エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ: ハッピー・ニューイヤー : 耳を澄ませて生きましょう

2017-01-01 11:01:57 | 間奏曲

 

 

 

 
突き抜けた悦び という恵み
   突き抜けた悦び  転移と逆転移の問題は、臨床の基本です。 p236の第3パラグラフ。   非常に広大で、難解な分野に入っていくのに必要な動機.........
 

 2017年最初の「折々の言葉」(朝日新聞 一面)は、Happy New Ears、「新たに聞く耳のある者にハッピーあれ」というほどの意味でしょうか? 

 鷲田清一さんは、「長く押し殺し殺されてきた声、出かけては飲み込まれた声、ぼそっと漏らされた短すぎる声、恐る恐る絞り出された声、今にも途切れそうな声。それらにじっと耳を傾けられる人に」と記されています。

 最初の言葉として、実にふさわしく、今の時代に最も大事なことばです。

 これを読む人は、電通の新人で、過労で殺された女性の声、沖縄高江の人々の声、福一から避難して、イジメられている子どもの声、「保育園落ちた日本死ね」に共感した人々の声…、を想像したかもしれません。でも、鷲田清一さんは、そういう「外なる声」のことだとは、言っていませんでしたね。

 私は、サイコセラピストで、クリスチャンだからかもしれませんが、私は、皆さんに、「ご自分の声」に耳を傾けてくださいね、と申し上げたいと思います。敢えて「神の声」とは申しません。神様は、実に不思議で、人智を超えた存在です。映画さながらに、空から神の声が聴こえてくる場合も、あるやもしれません。残念ながら、私は、「貧しい者」だからか、そういう声は、今まで一度も聴いたことがありません。

 しかし、心の中に語りかけてくださる存在とは、とても仲良くしてもらっています。最初は文字通り、a still small voice  「かぼそく小さな声」 ですから、良く聴こえません。忙しくしていたら、直ぐにかき消されてしまいます。しかし、何かそういう声がして、しかも、それが実現する予感めいたものを感じたことが、何度かありますね。それはそれは、実に不思議な感じです。しかし、その声には、なぜか 透明な感じ、透き通った感じ、静かなのにダイナミックなエネルギーを感じますね。私は、宮沢賢治が、「稲作挿話」の中で、「透明な力がその子どもにうつれ」と言った時の、「透明な力」がそれだ、と思っています。

 その声のいくつかは、本当に実現し、そのいくつかは、まだ実現していません。

 このブログの読者の皆様も、ご自分の底から湧き出てくる、「かぼそく小さな声」に耳を傾ける1年になりますことを、念じております

 2017年、良い年となりますように、ね

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聖書の言葉 : Θεραπεύω セラペウオー

2017-01-01 09:27:39 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
けしからんことこの上なし の研究
   突き抜けた悦び  転移と逆転移の問題は、臨床の基本です。 p236の第3パラグラフ。   非常に広大で、難解な分野に入っていくのに必要な動機.........
 

 

 聖書の中に、Θεραπεύω セラペウオー、と言う言葉が出てきます。セラピーの語源になっている言葉です。意味は、1)奉仕する、仕える、2)治療する、手当てする、などの意味があるそうです。

 他方、以前ブログ「見る」力 : 聖書とサイコセラピーで、イエスの見る力には、人を癒す力があると申しました。見る力とは、この場合、見通す力であり、その見通しを現実にする力、実現する力がある、ということです。イエスが12人の弟子を召命したときのところを見ると、見る力には、物事を実現する力があることが解かります。

 セラピストにも、そんな力があると良いのですが、果たしてどうでしょうか?

 しかし、私は、セラピストにも、似たような「見る力」があるように思います。

 それは、こういうことです。すなわち、セラピストが、クライアントの心の世界に、子どもの立場に近づき、そのクライアントの心の世界、子どもの立場から、「共に見る」時、相手のクライアントが、相手の子どもが、自分自身で立ち上がるのではないか、と私は考えますね。

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 優しさを引き出す弱さ

2017-01-01 05:20:41 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
芽の眼
   釜石小学校校歌 改訂版  先日もこのブログで取り上げた「岩手県釜石市立釜石小学校校歌」を改めて取り上げて考えてみたいと思います。 釜石小学校校歌 ......
 

  今朝のエリクソンも、Insight and responsibility p.113。タイトルは、『本物の課題を見抜く眼と、本物の課題に応え続ける態度』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。

 

 

 

 

 

 赤ちゃんの弱さは、相対的なものにすぎません。物質界を支配することは到底できませんが、優しい大人の優しさに訴える見た目と(微笑)反応がありますからね。

 

 

 

 

 

 先日、「弱いからいじめを受けやすい」ということをいう者がいました。私は即座に「それは一面的なものの見方です」と申し上げました。弱さ」は、「いじめ」ではなくて、人の「優しさ」を引き出すことも多いです。今朝のエリクソンは、そのことをハッキリと教えてくれましたね。

 

 

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自分を「ゴミ」と呼ぶマリア

2017-01-01 04:59:07 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
本当に私が生きてる、って感じる時は・・・
   人を大事にすること ≠ 葛藤がないこと  「子どものため」と言ってやってることは、ホントはそれをやってる大人自身のためであることが実に多い。「言っ......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.152、第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 

 お次はマリアという、15歳になるラテン系の子どもで、アメリカ式の養父母の下で、治療プログラムを受けた50万人は下らない子どもの1人でした。マリアは太っちょで、攻撃的でした。マリアは、性的にも、身体的にも、心理的にも虐待されたことがありましたし、8歳からこれまで、20ヶ所以上の養父母家庭らをたらい回しにされてきました。山のようなカルテには、「話しができない」、「執念深い」、「衝動的」、「向こう見ず」、「自傷行動」と書かれているほか、「極端に気分の浮き沈みがある」だの、「カッとなりやすい」ともありました。マリア自身は「どうせ、私なんか、ゴミで、ガラクタで、捨て子よ」という言い草です

 

 

 

 

 

 アメリカ式養父母は、日本よりも数は多いのですが、インターネット通販みたいに、子どもをやり取りするところがあります。養父母になる人の身元が十分に調査させないために、養父母宅でさらに子どもが虐待されたりする場合が少なくありません。

 アリアは、8歳で親から捨てられ、20回以上、養父母宅をたらい回しににされたら、虐待に虐待を重ねたことでしょうし、想像できない位の辛い思いもしてきたことでしょう。自分を「ゴミ」「ガラクタ」というのも、むしろ、無理がありません

 

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