本日で東日本大震災から半年。
そしてアメリカのセンタービルの9:11テロから10年。
今日はなんという日だろう。
この震災の地震の大きさや、津波の怖さを報じる番組は
今日もたくさん放送される。
・TBS系午後3時30分
「震災報道スペシャル原発工房180日の真実」
・NHKEテレ午後4時~「東日本大震災6カ月
取り残される障害者」
震災後の復興もこれからだ。
原発の問題も、まだ収束していない。
放射能も出続けている。
こんなときにも
政局は混乱したままだ。
どうなってしまうのだろう、この日本は。
被災地から遠い人々は、
まるで、震災なんてなかったかのように、
いつもと変わらない日常を過ごしていることだろう。
震災直後からの、被災者に対する保険会社の
意外なやさしさや迅速な対応も
あまり知らないだろう。
とある母親が、保険の大切さを話すのを
テレビで見た。
夫も津波にさらわれて亡くなり、
家も失って、
母と子供たちだけになってしまったけれど、
保険に入っていてよかったと
言っていた。
亡くなった夫の生命保険。
夫が亡くなったら、それ以後払い込みなしでも
満期時に全額保険金がおりる学資保険。
万一にそなえて入っていた地震保険。
これらがあったから、
厳しい現状の中でも、母子で立ち上がり、
生きていくための
これからの生活再建の一部になり、助けられた、と
「保険の備え」の大切さを話していた。
たしかに、万一の際の保険はありがたい。
でも、ありがたいと感じられるのは、
万一の災難が襲ってきたとき、
その災難が、本当に起こったと証明され、それが原因でその人が確かに被害をこうむったと、
第三者である保険会社が認めてくれてはじめて保険金が支払われての
後の話だ。
それらが認められず、
いざという時のための保険が、いざという時、何の役にもたたないとしたら、
保険に入っていても、何の意味もない。
自然災害は、誰にでも目に見えてわかるもので、
誰もその災害の規模を疑う余地がなく、
第三者もすぐ、その災害の存在と被害との因果関係を
認めてくれ、保険会社も理解を示しやすいという点では、
せめてもの救いだと思う。
しかし、
交通事故となるとそうはいかない。
その事実と症状との因果関係を、
被害者自らが、ボロボロに傷ついた心と体で、証明しなければ認めてもらえない。
たとえそれを必死に行ったとしても、
ふつうのケガならともかく、脳脊髄液減少症患者は、
さらになかなか認められない。
「事故で脳脊髄液減少症が発症するのはけっしてまれではない。」という研究発表が出たのは、今年6月だ。
それ前の被害者たちは、
どれほどの辛苦をなめてきたのか。
交通事故で脳脊髄液減少症になったと訴えても、
それがなかなか認めてもらえない。
万一の時に助けてくれるべき保険会社に、相手にもされず、
ただでさえ、弱っている心と体を
損保の「脳脊髄液減少症撲滅キャンペーン」とでもいうべきバッシングで
いじめぬかれてきた。
だから、
私は震災直後、すべてのCMが画面から消えてから、
しばらくして現れた
損害保険会社と生命保険会社の、各社それぞれの、お見舞いのCM、新聞広告に
私は驚いた。
私たち脳脊髄液減少症患者たちには
あんなに悪態をついていた損保が、
こんな低姿勢で、心も体も傷ついた被災者に寄り添うやさしい姿勢を見せるなんて、
と、
とても意外だった。
各社が競って、被災者へのいままで見たこともないほどのいたわりと
お見舞い のCMの嵐、新聞での広告の嵐だった。
私は「意外さ」と同時に「違和感」も感じていた。
なんなんだ、私たちとのこの差は・・・・?
単に自然災害と
交通事故での災害での差か?
今まで
これほどの「損保の優しさ」や「理解ある親身な態度」を、
私はあまり見たこともなかった。
損保に、そんな「人を思いやる理解ある真摯な態度」があったとは、
失礼ながら、私は今まで知らなかった。
本来「保険」とは「万一」の際に人々を救うものであって、
万一の災難に遭遇してしまって苦しんでいる人たちを
さらにムチうち、痛めつけ、足蹴にし、苦しめるためのものではないはずだ。
被災者に理解を示し、優しく迅速な思いやりある対応をするのは
損害保険会社として当然のことで、
それが当たり前のことだ。
しかし、保険会社は、
私たち脳脊髄液減少症患者に対しては
ずっと今回の被災者への対応とは全く違った態度をとり続けてきた。
時には、脳脊髄液減少症なんて事故後遺症はない、と主張し続けた。
私たちが「交通事故で発症した」といくら訴えても、けっして信じてはくれなかった。
交通事故での髄液漏れとわかってから、全国の患者たちが
ブラッドパッチ治療で、だんだん症状が消えたと訴えても、 けっして信じてもらえなかった。
時には、患者がブラッドパッチで治ったのは、気のせいだ、暗示効果だと、主張する否定派医師を利用して、
患者の言い分をけっして信じようとしなかった。
そんな事故後遺症はありえない、
事故とな関係ない。
何か別の原因でそうなったのではないか?
もともとそういう病気があったのではないか?といっては私たち事故被害者の訴えを
切り捨て続けた。
髄液はそんなに簡単には漏れないとの、勉強不足の医師の意見を利用しては、
私たち患者を責めあげ、うそつきよばわりし、いじめぬいた。
私たちをブラッドパッチ治療で救い続けてくれた、髄液漏れの専門医たちですら、
バカにし、批判し続けた。
それも、何年も何年も、何年も、繰り返し繰り返し、
私たち患者と
患者を救おうとする医師たちまでも非難し、苦しめてきた。
時には、私たち、交通事故での脳脊髄液減少症患者を、
詐病扱いする脳脊髄液減少症の反対派の医師とともに、
保険金詐欺師扱いをした。
それはまるで、事故被害者という弱いものいじめをする
いじめっこのようだった。
それはまるで、保険会社総出での連合軍で整形外科医を巻き込んで、
「脳脊髄液減少症なんて交通事故後遺症は存在しないということにしよう!、みんなでガンバローキャンペーン」をしているようにも
私には感じた。
私たち脳脊髄液減少症患者には、こんな非道なことが現実に全国で起っていたのに、
今回のように、誰にでもわかりやすい自然災害だと、この変わりよう。
そんな保険会社に
私が違和感を感じるのも当たり前ではないか?
もし、保険会社が、東日本大震災の被災者に対し、
脳脊髄液減少症患者にしたしうちと同じことをしたらどうなるだろうか?
そんなことをしたら、世の中からたちまち批判され、会社の評判は落ち、
その会社はつぶれてしまうかもしれない。
不適切発言で、野田内閣での就任9日目に引責辞任した、あの経済産業相のように。
「社会は、いかなる企業も一夜にして消滅する力を持つ」の
ドラッカーの言葉も思いだす。
社会が脳脊髄液減少症の抱える問題点に、関心がうすいのをいいことに、
脳脊髄液減少症患者には、信じられない非人道的な仕打ちが
世間に批判されることもなく、繰り返し行われ続いてきた。
今も続いている。
私たち交通事故での脳脊髄液減少症患者には
損保も生保も
今回被災者に見せたような
やさしく理解ある迅速な態度は
今まで微塵もみせてはくれなかった。
だから、今回の震災での
保険会社の被災者に対する、
対応の真摯さ、迅速さは、本当に私には意外だったし、驚いたし
また、
これぞ、保険会社のあるべき姿だと感動も感心もした。
でも、私は今回の、損保の被災者への配慮と優しさが、
「保険会社として当然」の姿としてではなく
「意外」に感じたのだ。
それまでの私たち脳脊髄液減少症患者との対応のギャップに、
とまどって違和感を感じてしまったのだ。
私が今まで思っていた損保のイメージは
保険の契約までは、甘く優しい言葉でさそって、
がっつり捕まえたら、いざという時はなかなか払わない、払ってもわずか、という
そんな
「冷酷、残忍、いじわる、極悪、非道な黒い悪魔のようなイメージ」だった。
しかし、
今回の震災での保険会社の対応は違っていた。
それは今までのイメージとはあまりに違う
心も体もボロボロの人たちに、
やさしく寄り添い、
私たちにできることはなんでもしますという、やさしさを感じた。
やさしいふわふわしたイメージ、
救いの手をさしのべてくれる
希望をもたらす白い「天使」のような
「神様」のような
そんなイメージを感じた。
でも、
その意外なやさしさには、それなりのわけや
したたかな計算があるとも感じた。
人が突然の災難に巻き込まれた時、
それが大規模な災害だろうと、
個人的な事故だろうと、
心も体も傷つき、呆然としている人たちに対し、
保険会社は、いつも今回のような真摯な態度で、人と向き合い
人に寄り添って、
真摯な対応と迅速な対応で助けてあげてほしい。
交通事故での脳脊髄液減少症という見えない事故後遺症を発症してしまったために、
損保に認めてもらえず、信じてもらえず、疑われ、責められる非情な対応によって、
深く傷つき、生きる希望をなくすような、脳脊髄液減少症患者が出ることは
絶対にあってはならないと思う。
(つづく)