無意識の悪魔の仕業 smile版根っこって、スゴイですね。オーストラリアではなくて、東京の根っこです。 人を大事にすることは、本気で相手になること、すると人は生き生き生きる 葛藤に......
ἀλήθεια アレセイア 「真実」、「真理」。今までこのブログでも、何度か取り上げたことがあります(真実は虹に似ている?、高橋三郎先生の「真」)。その時に、
「ギリシア語では、「アレセイア ἀλήθεια」です。「アレセイア ἀλήθεια」は、否定の接頭辞「ア ἀ」と、「隠れる」を意味する「レソー λήθω」の組み合わせですから、もともとは「隠れることのない」という意味です。」
と記しましたね。
『新約聖書』にある「ヨハネによる福音書」第8章32節には、
「真理はみなさんを自由にします」
ともありますね。
真理・真実には、隠し立てする必要がない感じ、自分の弱点や欠点とらわれずに生きている感じがありますね。だからこそ、イキイキ、微笑みながら生きていける感じもありますよね。
真理・真実は元気の源、正直に生きる源。
逆に考えると、一層解かりやすいかも。人から、隠しておきたい弱点や明るみにしたくない欠点を指摘されたら、あるいは、それがバレタラどうしよう、と思っていたら、ビクビク、ハラハラ、ソワソワしますよね。
でも、自分が隠しておきたいと思っていた弱点、自分は明るみに出したくないと感じていた欠点が、「オッケー」、「大丈夫だからね」と心底言ってくれ、見守ってくれ、関わってくれる人がいたならば、どうでしょう?
真理・真実とは、「オッケー」、「大丈夫だからね」と関わり続けてくれる人との関係そのものですね。