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