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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

発達トラウマ障害の子どもが、大人への不信を示す症状は、実に千差万別だぁ!

2016-05-25 08:07:55 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
「ありのままが認めて」もらえない憎しみ 改訂版
  ルターがプレゼントとしての「いいよ」が戴けると分かった時の感動は、いかばかりだったでしょうか? ジーンとからだ全体が熱くなるだけじゃぁなかったかも&helli...
 


 

 「発達トラウマ障害≒愛着障害」と診断・アセスメントすることの大事さを、改めて考えていただけたらいいですね。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の46目。

 今朝は、妥当性と信頼性の章の17日目。

 

 

 

 

 

 対人関係が不安定だという、発達トラウマ障害(DTD)の診断基準は、PTSDの回避や孤立の症状と一致する、さまざまな対人関係に関わらないことも含みますし、PTSDの怒り、イライラが嵩じる、不信感と反抗も含みますけれども、信頼、やり取り、人の気持ちが分かること、助けを求めること、PTSDではない関連する内的心理の範囲は、PTSDに比べたら、遥かに広範です。

 

 

 

 

 発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもが、大人に対する不信を示す症状は、実に様々で、千差万別です。

 ボォーとすること、手遊びにふけること、外を見ていること、下を向いていること、食事を残すことなど、子どもが大人への不信を示す症状に、サイコセラピストとして出逢わない日は一日もありませんね

 

 

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ヴァン・デ・コーク教授のカイロス

2016-05-25 04:06:16 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
エリクソンは天才! ≪背後≫の意味するもの
  人は、二本足で立った瞬間から、向きができます。そこから、心の中にも向きができます。オリエンテーションです。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡...
 

 

 

  発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達には、恥の幾重にもなる鎧を外す、明確な手立てが必要です。セラピーなしには回復はありません。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.339の、ブランクから。

 

 

 

 

 

 街の即興劇

 

 私の息子が大好きな演劇集団は、「街の即興劇(UI)」によって運営されていましたが、長年続いているボストンの芸術集団です。息子は高校生の時はずっと、この演劇集団と人たちと一緒でしたし、大学一年生の夏には、ボランティアをして、彼らと共に働きました。まさにその時、息子は「街の即興劇」の暴力防止プログラムを学んだのですが、この暴力防止プログラムは、1992年以来、街のいろいろな学校で何百というワークショップを開いてきましたが、その効果を査定する研究の承認を得ていたのです。しかも、その研究責任者を探していました。ニックは、舞台監督のキッバー・ディウェイとシッサ・キャンピオンに、「お父さんこそ、その仕事にもってこいですよ」と告げたのです。私にとっても幸いでしたが、2人の舞台監督は、ニックの意見に賛成してくれたのでした。

 

 

 

 

 

 素晴らしいですね。ヴァン・デ・コーク教授も演劇の発達トラウマ障害≒愛着障害の治療効果を実感していた。演劇集団も、非暴力プログラムの治療効果の研究責任者を探している時に、その研究に相応しい、ヴァン・デ・コーク教授の倅のニックが、その演劇集団に出入りしていた。

 「偶然」と言う人もいるでしょう。でも、私はここに「天の配剤」、コンステレーション、あるいは、摂理・プロビデンスがあると感じますよ。

 平たく言えば、「誰かが見守っていてくれたんじゃないのかな?」 と感じるような時、あるいは、「上手く出来てんなぁ」と実感するような時・カイロスなんですよ。

 どなたでも、その場に出くわせば、お分かりになる瞬間・カイロスだろうと思います。

 

 

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アイロン・バーのアイロニー

2016-05-25 03:04:40 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
「一緒に遊ぼっ」 ∵遊び=祈り
  先日見たハローhalo、日暈(ひがさ)、ないし、単に暈(かさ) 綺麗ですね  ウソだらけ、ゴマカシだらけ の日本&...
 

 

 ジャスティンも、ブルース・ペリー教授に出逢えてよかったことでしょう。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.126の第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 私は誰にも気付かれずに、ざわざわした中を、ナース・ステーションまで歩くと、 黒板を見て、観察を頼まれている少年を見つけました。その時、ジャスティンの声がしました。大きく、奇妙な金切り声がしたので、私はすぐにそのやせた小さな子どもが、緩んだおむつをされて、小屋に入れられているのが分かりました。ジャスティンの小屋は、鉄格子、アイロン・バー(iron bars)で、屋根にはベニヤ板が針金止めされていました。それまるで犬小屋でしたけれども、私が分かることになったのは、恐ろしい皮肉、アイロニー(irony)でしたね。その少年は、前後に身体を揺らすロッキングをして、とっても粗野な自己刺激的な子守歌を口ずさんでいました。その子は排泄物にまみれて、顔中に食べ物がくっつけて、おむつは重く、オシッコでグッシャリでした。

 

 

 

 

 いわば、座敷牢状態ですね。身体を揺らすロッキング、子守歌も、対人関係で良い思いをしていないことを、示しています。自己刺激の耽るのは、対人関係が、温もりのないものか、一人ぼっちか、その両方を示すことが多いからです。

 人との温もりのある関係が乏しいために発達トラウマ障害≒愛着障害になっているのに、鉄格子の犬小屋に入れられて、いっそう、温もりのある関係から遠ざけられている、という皮肉です。

 鉄格子の皮肉(アイロン・バーのアイロニー)ですね。

 

 

 

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ダメなことをしがちな、発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達

2016-05-24 06:57:06 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
丸山眞男教授を読んで、私も「からだ中がジーンと熱くなった」
  丸山眞男教授。会ったこともありません。ただ、今でこそ、臨床心理の仕事をしてますが、学部時代の専門は、政治思想史、藤原保信教授のゼミで学んでいました。姜尚中さん...
 

 

 

 「発達トラウマ障害≒愛着障害」と診断・アセスメントすることの大事さを、改めて考えていただけたらいいですね。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の45目。

 今朝は、妥当性と信頼性の章の16日目。

 

 

 

 

 

(c)発達トラウマ障害の診断基準の、行動をコントロール出来ないことは、PTSDの回避の症状や過覚醒(怒り、過覚醒、集中できない)症状と一致する問題が含まれるが、自傷、攻撃性、危険な行為や禁止事項をすること、自分を落ち着かせること、PTSDには特定できない、間違ったことを目的とする行動に伴う課題に着目する

 

 

 

 

 

 この(c)の「行動をコントロール出来ないこと」では、攻撃性や、危険な行為と禁止事項をやることが、私の臨床では、多い感じですね。

 そんな子どもがクラスに数人いたら、一斉授業のニッポンの学校の教室は、もお、授業になりませんね。

 

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恥の鎧の外し方

2016-05-24 02:53:20 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

花札ではありませんよ。

                                                        

 
許されてビックリ
  「詩編」第31篇2節の聖句を授業で講義しようとした時に、マルティンは、宗教改革者マルティン・ルターになったのであって、「95箇条の論題」と呼ばれるものを出した...
 

 

  発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達が、金子みすゞさんの詩のように、人が鏡になることを意識することが、そのセラピーでとても大事になります。なぜなら、意識的に鏡になることは、相手を信頼していることの表現になるからです。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.339の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 トラウマを負わされている子ども達と退役軍人たちは、見られたり、自分が感じていることに触れられたりすると、恥ずかしく感じますから、お互いに1m程度の距離を取ろうとします。どの舞台演出家の仕事も、セラピストの仕事みたいに、物事をゆっくり進めて、役者が、自分自身と、自分自身の身体と関わる関わり方を確かにしようとします。演劇は、あらゆる感情と、隅から隅までの感覚とに繋がる、独特の方法ですから、トラウマを負わされた子ども達は兵隊さんたちが、今まで身に着いた「形」の身体との関わり方で関わることばかりではなくて、今までとは異なる、人生との関わり方を試してみることにもなります。

 

 

 

 

 

 演劇も総合芸術なのでしょう。迫真の演技は、現実生活では忘れがちな、あらゆる人間らしい感情や、様々な感覚を、追体験することを可能にしてくれます

 音楽座のミュージカルを始めてみた時、あるいは、こまつ座の舞台を見た時の、言葉では言い表すことができない感じ、悦び、悲しみ・・・、を味わえた悦び

 トラウマで、内的なことを隠し立てしたい恥が強まっているところに、その恥の鎧が幾重にも重ね着した心を、演劇は解きほどいてくれるはずですね

 

 

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