エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

現世考: 横浜市教育長の大バカぶり

2017-01-22 10:00:08 | 間奏曲

 

 

 

 
問いある生活
 
 
    “糞づまり”から出た宝物 「幸いなるかな」への不可欠な道 四訂版  ルターは、改革や刷新とは無縁な「中世的人物」と思われていたみたい。偉大な改革......
 

 フェイスブックで、横浜市教育委員会が、原発から避難している中学生のいじめ問題で、150万円ほどのカツアゲをされているのに、それは「いじめじゃありません」、カツアゲした子が「おごってもらった」と言ってるから…という投稿を見て、やっぱりね、と感じました。

 NHKも、その事実を伝えています(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170120/k10010847081000.html)。

その記事によりますと、

「横浜市教育委員会の岡田優子教育長は、20日、開かれた市議会のこども青少年・教育委員会で、「関わったとされる子どもたちが『おごってもらった』と言っていることなどから、いじめという結論を導くのは疑問がある」と述べ、いじめと認定するのは難しいという考えを示しました。」

ということらしい。

 何でこんな大バカがやれるのでしょうか?

 これは、学校とか、お役所とか、自分の組織以上の価値を認めないからです。偶像崇拝の恐ろしいところですね。神以外の人間や組織を「神」の見なす態度の、猛毒です。

 この教育長になったおばさんも、自分の出世のため、組織の論理以上の価値を知らずに来たからこそ、こんな大バカが、平気でやれるし、言えるんですね。

  もちろん、人のことをバカと言う私が、一番バカであることには、間違いありませんからね☺☺☺☺

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本は、後進国

2017-01-22 08:33:31 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
私どもはどこに向かっているのか? 根をもつこと
     “糞づまり”から出た宝物 「幸いなるかな」への不可欠な道 四訂版  ルターは、改革や刷新とは無縁な「中世的人物」と思われていたみたい。偉大......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.157の、ブランクから。

 

 

 

 

 

 国立子どもトラウマ・ストレス支援ネットワーク

 

 新しい病気全ては、ガンから網膜色素変性症まで、患者さんの人権擁護団体がありまして、特定の症状の研究と治療を推進します。しかし、2001年、国立子どもトラウマ・ストレス支援ネットが、議会の律法によって設立されるまで、トラウマを負わされた子どもたちの研究と治療に役立つ包括的な組織は1つもありませんでした。

 

 

 

 

 今でこそ、アメリカ中に、準州も含めて、子どもトラウマセンターが150以上出来ていますが、それも、21世紀になってからの話だ、という訳です。子どもの虐待やネグレクトが、いかに無視されてきたかを物語るものでしょう。

 日本はまだ、国立の子どもトラウマセンターもできていない、後進国です。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖書の言葉 : いらっしゃ~い ἐλθέ

2017-01-22 07:46:58 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
人生行路用の地図 アイデンティティの危機を超えてきたからこそ、出来た地図
   世界最高の特効薬 : 子どもの共感性、どうやったら伸びるのかしら?  「人の気持ちが分かることになってほしい」。親御さんや先生の立場の大人なら、一......
 


 「いらっしゃ~い」。三枝さん(いまは、文枝さん)の決めセリフではありませんよ。

 イエスが湖の上を歩いている話が、『新約聖書』の最初にあるイエスの物語「マタイによる福音書」第14章22~36節にあります。前田護郎先生の翻訳では、

22それからすぐ弟子たちを強いて舟に乗せ、彼が群衆を解散させる間に向こう岸へ先に行くようにされた。23彼は群衆を解散させてから自分だけ山に上って祈られた。夕方になってもひとりでそこにおられた。24舟はすでに陸から数スタデオも離れていて、向かい風のため波になやまされていた。25夜明けの三時すぎに彼は湖の上を歩いて彼らのところへ来られた。26弟子たちは彼が湖の上を歩かれるのを見ると、おどろいて、幽霊だといい、おののいて叫んだ。27イエスはすぐに語りかけられた、「安心なさい、わたしだ、こわがることはない」と。28ペテロは答えた、「主よ、あなたなら、わたしに命じて水の上を歩いてそこまで行かせてください」と。29彼はいわれた、「来なさい」と。そこでペテロは舟からおりて水の上をイエスのほうへ歩いて行った。30しかし風を見ておそれ、沈みかけたので叫んだ、「主よ、お助けを」と。31ただちにイエスは手をのべて彼をつかんでいわれる、「小信もの、なぜ疑ったか」と。32彼らが舟にあがると、風は凪いだ。33舟の中のものはひれ伏して彼にいった、「本当にあなたは神の子です」と。
 34湖を渡って彼らはゲネサレの地に来た。35彼と知ってそこの人々は周辺の地にくまなく人をつかわしたので、人々は病人を皆彼のところに連れて来た。36そして彼の着物の裾にだけでもさわらせてもらうよう願った。さわったものは皆いやされた。

です。

 ここでは、「来なさい」と翻訳されいます。ギリシア語では、ἐλθέ エルセー で、「来る」を意味する ἔρχομαι エルコマイ の第2アオリスト 二人称単数の命令法です。

 ペテロは勇んで湖の上を歩き出しましたが、波風が立っているのを見て、怖くなったのでしょうね。ペテロは沈みかけてしまいました。ペテロは「岩」という意味でしたから、デブだったのかもしれません。でも、体重の問題ではなさそうですよ。イエスが「小心者めが」とお叱りでしたからね。カトリック教会の基を築いたペテロでさえ、この程度なんですね。

 私どもも、イエスの声、イエスの呼びかけに応じて、人生の歩みを起こすことがありますでしょ。ペテロにも及ばない私どもは、「超小心者」ですね。ですから、湖の波風だけじゃなくて、世間の荒波にも、恐れおののいてしまいやすい。でもね、「怖がらなくても、大丈夫」と言うイエスの言葉を信頼していると良いですね。神様が共に居てくださるからです。ここで、一昨日のブログ聖書の言葉: 神の名前エヒエーに繋がりましたね神様はいつも「共に居る」存在で、圧倒的で、静かな、湧き上がる悦びの源でしたね。信頼は、湖の波風だけじゃなくて、世間の荒波を信頼して歩んでいる中で、おのずと身に着く、人生の習慣です。

 あなたも、どうぞ、いらっしゃ~い

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 信頼が役に立つとき

2017-01-22 00:45:49 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
感情脳を鈍くする抗精神病薬も、発達トラウマには効かない
   人を大事にする時にも大事な、直観力 改訂版  人を大事にすることも一つの技術。ですから、人を大事にすることは抽象論ではなくて、非常に具体的。実践的......
 

 今宵は、久しぶりに、Vital involvement in old age から。p.38.

 

 

 

 

 

 信頼はなくてはならないものですが、信頼が本当に役立つのは、「感性が鋭く思慮深い」不信バランスが取れている場合だけです。そおです、「感性豊かな思慮深い」不信もなくてはならないんです。

 

 

 

 

 

 信頼と言うとは、ダメなものも信じてしまう、軽率の親戚と誤解する人が、たまぁにいますね。

 でもね、感性の鋭い、思慮深い不信と信頼は、同じです。本物は信頼するのですが、偽物には信頼しない。ですから、信頼も、感性が鋭い、思慮深いものなんです。

 アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達や、ウソとゴマカシだらけの、大川小学校並みの多くの教員、東電などの嘘つき会社、東日本大震災の支援の専門家と称していた大学教員ら、ずる賢く冷淡なお役人たち、…は、信頼に値しない偽物です。本物と偽物を見分ける鼻の善さそれが信頼にも、不信にも必要です。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする