エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

聖書の言葉: ἀλήθεια アレセイア 真実とは 再び

2017-01-03 09:56:54 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
無意識の悪魔の仕業 smile版
根っこって、スゴイですね。オーストラリアではなくて、東京の根っこです。  人を大事にすることは、本気で相手になること、すると人は生き生き生きる  葛藤に......
 


 

 ἀλήθεια アレセイア 「真実」、「真理」。今までこのブログでも、何度か取り上げたことがあります(真実は虹に似ている?高橋三郎先生の「真」)。その時に、

「ギリシア語では、「アレセイア ἀλήθεια」です。「アレセイア ἀλήθεια」は、否定の接頭辞「ア 」と、「隠れる」を意味する「レソー λήθω」の組み合わせですから、もともとは「隠れることのない」という意味です。」

と記しましたね。

 『新約聖書』にある「ヨハネによる福音書」第8章32節には、

 「真理はみなさんを自由にします」

 ともありますね。

 真理・真実には、隠し立てする必要がない感じ自分の弱点や欠点とらわれずに生きている感じがありますね。だからこそ、イキイキ、微笑みながら生きていける感じもありますよね

 真理・真実は元気の源、正直に生きる源。

 逆に考えると、一層解かりやすいかも。人から、隠しておきたい弱点明るみにしたくない欠点を指摘されたら、あるいは、それがバレタラどうしよう、と思っていたら、ビクビク、ハラハラ、ソワソワしますよね。

 でも、自分が隠しておきたいと思っていた弱点、自分は明るみに出したくないと感じていた欠点が、「オッケー」、「大丈夫だからね」と心底言ってくれ、見守ってくれ、関わってくれる人がいたならば、どうでしょう?

 真理・真実とは、「オッケー」、「大丈夫だからね」と関わり続けてくれる人との関係そのものですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現世考: 大口献金企業だけは大事です党=自民党 と 民主主義≠多数決

2017-01-03 08:15:01 | 間奏曲

 

 

 

 
因果関係や数より大切なこと
   人を大事にすることは、本気で相手になること、すると人は生き生き生きる  葛藤によって、人は豊かな知識としなやかな強さを身に着けることができますね。......
 

 今の政治は、2つの等式で説明できます。

 「大口献金企業だけは大事です党」=自民党 と 民主主義=多数決

 いま、ニッポンの国会を見ていると、多数決で決めれば何でもあり、多数の暴力があまりにも目につきます。腹立たしい限りです。多数派が、沖縄、難民になっている東日本震災・熊本震災・福一原発事故の被災者、保育士や介護職員、保育所や老人ホームに入れずにいる人がいる家族、長時間労働にあえぐ大人たち…を虐めている格好です。国会も、「○○時間話し合いの時間を取りましたから…」とまるで、時間を掛ければ、多数派の思い通りのイジメをやっても、「それがルール、俺様のなり方、なんだから、文句は言うな」と言わんばかり。あくまで、中身よりも形、おざなりな、議論とも呼べないような すれ違い・勘違い答弁ばかりなりにけり…。

 これが「民主主義という普遍的な価値観を共有している…」ということなんでしょうか? 

 全くそうではありませんね。「民主主義」という言葉と、「民主主義」と言いながら、実際にアベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちがやってる虐めが、真逆になってます。

 なぜでしょうか?

 本物の民主主義≠多数決 だからです。民主主義では、少数意見の尊重、すなわち、多数派が少数派の意見を謙虚に聞いて、なるべく政策に反映するプロセスが必要不可欠です。しかし、ニッポンの今の政治では、その少数派の意見を多数派が虚心坦懐に聴いて、政治に反映する姿勢が皆無なんですからね。「自由民主党」という党名は、放送倫理違反、商品表示偽装です。実態に即していえば、「自由は抑圧、市民は小ばかにする 大口献金企業だけは大事です党」です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 自己中な大人の不機嫌

2017-01-03 07:26:57 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
何のための脱感作?
   臨床には、生き方がハッキリ出ます  精神分析は、科学的真理は扱っても、人格的真理は取り扱わないのでしようか? p237第3パラグラフ。   &n.......
 

  今朝のエリクソンも、Insight and responsibility p.130。タイトルは、『自分の中の子どもを内省していると、目の前の子どもの心からの願いに応え続けることが出来ますよ』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。

 

 

 

 

 

 大人は、必要とされることを必要とするようにできてんですね。さもなければ、大人は自己中という心の歪みに苦しまなくてはなりません。その時、自分が自分の赤ちゃん、自分のペットになる訳です。

 

 

 

 

 

 そういえば、竹内まりやさんが作り、松たか子さんが歌った「みんなひとり」の中にも、「誰もが必要とされること必要としてる」というくだりがありましたね。

 エリクソンも、その歌ができる半世紀も前に、同様な指摘をしていたわけですね。自己中の人って、世話を焼いているように見えるときでも、実は自分のためにやってんですね。自己中の人の基本的な気分、自己中が発する「気」は、不機嫌です。真の意味で、必要とされている実感が持てないがゆえの不機嫌でしょう。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴァージニアは嫌われ者

2017-01-03 06:19:08 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
オバマ大統領の祈りの恵み
338,,cw=338,q=100,da=s,ds=s" alt="" />   訓練して身に付ける優しさって? 再改善版  今日のブログで「『いたわり』、『人の痛みを感じること』、『優しさ』を訓練を通して身に付けることが大事だ......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.153、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ヴァージニアは、養子に出された白人の、13歳の女の子です。ヴァージニアは、生みの母親からは、薬物乱用の廉で、引き離されました。最初の養母が病気で亡くなった後、アメリカ式養父母からアメリカ式養父母へと、再び養子縁組する間もなく、たらい回しにされました。ヴァージニアは、巡り合ったどんな男にも色目を使いましたし、彼女の話によれば、何人ものベビーシッターからも、何人もの束の間の養育者からも、性的に虐待されたり、身体的に虐待されたりしたそうです。ヴァージニアが、私どもの居住型治療施設にやって来たのは、自殺企図のために13回緊急入院した後のことでした。職員が残した記録によれば、ヴァージニアは、一人ぼっちで、仕切り屋で、怒りっぽく、男を誘惑し、出しゃばりで、執念深く、甘えんぼでした。

 

 

 

 

 

 職員の記録の言葉づかいから、ヴァージニアがいかに嫌われ者だったかが、はっきり読み取れますね。良いことが一言も書かれていないのですからね。職員も嫌々ながら、関わっていたものと想像されます。

 さて、ヴァン・デ・コーク教授のところでは、どんな感じになるのでしょうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする