人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

日本人のルーツ【2】

2019年08月25日 00時00分36秒 | 日記

 東アジアの東端に位置する日本列島に

約4万年前から人が住んでいたことが

石器の出土からわかっている

 

「人」が日本列島に住み付いてから

1万年以上前までを、後期旧石器時代

 

1万年前から、紀元前3世紀頃までの

約8000年間を縄文時代

 

起元前3世紀頃から、起元後3世紀頃までの

500~600年間を弥生時代と呼ばれている

 

日本列島の住人は狩猟の生活であったが

弥生時代に大陸、北東アジアからの

渡来人(弥生渡来人)によって水稲伝来し

稲耕作が始まった

 

渡来人は平坦な顔で歯が大きく長身であった

日本に住む縄文人は彫の深い顔で歯が小さかった

 

渡来人が日本列島に渡来して来たことは

化石からなどから明らかになっている

 

縄文人と渡来人が徐々に混血していくことで

現在の日本列島人が形成された

 

そのため日本人の成立を説明する学説として

二重構造説が定説と成っている

 

日本列島の北の端に住む、アイヌ人と

南に住む沖縄人は、縄文人の遺伝的にもっとも近く

 

中間に位置する本土人は、沖縄人の次に

アイヌ人に近い事がわかった

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日本人のルーツ【1】

2019年08月20日 00時00分26秒 | 日記

  私たち人類(ホモ・サピエンス)は、約5~10万年前に

アフリカを出て世界中に拡散していったとされている

 

その一部の集団が約4~5万年前に東アジアに来たと

化石の証拠などから証明されている

 

人の歴史を得る研究は、人骨や化石、土器などを

観察する考古学や人類学の方法が用いられて来たが

 

1980年代以降は、いろいろな方面の科学技術が進み

DNA、から人類の歴史を読み解く遺伝子学的研究も

盛んに行われるようになった

 

人が100万年以上前に、

アフリカを出て世界中に拡散した

古人類の子孫ではなく

 

約20万年前に

アフリカで誕生した「人」の系統の子孫だとされる

 

また、遺伝学研究によって

アフリカ単一起源説が証明されたと言われている

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琉球開闢説話【7】

2019年08月15日 00時00分28秒 | 日記

  開闢 <2>

最高神天帝がアマミク(阿摩美久)に命じ

琉球の島々を創造させた

 

また、アマミクは神々を拝する霊地(御嶽)を造り

これを称して開闢七御嶽と言われ

現在でも年間を通して祭祀、祭礼が執り行われている

 

それから数万年経っても人が生まれず

これでは神の威光を顕しようがないと

アマミクは、また天帝に人間の種を乞うた

天帝は自分の子である男女の神を下さった

 

そして二人の間から三男二女が誕生した

長男は国の王、天孫氏に

次男は地方の按司(領主)の始めに

三男は百姓の始めに

 

長女は君君(神職の最高位)の始めに

次女はノロノロ(地方の神女)の始めに成ったとある

 

即ち沖縄の島々はアマミクによって創造され

天帝の子が降臨して沖縄の人々の

祖先に成ったと言う事である

 

この説話は沖縄の最も古い中山世鑑に記述されている

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琉球開闢説話【6】

2019年08月10日 00時00分27秒 | 日記

  開闢 <1>

琉球の歴史書中山世鑑(1650年)と球陽(1743~1876年)

遺老瀬節伝(1743~1745年)などに編纂された国創り、人類創世説話

 

昔・大昔、最高神天帝が、アマミク(阿摩美久)を呼んで

この地上に神が鎮座すべき、霊処がある

 

しかし未だに島に成っていない

下界に降りて島を創でと命じた

 

アマミクは降りてみると霊地はあるが

東から西え、西から東えと、海の波が超えていくような状態であった

霊地は島に成っていなかった

 

そこでアマミクは、天に上がり

天帝に土・石・草木を下さるならば島を創りましょうと申し上げた

 

天帝は土・石・草木を与えた

アマミクは持ち下り、沖縄の島々を創造した

 

そうして神々を拝する霊地(御嶽)を造った

始めに国頭の辺戸に、アスムィ(安須森)御嶽

次に今帰仁今泊まりに、クバ御嶽

セーファ(斎場)御嶽を南城市知念

ヤブサツ(藪薩)御嶽は南城市玉城

アマツジ テンツギ(雨つづ天つづ)御嶽は南城市玉城、玉城グスく内

クボー御嶽を南城市知念久高島

シュイマダムイ(首里真玉森)御嶽を首里城内に

 

九つの御嶽を造ったとされているが

現在、この七つが、琉球開闢七御嶽として

沖縄の神聖な拝所として

沖縄の信仰を集めている

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琉球開闢説話【5】

2019年08月05日 00時00分29秒 | 日記

  古宇利島始祖説話<2>

古宇利島の西側に、ファーナシガマと呼ばれる半洞窟がある

この洞窟は「始まりの洞窟」とも呼ばれている

 

最高神、天帝が地上に下した人類の祖と言われる

男女(兄妹)が住んでいた場所である

 

二人は天上から降ってくる餅を食し暮らしていたが

ある日餅は降らなくなった

 

そのためチヌグ浜の洞窟に移住し

魚介類などを獲り食し暮らしていた

 

ある時、海馬が「まぐわう」を見て男女の交わりを知る事になった

やがて二人に子供が出来、人類祖始と成った物語である

 

古宇利島にウンジャミ(海神祭)と言う祭祀がある

この祭祀の儀式の中に、人類創世を証する

餅降り・神送り・「まぐわう」の儀式がある

 

神お送りは、兄が魚の最中、海で亡くなった

兄の墓が大宜味村塩屋にある

そのため妹(女神)を船に乗せて神送りするのである

 

この儀式は、塩屋においても、兄(男神)を送る儀式が行われている

 

まぐわう、は選ばれた、神役の男女が

まぐわうの儀式の演戯を行い子孫繁栄を祈った

この儀式は1982年頃から行われていない

 

人類創世にまつわる、御願所、祠、お宮などの拝所が多数あり

神として祀られ、拝む対象になっている

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琉球開闢説話【4】

2019年08月01日 00時00分27秒 | 日記

 古宇利島の始祖説話<1>

キリスト教の聖典旧約聖書に、アダム(男)とエバ(女)の人類創始と

マナ物語に酷似した、沖縄の祖先と成った人類誕生伝説である

 

最高神、天帝が男女(兄妹)を古宇利島のシラサ岬に降臨させた

二人は裸であったが恥ずかしいとは思わなかった

 

二人は毎日天上から降ってくる、餅を食べて幸福に暮らしていた

ある日、もし餅が降らなくなったら、どうしょうかと考え

 

二人は貯えようと思った

ところが貯え始めると

餅は降らなくなった困った二人は必死に月に向かって祈った

 

たうたうまへされ、たうたうまへ (お月様4、もしお月様)

大餅やと餅、お賜べめしょれ  (大きい餅を、太い餅を下さいまし)

うるまぐる拾うて、おしゃげやべら(赤螺を拾うて上げましょう)と

 

声を嗄らして歌ったが餅は二度と降る事はなかった

 

二人は生きるための糧をえるために

海で魚介類などを獲り生活をした

 

二人は動労の始めと、生きる苦難を知るようになる

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