エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

現世考: 成城の松田聖子さんの豪邸の思い出

2017-02-22 08:53:00 | 間奏曲

 

 

 

 
ノビノビ、しててね
   夜明けの悦び  大地の声に耳を傾ける存在でありたいものですね。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p85の冒頭から......
 


 現世考の割には,昔話。その昔,恩師西村秀夫先生が心筋梗塞の予後のために,医師の娘と同居する必要から,世田谷の成城でしばらく暮らしていました。奥さんの董子(ただこ)さんの友人のおばあちゃまがご近所にお住まいで,引っ越しの手伝いに来てくださいました。マンションから見えるお城の様な豪邸を指さして,「あそこが松田聖子の家なのよ」と教えてくれたことがありました。

 妹が松田聖子さんの「大」が4つも5つもつくファンでしたから,いつも妹の部屋から聞こえてくる松田聖子さんの音楽を聴いていました。でも,自ら聞くほど好きではない,という感じでした。

 知的障害の施設で働いていたころ,妹と同様なほど,松田聖子さんファンの利用者がいました。私は,一計を案じまして,「そうだ,直接松田聖子さんの内に,サインをその利用者に送ってください,と手紙を書いてみよう」。

 私も自分でやっていていい加減で申し訳ないのですが,後から,その利用者のお母さんが,「実際に松田聖子さんのサインが送られてきました,ありがとうございます」と言われたもんですから,驚いちゃったんですね。スルーされるかも,とどこかで思っていたんです。信頼感が足りませんでしょ,へへへ☺

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≪見通し≫を共有できないことの,結末

2017-02-22 08:04:11 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
希望と、悦んで関わってくれる親
   夜明けの悦び  大地の声に耳を傾ける存在でありたいものですね。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p85の冒頭から......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.163の,第2パラグラフ,12行目途中から。

 

 

 

 

 

 ≪見通し≫を共有できない,すなわち,当てにならない親の子は,やかましく人の眼を求める子どもになり,些細なことにも強い不満をこぼすようになりがちです。いつも(ストレスホルモンにされされているので)興奮状態ですから,こういう子どもは常に不安なんです。いつでも安心を探していますから,遊びも探索もできませんでしょ,結果として,神経質でビクビクした子どもになってしまう訳です。

 

 

 

 

 

 さっき引用したエリクソンの真逆ですね。≪見通し≫を共有できませんと,≪≫も≪≫も共有できませんでしょ。そういう子は,≪陽気で楽しい≫感じの子どもになり損ねて,神経質でビクビクした子どもになってしまう訳です。

 面白いし,深刻ですね。

 

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聖書の言葉 : #神様の居場所

2017-02-22 03:09:22 | 聖書の言葉から

 

 

 
治療と遊びは、礼拝だ!
    過去+現在=未来は東向  哲学の教科書の続き。 Young Man Luther 『青年ルター』のp183の第3パラグラフ5行目途中から。フリー......
 

 今宵の聖書の言葉は,神様の居場所。「主の祈り」と呼ばれるクリスチャンが一番大事にしているお祈りは,「天にまします私どもの神様」とありますでしょ。神様は「天」に「天国」にいることになっています。「天」や「天国」は,上下,左右,前後などと考えたら,何となく「上」にいる感じがしませんか?

 でもね,子どもとサイコセラピーをしてますでしょ。子ども達が探し出す神様は,たいてい,深い深い海の底や,谷あいの村や,森の遥か向こう…などにいることが多く,どちらかというと神様は「下」にいる場合がほとんどです。

 ユングは,グノーシスの話を紹介しながら,今の神は「下」にいることを指摘しています(The Collected Works of C. G. Jung, vol9-1, p.18 §37)。

 「私どもは、水の旅に出て、下に向かった旅をしなくちゃならないことは、確実なことです。私どもが宝物、あの父からの貴重な遺産を拾い上げたいと思えばね。グノーシスの魂の讃歌には、その息子は両親から、王様の王冠から零れ落ちた真珠を探すために、送り出されます。その真珠は、深い井戸の底にあり、龍に守られているんですね…その息子は、水の旅に出て、その井戸の暗い深みに突き進みます。その息子は、井戸の底で、その真珠を見つけ出し、最後にそ真珠を、最高の神様に捧げます

 子ども等は,まさかユングやグノーシスの文献を読んでいるはずもありません。でも,ユングやグノーシスに重なる話をしてくれます。

 心の不思議の物語ですね。

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 日常生活の礼拝の目印

2017-02-22 02:48:37 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
失われた25年と愛着障害
   教育と「管理の正義」 5訂版  私の嫌いなのは、管理教育です。子どもを管理の対象にはするけれども、教育ではないからです。教育はもともとラテン語で、......
 

 Toys and reasons. p.122から。

 

 

 

 

 

 至極ささやかな日常生活の礼拝は,「これこそ,私たちが,見通して話し言葉にして,さらに出来事にもすることですし,これこそ「全うな温もりのあるやり方だなぁ」と言えるものです。

 

 

 

 

 

 こういう子どもでも解るような言葉づかいで,非常て深い真理を的確に表現できるところに,エリクソンの天才ぶりと,事の本質をクリアに理解していることが,如実に表れています。

 すなわち,≪見通し≫と≪話し言葉≫と≪出来事≫を共に一致させるところに,礼拝の本質があり,その礼拝に共に参加することのによって,人は必ず全うで温もりのある関係を体験することができる,という訳です。

 これは,発達トラウマ障害(DTD)のセラピーにおいても,極めて大事な実践指針です。

 

 

 

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