エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

現世考: 阪神大震災と東日本大震災の間

2017-01-17 07:05:35 | 間奏曲

 

 

 

 
新たな気付き
   幸せは、意外にも身近にある? 改訂版  「三高」でも、幸せとは限らない、としたら、私どもは何を頼りにしたらいいののでしょうか? p3の15行目途中......
 

 

 阪神大震災から今日で22年たつそうですね。私もその年の2月に、三宮にボランティアに行ったので、その時の光景を昨日のことのように思い出します。マンションが倒れ、2階だった部分が一階みたいになって、車が押しつぶされている。小学校の校庭には、自衛隊が作った仮設の風呂が出来ていて…。まだまだ強い余震がありましたっけ。

 東日本大震災。阪神大震災とは、私は2つの点で異なると考えています。1つは福島第一原発がメルトダウンして、放射能が今も大量にばらまかれている点です。そのことについては、これまでにも触れましたし、今日はここまでにしておきます。

 もう1つは、阪神大震災は、バブルが崩壊して間もなくの時でしたから、社会的、経済的にも、まだゆとりがありました。しかし、その後の、長い長い「失われた25年」の後にやって来たのが、東日本大震災でした。日本の市民ひとりびとりが、経済的にも、社会的にも、仕事の上でも、生活の上でも、かなりの困難を抱えていたところで、崖から突き落とされたような格好になりましたね。弱り目に祟り目。ですから、すでに困難のために、傷んでいたり、病んでいたりしたのに、その上に「祟り目」がやって来たことになります。

 特に、子どもも、障害のある人も、女性も、老人も、弱い立場のために傷も痛みも病も、余計に深かったのに、「祟り目」がやって来た

 ずいぶんたくさんの子どもが殺され、女性が殺され、障害のある人が殺され、老人が殺されることになります。世間では、病死、自殺、事故死、…というでしょう。でも、どうでしょうか?

 私は、「病んで不毛な社会」によって殺されている、…電通によって若い社員が殺されている…という視点が大事だと考えますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サルの実験室:ビクビクしたサルたち ビクビクした我々ニッポン人たち

2017-01-17 05:52:03 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
ガッテンはユッタリ
   共存共栄を確かにする道  相手の個性を大事にすることは、とっても大事。でもね、それが分かっているからと言って、相手の個性を大事にできる訳ではないの......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.156の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 生まれてすぐに母親から取り上げられ、仲間達とだけしか一緒にいられなかった幼いサルたちは、仲間達とだけ強いつながりを感じるようになります。このサルたちは、死に物狂いでお互いにくっ付いて、まともに探索行動をしたり、遊んだりするほど、仲間から離れることができません。遊びが足りないと、平均的なサルにある複雑さや想像力に欠けるものですね。こういったサルは、ビクビクします。なれない状況に怖れ、好奇心はなくなります。遺伝的な予測に反して、仲間内で育ったサルたちは、ストレスに過剰に反応します。

 

 

 

 

 

 ここを読むと、集団志向のニッポン人がまさにこのサルですね。集団主義のニッポン人の特色は、ビクビクしてること、多様性=複雑さがなくユニフォームを着てるみたいですし、想像力に欠けていることでしょ。

 その訳がハッキリと解かりますね。集団主義のニッポン人は、信頼が、根源的信頼感に乏しい、ということです。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インターメッツォ: エリクソンの叡智 : デッカイ希望 

2017-01-17 01:36:29 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
教師の仕事:敗戦後教育の出発点
   幸せは、意外にも身近にある? 改訂版  「三高」でも、幸せとは限らない、としたら、私どもは何を頼りにしたらいいののでしょうか? p3の15行目途中......
 

 今宵のエリクソンは、再び、Insight and responsibility p.118。タイトルは、『心の中の子どもを内省すると,眼の前の子どもに応答し続けることができますよ』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。

 

 

 

 

 

 デッカイ希望は、生れてすぐにありがちな暗い気持ち、激しい怒りがあっても熱心に願うことは必ず叶うと、辛抱強く信じ続けることです。

 

 

 

 

 

 赤ちゃんの頃から、でっかい希望さえあれば、晴れ晴れと生きることができますからね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聖書の言葉 : 相手の気持ちになって、やり取りする人 ὁ δίκαιος ホ・ディカイオスの意味

2017-01-17 00:43:47 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
お薬よりも、やっぱり、マインドフルネスがお勧め
   Je suis Charlie 私はシャルリだ 改訂版  「Je suis Charlie 私はシャルリだ」 つい先日、ロサンゼルスで開催されたゴ......
 

 『新約聖書』の中で一番有名なのは、パウロが書いた手紙「ローマ人への手紙」です。略して「ロマ書」と呼ばれることもあります。二十世紀最大の神学者と呼ばれる、カール・バルトの代表作は、この手紙のことについて書いた 『ローマ書』ですし、内村鑑三の代表作も『ロマ書の研究』です。

 その第1章17節は、クリスチャンでなくても、一度くらいは耳にしたことがあることばかもしれませんね。「義人は信仰によって生きる」。「正しい人は、やっぱり信念の人でしょ」と納得している人も多いのじゃないですか?

 でも、一般常識でそう解釈することは、間違いですね。私も、山浦玄嗣さんの『イエスの言葉 ケセン語訳』を読むまで、間違ってましたね。

 ここは、私の「超訳」ですとね、次のようになります。

 「神さまに許されて、心が自由にされたら、さくされた者の求めに応じて、自分が損をしても、やり取りする優しい人でもあるので、そういう人は、たとえ困難や悲しいことがあっても、イエス・キリストが助けてくださると単純に信頼して、イキイキと、晴れ晴れと、生きることができますよ

ということになります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする