アンガマは八重山地方で行われている
独自の伝統的祭りで
ソーロン(旧盆)期間中に行われるため
ソーロンアンガマと呼ばれている
アンガマとは先祖霊を供養するため
グソ(あの世)から使者ウシュマイ(翁)とンミー(媼)が
ファーマと呼ぶ子と孫達(10〜20人)を連れてこの世(現世)に現れる
ウシュマイとンミーは
木の板で作った仮面を付けて顔を布で覆っている
ファーマ達も花笠をかぶり布で顔を隠している
これは、この世の人ではない事を現している
声も甲高く裏超えで方言交じりで独特のである
ウシュマイとンミーは、
先祖供養のため各家に招かれ
その家の仏壇にある先祖の位牌にウートート(拝む)をし
帰ってきた祖霊を慰め、家人と家族を祝福し豊作・豊魚を授け
ニンブジャー(念仏踊)や歌、ファーマ達の踊りを披露し華な賑わいで
家主から酒やご馳走でおもてなしを受ける
アンガマの見どころは、何と言っても
ウシュマイとンミーの珍問答である
家人や観客から、いろいろな質問を少しひねって面白おかしく
滑稽な答えをし、ダジャレな答えもする
グソ(あの世)の先祖たちのことや仕来りや生活などをコミカルに応える
そして最後に家主の家族も見物人も
一緒になって、カチャーシーを踊ってお開きとなる
一行は、ホーイ・ホーイと唱えながら、次の家に行く
ソーロン(旧盆)
石垣島のソーロンは、旧暦の七月十三日から十五日まで行われる
旧盆は沖縄全島で行われる最大の祭りで
ここ石垣島でも各家庭・各ムラとしても祖先をお迎えして行われる
ソーロンの時期には島出身者は里帰りし島全体が大賑わいになる
旧暦七月七日に墓の清掃を行い
花を生け線香を立てて祖先を迎える準備をする
ソーロンの初日(13日)は、シキルピー(迎える)と言い
位牌を清め香炉をきれいにし仏壇に花を生け
出来る限りの物、料理などを供える
家の門口で線香を焚き、先祖霊を迎える
三日間は三度の食事を供え、先祖と共に食事をする
二日目(十四日)は本家や分家などの家を回り
迎えた先祖に線香を供える
三日目(十五日)ウクルピーと言って
先祖霊をグソ(あの世)に戻る日で夜遅く行われる
家の門口で、ウチカピー(紙銭)や仏壇に供えた物から
一切れずつ供え、杖になるサトウキビなども供え線香を焚き
西の方向に向かって
ヤーンメソンーチクミソーリー(来年もメンソーレ)
と言って先祖をお送りする
ソーロン中は、エイサーやニンブチャー(念仏踊り)
獅子舞、アンガマなどの祭がある
ウクルピー(送る日)の翌日七月十六日には
イタシキバラと言う行事が行われる
盆が終わってもグソ(あの世)に帰らない迷い霊や悪霊を
獅子舞の霊力で追い払い住民の無病息災と繁栄を祈願する
これらの祭祀行事は、地元の新聞、サイトなどに
日程、タイム、スケジュールが記載されている
プーリィ(豊年祭)<2>
二日目は、ムラプーリィ(村の豊年祭)
エンヌヨーニゲー(来年の世願い)
またはクナシューヌニゲー(来夏世の願いと言われる行事を
新川・石垣・大川・登野城、四つのムラが
合同で開催される事からムラプーリィと言う
この日は新川ムラにあるマイツバ(真乙姥)オンに
各ムラ大勢の人が集まり、来年の豊作を祈願する
このマイツバ(真乙姥)は有名なツカサ(司)で
1500年オヤケアカハチの乱で琉球王府軍に味方し
勝利に導いた功績により、神として祀られており
その遺徳をしのんで、ムラプーリィの祭場になっている
午後、各ムラのオン(御嶽)の旗頭を先頭にマイツバオンに集合する
各ムラを象徴する、二本の旗頭もある
また新興ムラや団体なども参加し、合計十五本の旗頭が並ぶ
最初に旗頭を先頭に、各ムラの伝統芸能が奉納される
最初に巻踊から始まり数多くの芸能やツナスミなどが奉納
そして五穀の種子、授かりの儀式が行われる
東から板舞台に乗って神が登場し
西から板舞台に乗った、マイツバオンのツカサ(神女)に
五穀(稲、粟、麦、大麦、甘藷)の種子を授ける
模擬的な儀式である
次に女性のみで行われる「アヒャー綱」の儀式が行われる
ツカサから授かった、プル棒で雌・雄の綱穴に通し結合させる
綱を囲んだ大勢の女性達が、サァーサァーサァーと掛け声を上げ
ガーリー(歓喜の舞)で盛り上げる、これも模擬的な綱引きである
プーリィの最後に東西に登野城ムラと石垣むら
大川ムラと新川ムラに別れて大綱引きをする
終ったら引き継を縁起物として持って帰る
石垣島のプーリィはオンプーリィとムラプーリィとも
オン(御嶽)と島の人々の信仰と繋がりが強く
現在でも伝統は引き継がれ守り行われている
プーリィ(豊年祭)<1>
プーリィは、稲・粟など、今年の豊穣を感謝と
クナシュー(来夏世)・エンヌュー(来年世)の豊穣を祈願する
石垣島最大の祭りである
プーリィは、オン(御嶽)プーリィ(一日目)と
ムラプーリィ(二日目)と二日間行われる
初日は4つのムラ(字)が、フーバナアギ(穂花上げ)と言い
一年の、豊穣感謝の祭祀を、4つのムラのオン(御嶽)で
ツカサ(司)を中心に行われる
ムラにあるオンで祭祀が行われる事から
オンプーリィと呼ばれる
アーマーオン(登野城ムラ)・ウシャギオン(大川ムラ)
メートゥルオン(石垣ムラ)ナガサキオン(新川ムラ)で
各家庭から料理などを持ち寄り供える
オンの前で行事の最初に各ムラを象徴する、旗頭を先頭に入場し
鉦鼓隊・巻踊・獅子舞・組棒など演じ神酒も奉納される
午後からは、舞台が設えられ、多彩な芸能が奉納される
大川ムラでは綱引きがあり、オンの広場で行われる
各ムラ中心の祭(祭祀)は大きな賑わいである
石垣島に関する歴史的記録は
十四世紀以前の記録された歴史書は皆無に等しいと言われているが
「続日本記」714年に「信覚」「しがき=いしがき」などの
人々が大宰府に来朝したと記述されている
「信覚」は石垣島を指すと言われ
日本の歴史に始めての記録である
沖縄の歴史に登場するのは、十世紀末頃、琉球王府が編纂した
史書「球陽」に、1390年に宮古と八重山(石垣)が
中山王察度に入貢したと記されている
石垣島は伝統的祭祀・神事が多く存在し
拝所であるオン(御嶽)が43ヶ所もあり
古代からの祭祀形態も根強く引き継がれて
沖縄本島よりも石垣島には濃厚に残って島の暮らしの中に生きている
ハーリー(海神祭)・プーリィ(豊年祭)・シチ(節祭)ソーロン(旧盆)
タナドゥイ(種子取祭)祈願祭などの祭祀・神事がある
これらの祭祀を執り行う神職は女性で
ツカサ(司)カンツカサ(神司)と呼ばれる
沖縄本島ではツカサをノロ(神女)と呼び
拝所である「オン」を御嶽(うたき)と言う
石垣島は沖縄本島から南西に約410キロ
面積は222,25k㎡で
沖縄本島、西表島についで、三番目に大きい島で
八重山諸島の、政治・経済・教育・交通の中心で
石垣島一島で石垣市となっている
人口49482人・所帯数24、121(2018年2月)
石垣島は豊かな自然と独自の歴史や文化を有し
古くから受け継がれて来た、伝統的神事・祭祀などがある
石垣島と言えば、青い空と真っ白な砂浜のビーチ
シュノーケリング・ウィンドサーフィン
パラセールング、グラスボートなど楽しめる
そうして美しい珊瑚、色鮮やかな熱帯魚の観賞
満天の星空は最高です、
そして石垣島最大の石垣鍾乳洞
また伊原問サビチ洞は海に抜ける鍾乳洞がある
また、グルメ、ショピングなども楽しめる