阪神大震災から今日で22年たつそうですね。私もその年の2月に、三宮にボランティアに行ったので、その時の光景を昨日のことのように思い出します。マンションが倒れ、2階だった部分が一階みたいになって、車が押しつぶされている。小学校の校庭には、自衛隊が作った仮設の風呂が出来ていて…。まだまだ強い余震がありましたっけ。
東日本大震災。阪神大震災とは、私は2つの点で異なると考えています。1つは福島第一原発がメルトダウンして、放射能が今も大量にばらまかれている点です。そのことについては、これまでにも触れましたし、今日はここまでにしておきます。
もう1つは、阪神大震災は、バブルが崩壊して間もなくの時でしたから、社会的、経済的にも、まだゆとりがありました。しかし、その後の、長い長い「失われた25年」の後にやって来たのが、東日本大震災でした。日本の市民ひとりびとりが、経済的にも、社会的にも、仕事の上でも、生活の上でも、かなりの困難を抱えていたところで、崖から突き落とされたような格好になりましたね。弱り目に祟り目。ですから、すでに困難のために、傷んでいたり、病んでいたりしたのに、その上に「祟り目」がやって来たことになります。
特に、子どもも、障害のある人も、女性も、老人も、弱い立場のために傷も痛みも病も、余計に深かったのに、「祟り目」がやって来た。
ずいぶんたくさんの子どもが殺され、女性が殺され、障害のある人が殺され、老人が殺されることになります。世間では、病死、自殺、事故死、…というでしょう。でも、どうでしょうか?
私は、「病んで不毛な社会」によって殺されている、…電通によって若い社員が殺されている…という視点が大事だと考えますね。