人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

パーントゥ【3】

2018年11月25日 00時00分09秒 | 日記

  野原のパーントゥは

島尻のパーントゥ・プナハとは、かなり形式が違う

 

開催時期も異なり、旧暦の十二月最後の丑の日に行われ

呼び名も「サティパロウ」と呼ばれ

サティ=(里)・パロウ=払の意味である

 

また、祭の参加者も男の子と女性(主に主婦)だけで

成人男性と女の子は参加しない

 

来訪神、パーントゥになる少年一人が仮面を着け

二人がホラ貝を吹き、一人が少太鼓を打って行列の先導をする

 

その後に女性二十人余りで、クロッグとヤンニングで編んだ

草冠をかぶり、腰にはキャーンと呼ばれる蔓科の仙人草と

クロッグを巻き、両手には邪気を払う

ヤブニッケイの枝葉を持って後に続いて行く

 

スマ(集落)の東側にある、ウフウタキ(大御嶽)で

ツカサ(司)が、サティパロウを執り行う事を報告し

 

その広場で円陣を組み左回り

五周回りウルウルウルと唱えながら

持っている杖を振りながら中心に向かって歩み寄って

パーントゥを取り囲む、また四辻で同様に行う

 

再びパーントゥを先頭に、隊列を組み

ホーイ ホーイと唱えながら、ヤブニッケイ小枝を振りながら

スマ内を払いながら歩いて行く

 

特に新築家屋の周囲を巡って祓い清める儀式を行い

ホーイ ホーイと唱えながらスマの西側にある

ムスルンミと呼ばれる場所に行き

 

そこでパーントゥは仮面を取り、女性達も手に持っていた

ヤブニッケイの枝を置き、頭の草冠も取、腰の草帯を解いて

サティパロウは終了する

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パーントゥ【2】

2018年11月20日 00時00分53秒 | 日記

  島尻スマで行われる、パーントゥは

年三回行われるプナハ(祈願祭)は

旧暦九月吉日に行われる日(開催日は神人によって決められる)に

パーントゥは登場する

 

スマの青年三人が選任され、プナハの前にピカズトゥリヤ(神人)が

パーントゥ・プナハを始める事を報告し、ツマッサリ(儀式)を行う

 

祭りの時以外は、仮面は、ムウトゥ(元家)に保管されている

ムウトゥに祭の開始を報告し、お清めの塩とお酒をもらい

プナハの成功と安全を祈願する

 

儀式の後に選ばれた、三人は仮面を着け

蔓草をまとい、頭にマートウ(ススキ)をし

手にはグシャン(杖)を持ち全身に泥を塗り異様な出で立ちになる

 

この泥は、ンマリガー(生まれ泉)と呼ばれる

スマでは特別な泉として、子供が生まれたとき産湯として使い

死者を清める聖水として使われた

 

この神聖な泉の底にある泥をも悪霊を追い払う力があると信じられ

パーントゥは全身にこの泥を塗るのである

 

そうして地底から肉体を持った

神、パーントゥ三神が誕生するのである

 

パーントゥは奇声を発しながら

スマ内を巡り歩き、誰彼かまわず、泥を塗り付ける

 

特に新生児や新築家屋に上がりこみ泥を塗り邪気を払い

カリーを(縁起)を付ける

 

メディア・交通整理中の警察官・パトカーや赤ちゃん・子供

観光客など容赦なく泥を塗り付ける

泥が無くなれば、泥を充満し再度出陣する

 

この泥は強烈な臭気を放ち、塗られたら一日中臭いが取れない

ため女性観光客から苦情が多く、激怒した男性観光客から

パーントゥに暴行事件も発生している

 

パーントゥ・プナハは伝統神事で、イベントではないので

ご理解の上、パーントゥ祭を見学してほしい

 

もしも幸運にも、パーントゥに会う事が出来、泥を塗られたら

邪気が払われ、一年無病息災で幸福に過ごす事になるでしょう

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パーントゥ【1】

2018年11月15日 00時00分36秒 | 日記

  パーントゥ祭祀は、宮古島上野地区野原と

平良地区島尻とで行われている、奇祭と呼ばれる祭祀である

 

パーントゥ・プナハと言い

両スマ(集落)の伝統行事として毎年行われている

 

パーントゥ・プナハとは

パーン=食べる・トゥ=人(ビトゥ)が訛化した言葉で

プナハは祈願と言う意味で、両スマでは内容は異なっている

 

邪気を払い無病息災を祈願する、百数十年、続く伝統祭祀である

 

島尻では祈願祭は、年三回

旧暦の三月末から四月初旬と五月末から六月初旬

そして九月の吉日に行われる、

この三回目の九月の祭にパーントゥは出現する

 

1993年に重要無形民俗文化財として国の指定を受けている

 

現在の島尻の、北側のムトゥズマ(元島)海岸に

クバの葉で包まれた奇異な仮面が流れついた

その日、島尻では神を招き、祭を行う日であった

 

海の異界から来訪した、神

わがスマ(集落)に雨と、五穀豊穣をもたらす神と考え

 

仮面を大切に保管するようにと神人は

人々に伝え祀ったのが始まりとされている

 

この祭り以来、ンマ(親)・ンカ(中)・ファ(子)・三つの

仮面を選ばれたスマの若者三人が着け

体中にシイノキカズラと言う蔓草をまとい

泥を全身に塗って、神に化身し来訪神、パーントゥ神に成る

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ウヤガン祭 【4】

2018年11月10日 00時02分33秒 | 日記

  ウヤガン祭 <4>

ウヤガン祭は、大神島・宮古島の島尻スマ・狩俣スマで

毎年行われる豊年祈願祭で、地域によって旧暦の六月から

十二月の間に行われる伝統祭祀である

 

ウヤガン祭は、大神島で続けて行われているが

島尻では、1997年を最後に中断

狩俣は、2001年に最後に中断した

 

その中断した現状は複数の研究現状報告がある

その原因は、人口減少と神女の高齢化と後継者不在

そして社会環境の変化が主な原因とされている

 

2006年に一人いた、ウヤパー(祖神女)の退任に伴い

狩俣スマのウヤパーが関わる全ての祭祀が執り行うことが

出来ない状況になっている

 

一スマ(集落)のものとは思えない、ウヤパーのフサ(神謠)や

儀礼は秘儀的であるため研究者に注目されたが

まだ十分に解明されていないと言われている

 

年中祭祀全体が衰退している中、狩俣スマの祭祀

ウヤガン祭の再開に向けた取り組みが始まっている

 

宮古島の神と森を考える会、宮古島伝承文化研究センター

狩俣の文化財を守る会の

三つの会と狩俣自治会と協力し活動を行っている

 

この中で最も深く関わっているのは

宮古島の神と森を考える会である

1994年11月23日民俗学者谷川健一が初代会長を務め発足する

 

この会の趣旨に賛同する人は

年会費二千円で誰でも参加することができる

現在、島内外に多数の会員がいる

 

2017年11月26日に第24回のシンポジウムが行われ

会員に報告書が送られている

 

谷川健一先生が書かれた小説、海の群星が

1988年にNHKでドラマ化され放映されている

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ウヤガン祭 【3】

2018年11月05日 00時06分39秒 | 日記

  ウヤガン祭 

狩俣スマの住民はユームトゥ(四ヵ所の本家)の

いずれかに所属しファーマーと呼ばれ

各ムトゥの構成員になっている

 

ユームトゥには、神役の女性がいて

ウヤパー(祖神女)と呼ばれ

 

ウプグフムトゥ(大城元)のウヤパーが狩俣スマの

最高位の神女とされ、アブンマ(大きい母)と呼ばれる

各ウヤパーの元には、五人から十人ほどの神女が置かれている

 

ウヤガン祭の時には、御嶽の神家に籠るのは

ユームトゥの上位の神女たちである

 

ウプグフムトゥ(大城元)アブンマ

ナーマムトゥ(仲間元)のミョーニヌヌス

シダディムトゥ(志立元)ユーヌヌス

ナンミムトゥ(仲嶺元)ミズヌヌスの

他にユームトゥ以外のムトゥの神女も参加して

儀礼を行い、祖霊神を憑依し、ウヤパー(祖神女)に成る

 

神を憑依して祭祀を行うのは日本・沖縄の中で

このウヤガン祭祀だけである

 

また、ウヤガン祭の儀礼、フサ(神謠)などは

代々口頭伝承されているため秘儀とされ

祭祀は関係者以外、知ることなく

 

儀礼、フサなどの全貌や本質意義はまだ究明されていない

そのため研究の対象となっている

 

ウヤパーはウヤガン祭の期間は

死の穢に一切近づいてはならないとされ

 

もし家族に死者が出た場合は別の家に住み遺体にも

葬儀にも、墓にも近づかず、穢れをさけた

 

またスマの人々も喪中の家には、絶対に近づかない

喪中の家の人たちも、ウヤガン祭の期間は

家から出ず静かに過ごすのである

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ウヤガン祭 【2】

2018年11月01日 00時01分41秒 | 日記

  ウヤガン祭

ウヤガンとは、ウヤ=親・祖、ガン=神と言われ

ウヤガンは一般には祖霊神と認識され

祖霊は始祖・あるいはスマ(集落)の始祖と考えられている

 

御嶽に籠り、ウヤガン(祖霊神)を憑依した

女性はウヤパー(祖神女)になってウイカー(草冠)を頭にかぶり

手にジーグス(枝)を持ちその姿はウヤガンを象徴している

 

ムトゥヤー(本家)に戻り神詞・フサ(神謠)・舞などの儀礼を行い

その後、スマ(集落)内を回って祓い清め

ジーグス(枝)で各家の戸をたたき悪霊を追い出して豊穣を与える

 

狩俣スマには、ムトゥヤー(本家)と呼ばれる

スマ(集落)の始祖とされているウプグフムトゥがあり

 

以前は九か所あったが、現在では

ユームトゥ(四つの本家)が存在している

スマ内の祭祀は、このムトゥを中心に行われている

 

ユームトゥ(四ヵ所の本家)

ウプグフムトゥ(大城元)スマ全体の元、スマを創造した神を祀る

ナーマムトゥ(仲間元)航海安全の神を祀る

シダティムトゥ(志立元)五穀豊穣・世の主(ユーヌヌス)を祀る

ナーンミムトゥ(仲嶺元)水の神を祀っている

 

狩俣の住民は、いずれかのユームトゥ(四元)に所属し

ファーマーと呼ばれ、各ムトゥの構成員となっている

 

年中祭祀は、主に各ムトゥで行われるが

ウヤガン祭は、全のムトゥヤーが祭場となり

ウプグムトゥ(大城元)が執り仕切ってウヤガン祭が行われる

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