人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

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久米島の祭&祀【5】

2019年05月25日 00時00分39秒 | 日記

  久米島には、三十以上の御嶽と呼ばれる祭場がある

そのほかに多数の拝所がある

 

御嶽、御願所には、火の神、海の神、森の神

井の神、雨の神、祖神などが祀られている

 

その拝所には神が依り憑く

イベと言う石碑(三つの石)が置かれている

久米島は特に火の神が祀られているのが特徴

 

火の神は、ティダ(太陽)を示し

天上の「オボツカグラ」のティダガミ(太陽神)を

最高の神として崇めている

 

また、沖縄信仰において海を神聖視し

海の東方にある異界ニライカナイの

アガリウフヌシ(東方大主)も最高神と崇めている

 

久米島においても基本的には

オナリ信仰と神概念は同じであるとされている

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久米島の祭&祀【4】

2019年05月20日 00時00分49秒 | 日記

  久米島に、マキヨと言われる

血縁関係集団が集落を形成し

 

古くから、神人、根神(神女)が存在し

各集落事の、宗家から選人された女性が

神職者として祭祀を行っていたが

 

尚真王(1477~1526年)の治世に

神職、拝所を整備し改革が行われ久米島も例外ではなかった

 

神職が組織化され、十人のノロ(神女)と

根神、掟神その他の神人が各地に置かれ

 

その上にノロ、神人を統括する高級神女と言われる

三十三君の一人チンペ(君南風)が任命された

 

ノロは各集落の祭祀に関わり

チンペーは久米島の大きな祭祀の時に十人のノロを招集し

 

主にチンペールンチ(君南風殿内)や

祭祀に関わる御嶽、祭場で祭礼を執り行う

これはチンペーを中心とする祭祀となる

 

1944年に思戸金翁が、十八代聞得大君に就任したが

戦後廃職となり、現在、三十三君にあたる高級神女は

久米島のチンペー一人だけである

 

チンペーは最高位のノロとして存続している

現在のチンペーは十二代目で、、、、高齢である

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久米島の祭&祀【3】

2019年05月15日 00時00分30秒 | 日記

  第二王統尚氏三代尚真王(1477~1526年)の治世に

統治機構改革、宗教改革が行われた

 

地方の按司(領主)を王府のある首里に

居住させ武器を取り上げた

 

また神事、祭祀を行う神人(神女)、祭場を整備した

祭祀を司る神職を「ノロ」と言う名称として制定し

各地域の祭祀と祭場を管轄させた

 

ノロの上に大阿母、その上に大阿母志良礼(三人)を配し

さらにその上に聞得大君をおいて神職を組織化した

 

聞得大君は琉球全土のノロ(神女)、神人など

神職の頂点に立つ存在である

 

最初の聞得大君は尚真王の妹である

大阿母以上の神女は高級神女と言われた

 

また三十三君とも呼ばれ、

そのほとんどは王府に仕え首里城に居た

 

三十三君の一人 ノロ、チンペ(君南風)は

久米島のノロとして久米島に居た

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久米島の祭&祀【2】

2019年05月10日 00時00分48秒 | 日記

  久米島は緑豊かな森林を有しそのため水が豊富である

以前は稲作が盛んに行われ、米の島と言われていた

 

沖縄の方言で米は「くみ」と言い

米の島「くみの島」→琉美の島→久米島と

呼ばれるようになったと言われている

歴史書にも「くめの島」と「おもろさうし」にも謡われている

 

日本史書「続日記」に元明天皇の時代714年の記事に

太朝臣遠建冶等が奄美、信覚(石垣島)、琉美(久米島)の

52人を率いて奈良に入朝をしたと記されている

 

また、琉球の歴史書にも1264年に琉球王府に入貢したとある

 

久米島は歴史も古く

伝統行事文化など多く継承され守られていて史跡、石碑など有り

 

また祭場となっている、城跡は十三ヶ所確認されている

十五世紀頃久米島を支配していたと言われる

 

按司(城主)達の居城

宇江城跡と伊敷城跡、登武那覇城跡、具志川城跡など

現在も見ることが出来る

 

1511年に琉球の侵攻により琉球の支配下になる

その後、具志川城主だった上江州家が

代々地頭として久米島を統治して来た

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久米島の祭&祀【1】

2019年05月05日 00時04分29秒 | 日記

  久米島は沖縄本島南部から西に約100㎞に位置し面積63.21k㎡

人口7746人、所帯数3967(2019年3月)

 

奥武島(人口約30人)、オーハ島

砂だけの3つの砂州から成るハティヌ浜

久米島と、3島で久米島町と成っている

 

久米島の歴史は古く、沖縄の原風景が残り

歴史、伝統行事、史跡など多く残っている

 

島は緑豊か森林、自然そのままの砂だけの島ハティ浜

イフビーチは真っ白な砂浜、真っ青な青い空

 

海は透明度が高く、コバルトブルー

世界のマリンスポーツのメッカとなっている

 

ザトウクジラ・ジンベイザメ・イルカ・マンタと

色鮮やかな珊瑚と熱帯魚の舞いはダイバ達に感動を与えている

 

マリンレジャーにも最高のアクティビティが楽しめる

 

また、釣りバカ日記の映画や、CMや

ミュジックのCDの撮影や、風景に多く使われている

 

久米島の島々、砂州、コバルトブルーの海は世界一美しいと呼ばれ

島全体が自然公園に指定されている

 

また、信仰の島とも言われ

宗教上の、史跡、拝所も多く信仰心が強い

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伊江島の祭&祀【5】

2019年05月01日 00時00分37秒 | 日記

  伊江島のウプウィミ(大折目)は

昔から行われて来た伝統祭祀であるが

現在は行われていない

 

沖縄全島においても

何百年も前から続けられて来た祭祀は

時代と共に変容し簡略化されて来た

 

沖縄社会全体の都市化によってもたらされる

情報、物流、人的交流による

人々の価値観が多様化して来た

 

伊江島も例外なく価値観の変化に伴い

若者は進学、就職を求め島外へ渡る

 

また、生業のため島外で家庭を持っている人も多い

 

伊江島の最大の祭祀であった

ウプウィミ祭祀や年浴、麦穂祭なども

現在は行われていない

 

その理由として上記に記したような理由と

祭祀を執り行う神職者の減少であると言われている

 

今後も、継承、継続することは社会の変化と

価値観の多様化の時代では限界があるのではないか

 

現在、衰退して行く祭祀を島民は危機感を持ち

何とか継続しようと努力されている

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