琉球国の行政最高位、摂政(1666~1673年)に
羽地朝秀(1617~1675年)が就任する
薩摩藩の侵攻以来、行政、経済が疲弊していた
国を立て直すため、行政機能の強化
地方制度改革・政教分離など数々の政治改革を断行し
国を立て直すのに一定の成功を治める
尚真王(1477~1526年)の時代には
ゆるやかな、身分制度は形づくられていたが
1670年頃から、系図・家譜の編纂を
羽地朝秀によって行われた
士族・平民と明確に区別する
身分制度化する 改革が行われた
王府に系図座という戸籍を管理する、系図座を設けれ
全ての士族に、系図を作らせ提出させた
一冊は王府の系図座・一冊は王府の頒賜認定を示す
御朱印を押された後に各家庭で保管した
五年に一度追加編集を行い大切に保管された
その頃、門中(むんちゅう)制度、家譜(系図)が
作られたと言われている