菊隠宗意 <3>
1609年、薩摩藩軍、大将樺山久高は
総勢三千人・八十余の艦艇
鉄砲七三四挺・弾丸・火薬三万七百放(一艇に三百放)
弓百十七張りで火力重視の構成であった
その頃の琉球国の、軍事力組織は約一万人の兵力で
三隊で構成された、三番「ヒキ」と言われた
首里城・那覇港湾などの守りであった
弓約五百張りで、鉄砲役二百挺
大砲数門保有し那覇の両岸に砲台設置されていたが
武器は主に弓矢が中心であった
薩摩軍は、3月4日に山川港を出港した
3月24日には奄美諸島すべてを占領する
それを知った王府は、和睦のため
日本語に通じる菊隠宗意を使者として遣わす事になった