エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

1番大事なのは,母子関係の質 親が子どもをどう感じ,どうやり取りするのか? が決定的

2017-02-19 05:33:52 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
人生で一番苦しいこと
   耳のお話  嗅覚も素晴らしい。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p84の冒頭から。   ...>続きを読む......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.162の最後のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 スローフと仲間達は,ケアの質と生物学的な要因がガッチリと織り上げられていることが解かったんですね。ミネソタ縦断研究の結果が,非常に複雑な関係ですが,ステファン・スーモが霊長類研究所で発見したことと呼応していることは,興味深いことです。変えられないこと等,1つもありません。母親の人柄も,赤ちゃんの神経上の異常も,赤ちゃんのIQも,赤ちゃんの気質も,その活動レベルやストレス反応も含めて,子どもが思春期になってから,深刻な問題行動をを起こすかどうかの決定因子になりません。カギは,むしろ,母子(親子)関係の質でした。両親が子どもことをどう感じているのか? 子どもとどうやり取りしているのか? スーモのアカゲザルの時と一緒で,脆い赤ちゃんと融通の利かない両親の組み合わせによって,子どもは親ベッタリで,ビクビクした子どもになってしまいます厚かましく,押し付けがましく,「正しいこと」を教える子育てを生後6ヶ月までしたら,その子はADHDみたいな子どもに幼稚園以降になりますからね。

 

 

 

 

 

 最後は分かりやすく「ADHDみたいな子」と訳しました。

 どうですか? 子どもの育ちを決定するのは,母子(親子)関係の質です。反社会的な行動を犯した青年の幼いころを調べた佐々木正美先生は,押し付けがましい母親,と,家に不在がちで,空威張りの父親の組み合わせが多いことに驚いた,とどこかで仰っていましたからね。

 


 

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聖書の言葉: ご馳走

2017-02-19 04:27:14 | 間奏曲

 

 

 

 
人生の中で、私どもを支えてくれる宝物
   宗教と人生の間  「内なる光」は慈しみ深い神を知る場でした。  p183のブランクの6行目途中から。    &n...>続きを読む ......
 

 

 サイコセラピストとして一番大事にしているのが,陽気で楽しい,プレイフル playful。エリクソンと子ども等に教えてもらった,サイコセラピーの根源的なスピリット。

 プレイフルでいると,子どもの声が善く聴こえてくるんです。しかも,それは,「声なき声」です。これに応えていると,押し黙っていた子しゃべり出し入ってきた時には,暗い重たい顔だった子も,晴れ晴れとした笑顔で出かけていきますね。プレイフル,plaufulのスピリットって,自分も人も,イキイキ,ピチピチさせてくれる賜物ですよね。

 でもね,声は外から聞こえてくるものだけではないのですね。内なる声 inner voiceと言ったりする場合もありますね。 驚いたことに,サイコセラピストを自任している人たちに,そういう話をしても,「理解不能」みたいな顔をする人や「自分はそうしてない」という人がいるんですからね。率直で,パレーシアな私ですから,「申し訳ないけれども,それだと,半人前(のサイコセラピスト)ですね」と申し上げました。でも,それは非常に控えめな表現で,ヤブ医者以下の医者のことを「タケノコ」といいますけれども,この手の人は,タケノコ・セラピストだと言いたい気分でしたね。サイコセラピーの古典,ウィリアムズ・ジェームズの『心理学』(岩波文庫でも読めます)も,エリクソン(翻訳は間違いだられですが,みすず書房の本でも読めます)も,ユング(人文書院のものもあります)も読んだことすらないんですからね。

 『新約聖書』の初めにある「マタイによる福音書」にも,その声の話が出てきます。前田護郎先生の翻訳です。

   十人のおとめの譬え

25章 1その(終わりの)時の天国をたとえれば、十人のおとめがめいめい明りを持って花むこを迎えに出かけるのに似る。2その五人は愚かで五人は賢かった。3愚かなほうは明りを持ったが油をたずさえなかった。4賢いほうは油を器に入れて明りとともに持って行った。5しかし花むこがおくれたので皆まどろんで眠っていた。6すると真夜中に叫びがした、『見よ、花むこ、迎えに出でよ』と。7そこでおとめらは皆起きてめいめい明りを整えた。8愚かな女は賢い女にいった、『あなた方の油を分けてください、わたしたちの明りは消えます』と。9賢い女は答えた、『いいえ、あなた方とわたしたち皆には足りますまい。むしろ店に行って自分のをお買いなさい』と。10しかし、彼女らが買いに行っているうちに花むこが来た。そして用意のいいおとめが彼とともに婚宴に入った。そして戸が閉ざされた。11あとでほかのおとめたちも来ていった、『ご主人、ご主人、わたしたちを入れてください』と。12彼は答えた、『本当にいう、わたしはあなた方を知らない』と。13それゆえ、目を覚ましていよ。あなた方はその日もその時も知らないのだから。

 

 ここからも解かりますように,前田護郎先生は,「叫び」とやっていますが,「声」としても良いところです。これは,外の声ともみなすことができますが,実際には「内なる声」とすると善いでしょう。この内なる声は,真夜中に聴こえてくる,というところがとても大事です。ですから,眠っていたり,ボヤッとしていたり,タケノコであったりしますと,聞き逃してしまいます。聖書は,人の心を深く知っている人が書いていることが,こういうところからも解かります。

 目覚めて,意識して,内なる声は聴くものです。「細く小さな声」だからです。内省,自己内対話,あるいは,祈りはそういうものです。

 その内なる声を日ごろから味わっていますでしょ。そうすると,子どもの「声なき声」もハッキリしてきて,子どもが笑顔になりますからね。

 あなたも,ぜひ,声のご馳走,をどうぞ

チアーズ cheers

 

 

 

 

 

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現世考: 南スーダン と 北朝鮮

2017-02-19 02:31:03 | 間奏曲

 

 

 
発達トラウマを癒すのは、真実な関係
   耳のお話  嗅覚も素晴らしい。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p84の冒頭から。   ...>続きを読む......
 

 南スーダン,新しい国,遠い国。

 北朝鮮,わりに新しい国,近い国。

 南スーダン,戦争中,ニュースはない。

 北朝鮮,独裁中,ミサイル・核開発・兄弟殺し…と,ニュースの山。

 

 北朝鮮が,南スーダンの煙幕,眼を逸らす道具になっていますよね。

 

 私どもは,南スーダンは遠くても,注目し,ニュースを探す必要がありそうですね。

 ユニセフからの見方もその一つ。

3年近くに及ぶ紛争で、南スーダンの人々は戦闘の矢面に立たされ、女性や子どもは甚大な危険と困難に直面しています。国は独立から5年を迎えたものの、何百万もの子どもたちの生活は、苦しみと混乱に覆われ続けています。約230万人の子どもたちが家を追われ、うち64万5,000人が国外へ難民として避難しています。子どもの保護の場面でも危機的な状況にあり、多くの子どもたちが性的暴力、殺人や誘拐・搾取などの危険にさらされ、1万5,000人の子どもたち-多くの場合、男の子-が武装グループなどに徴用されています。」

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 自由(そうしたい) と 強迫(そうせねばならない)

2017-02-19 02:18:54 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
遊びの法則と、日本中に溢れかえる愛着障害の子ども等
   岡田尊司さんと教育改革 改訂版  岡田尊司さん。『愛着障害』や『発達障害と呼ばないで』など、毎月一冊くらいのペースで本を出しているのじゃないののか......
 

 

 Toys and reasons. p.97から。

 

 

 

 

 

 善悪を判断する世のやり方は,実際には道徳的には怪しいことに頼っていますでしょ。だって,世間でやってる善悪の判断は,正しいこと,正しいと感じられることに,自由意思で賛成するんじゃなくて,恐怖から同調させることを強調しますもんね。ですから,世間でやってる善悪の判断は,礼拝を通して確信を伝えるものではなくて,強迫的に形ばかり従うお役所仕事になる訳です。

 

 

 

 

 

 

 ここで取り上げていることは,単に狭い司法制度のことを言っているのではありません。子育てにおいても,学校においても,会社においても,善悪を判断することって,日常的にありますね。その時の判断が,正しいことに確信があって,しかも,自由意思で正しいことを選んでいるのではなく,恐怖から,世間で良しとされていることに,形ばかりに表面的に従っているに過ぎない,とエリクソンは教えてくれているのです。

 子育てや学校や会社での,日常的ないろんなことを観察する時に,とても役立つ見方ですね。

 

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