人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

門中 【5】

2021年03月25日 00時00分16秒 | 日記

  沖縄糸満市に、沖縄最大と言われる幸地腹(こうちはら)

赤比儀腹(あかひぎはら)(腹とは門中の意味)

共同の門中墓がある

 

墓地の面積、5400㎡(1600坪余り)に

本墓・仮墓が建てられている

 

墓地の中央に、トーシー墓(本墓)シルヒラシー四墓(仮墓)

ワラビ墓(幼児墓)・納骨堂・洗骨場などがある

 

東側に幸地門中の墓・西側に赤比儀門中の墓

毎年、三十~三十五体程納骨され

 

現在まで五千五百人以上の

先祖は祀られていると言われる

 

両、門中の伝統行事は正月・お盆と、最大の行事は

祖先を供養する、シーミー(清明祭)である

 

毎年三月から四月頃、一門が、墓前に集まり

各所帯事に、重箱詰料理とお酒、花を供えて

一同、心を合わせて御願(拝礼)をする

 

ウサンデー(お供え物をいただくの意味)として

供えた御馳走を皆でいただき

 

先祖に感謝し先祖を敬い

一門の絆を深め、門中の一員として自覚していく

 

現在は、幸地門中の会員は、約三千人

赤比儀門中は、約千五百人の会員を有していると言われる

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門中 【4】

2021年03月20日 00時05分32秒 | 日記

  門中は血縁共同の墓を持ち

門中(一族)の団結の象徴となっている

 

旧暦の三月から四月にかけて

沖縄全島で、シーミー(清明祭)が行われる

 

各門中、所帯ごとに集まり

墓前で盛大に祭祀が行われ

この祭祀を通して、門中の一員として自覚する

 

この門中墓に、門中全員が入ることが出来るが

いろいろな規則がある

 

女性が未婚のときには

父の門中墓に入ることが出来るが

嫁いだあとは、嫁ぎ先の墓に入る

 

もし離婚して嫡子がいない場合は

実父の門中の脇にある脇墓に入る

 

離婚して他家に嫁いだ女性であっても

元夫に嫡子があった場合は

離婚した元夫の同じ墓に入れられる

 

このように、血統を厳守し

生前も死後も門中に属するのである

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門中 【3】

2021年03月15日 00時00分15秒 | 日記

  門中系図には同じ始祖を持つ男性を中心の

血筋だけを記入され、父系血禄を厳格に尊守されている

 

実子であっても女性は不適格とされ

男子がいない場合は父系縁者、兄弟の子供

男子を養子に迎え父系血統を厳守っている

 

長男が位牌と財産全てを受け継ぎ

ムートゥヤー(始祖の本家)と呼ばれ

 

ムートゥヤーを中心に二男・三男とヤーワカリ(分れる)し

序列を示す、屋号を持ちっている

 

ムートゥヤーには、その始祖以下の祖先が祀られ

末端の分家では、その上の本家の祖先を拝むことで

全ての祖先を拝むことになる

 

門中の共同祭祀行事は

ムートゥヤーが主導的に役割を果し

門中に属する全ての人が参加し

現在でも盛大に行われる

 

門中には、共同の墓を持っている

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門中 【2】

2021年03月10日 00時00分15秒 | 日記

  門中(むんちゅう)とは

一族・一門のことで

 

同じ始祖をもつ、男性の血筋(父系血縁)だけを記述され

婚族は配偶者のみを記入するのが「門中系図」である

 

この血縁集団は永遠に死んでも門中の一員である

同じ始祖を敬い強く意識し強い繫がりで結びついている

 

父系血縁を厳格に尊守され

実子であっても女性は不適各とされ

 

父系縁者の兄弟の二男か三男を養子に迎え

父系血筋を守っている

 

門中は共同の墓を持ち

通年ごとに祭祀が行われている

 

春のシーミ(清明祭)には

一門揃って始祖の墓前に参り

 

祭祀を通して、門中の一員として

自覚し、絆を深めている

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門中 【1】

2021年03月05日 00時00分16秒 | 日記

 琉球国の行政最高位、摂政(1666~1673年)に

羽地朝秀(1617~1675年)が就任する

 

薩摩藩の侵攻以来、行政、経済が疲弊していた

国を立て直すため、行政機能の強化

 

地方制度改革・政教分離など数々の政治改革を断行し

国を立て直すのに一定の成功を治める

 

尚真王(1477~1526年)の時代には

ゆるやかな、身分制度は形づくられていたが

 

1670年頃から、系図・家譜の編纂を

羽地朝秀によって行われた

 

士族・平民と明確に区別する

身分制度化する 改革が行われた

 

王府に系図座という戸籍を管理する、系図座を設けれ

全ての士族に、系図を作らせ提出させた

 

一冊は王府の系図座・一冊は王府の頒賜認定を示す

御朱印を押された後に各家庭で保管した

 

五年に一度追加編集を行い大切に保管された

 

その頃、門中(むんちゅう)制度、家譜(系図)が

作られたと言われている

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久米三十六姓【5】

2021年03月01日 00時00分11秒 | 日記

   久米村は、中国明王朝の朝貢交易に

重要な担い手と成って、政治力、経済力を手にした

 

久米三十六姓の地位は極めて高く

流球国の政治に深く影響を与えて

朱明府と呼ばれるようになる

 

察度王(在位1350年~1395年)の時代

1392年に閩(びん)と呼ばれた現在の福建省から

渡来してきた人達を閩三十六姓と呼ばれた

 

彼らは大多数が福建省出身の

客家であったことが明らかになっている

 

客家とは漢民族で古代中国の中原(都)の

王族の末裔で政変によって王朝が交代したとき

 

権力の座からの追放、戦乱から逃れるため

中原から地方に落ち延びて

 

移住先から見てよそ者であるため

客家と呼ばれた

 

客家は移民のため土地の所有が困難のため

商業や流通に従事することが多く

 

そのため子弟には教育熱心であった

その客家が、東南アジア、東アジアに渡り

 

そして琉球にも渡来してきた

この客家が華僑のルーツだとされている

 

シンガポール初代首相の

りー・クァンリュー、二代、三代目首相

 

フィリピンの大統領、コラソン・アキノ

ベニンク・アキノ大統領や

 

タイのタクシン・チナワット元首相

インラック・チナワット前首相

 

中国の元最高指導者鄧小平なども客家の出身である

 

沖縄の政治家にも多数、

久米三十六姓の末裔の出身者がいる

 

前仲井間弘多知事(蔡家)(2006年~2014年)

元稲嶺恵一知事(毛家)(1998年~2006年)

 

元平良松那覇市長(馬家)(1968年~1984年)なども

久米三十六世の末裔出身者である

 

教育者、経済界にも多数の方が活躍し、沖縄の政治、経済に

現在も多大な影響を与えている

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