人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

沖縄の仏教 【14】

2017年09月25日 00時04分44秒 | 日記

  袋中良定上人 <3>

袋中は以前より、中国明に渡り仏法を学びたいと望んでいた

五十二歳(1603年)の時、意思を固め郷里の磐城を旅たち

明への便船を求め九州の長崎平戸より出国したとされている

 

しかし当時は日本と中国明との関係は断絶状態であり

日本人は入国出来なかった

 

やむなく琉球に渡り、そこで渡明する機会を待つことにした

 

袋中が琉球に渡った経緯については

「袋中上人絵詞伝」と「檀王林袋中上人―琉球と京都の架け橋」に

詳しく記されている

 

袋中は渡船を待つかたわら

念仏布教を熱心に活動していく


士族で王府の高官那覇港に勤めていた

馬幸明が帰依した

 

また、儀間真常も深く帰依する

儀間真常は、沖縄の五大偉人の一人である

中国から伝来した蕃薯(はんすー(いも))の普及

 

砂糖の制法の伝播、琉球絣の木綿栽培、織などの

沖縄の産業の基礎を築いた人である

 

袋中から儀間真常に「麻性家譜」に

袋中直筆の「受了徳公」書を賜ったと記され

掛け軸が残されている

 

時の七代目尚寧王も、袋中に厚く帰依して

松下町に桂林寺を建立し、袋中は居寺し布教活動をしていく

多くの信仰を集め、沖縄の文化に大きな影響を与える

 

「袋中上人絵詞伝」や「檀王林袋中上人―琉球と京都の架け橋」

に詳しく記述されている

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沖縄の仏教 【13】

2017年09月20日 00時04分11秒 | 日記

   袋中良定上人 <2>

  袋中上人は、1552年2月23日福島県いわき市で誕生

1565年、十四歳の時出家し、袋中良定と称した

 

十六歳の時、如来寺に入寺

二十歳の頃に山崎の専称寺へ修行のため行脚し

さらに本山である、下野国大澤の円通寺にて修行

 

それから聖衆来迎寺で比叡山の高層泉僧正に

大戒の受得を願い、円頓戒を授けられる

 

1576年、二十五歳の時

江戸増上寺に入寺、浄土宗白旗派の奥義を極め

また、足利学校において禅を学ぶ

 

1580年、二十九歳の時

故郷の成徳寺に住侍として就任し

成徳寺の十三世と成る

 

1599年、四十八歳の時

大守岩城貞隆が袋中に帰依した

 

場内にて布教活動しながら

著作書を多数著わす

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沖縄の仏教 【12】

2017年09月15日 00時40分02秒 | 日記

  袋中良定上人 <1>

袋中上人は、沖縄に初めて浄土宗を伝え広めた

浄土宗の学僧で睦奥国磐郡の出身である

(現在の福島県いわき市常磐西郷町)

 

琉球国由来記や中山世譜に袋中上人の功績、事績が記述されている

仏学を求めて、中国明へ留学を志して渡海する事を決意するが

 

その頃の国際情勢は

豊臣秀吉の朝鮮侵攻で中国明王朝は朝鮮を支援していた

そのため日本人が明に入国することは困難な時期であった

 

まず沖縄に渡り、渡明の機会を待ったが

そのような国際情勢のなか、

外国船も日本人を恐れて乗船出来なかった

 

琉球に三年滞在し渡明する機会を待ったが叶わなかった

その間、袋中上人は浄土宗を教え広めた

 

熱心な布教活動で

国王・王府の高官始め多くの人々が帰衣する

 

琉球神道記5巻・琉球往来などを著わし

寺院の建立、伝承など多く残されている

袋中上人にまつわる石碑などもある

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沖縄の仏教 【11】

2017年09月10日 00時02分23秒 | 日記

 鶴翁和尚 <3>

末吉宮の創建された、経緯が、袋中良定(1552~1639年)が

三年沖縄に滞在し記した、琉球神道記に末吉権現事として

鶴翁が熊野三所権現を勧請(分霊)したと記述されている

 

末吉神社が鎮座する末吉公園は都市の中にあって

広大(約8ヘクタール)で大部分は森林で蓋われ

自然が残っている、聖なるムイ(森)である

 

昔から御嶽・イベとして崇拝の聖域であった

ムイ(森)の中には、最高拝所「宇天軸」や

宇天火の神・国の主・黄金軸・宇天軸底神弥勒御水

沖縄御先七御水神などの多数の拝所が、点在している聖地である

 

宇天軸とは、天の国、死者が赴くあの世

軸は中心を意味し、この世と、あの世をつなぐ特別な場所としている

末吉神社と遍照寺(万寿寺)は聖地霊住に創建されている

末吉宮の主祭神は、熊野三所権現の神

伊弉再尊・速玉男尊・事解男尊である

 

末吉宮は、仏教・神道・祖先信仰・ニライカナイ信仰が

習合した神々を拝する、沖縄特有の信仰を形成している

 

末吉宮は、沖縄戦で焼失し、現在の宮は、

1972年に再建された、琉球八社の一つの神社である

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沖縄の仏教 【10】

2017年09月05日 00時02分09秒 | 日記

  鶴翁和尚 <2>

鶴翁の生没年月日は不明であるが

壮年の頃、京都の東福寺で修行

住持の彭叔守仙(1490~1555年)に教えを受けたとされている

 

鶴翁が修行を行っていた時、熊野権現を崇信していた

学道成就したならば、かならず熊野を参詣ですると誓いを立てた

 

帰国後住持となった鶴翁は

誓願を果たすため、国王に暇請いを願い出たが

尚泰久王の許しは得られなかった

鶴翁は再び日本へ渡ることはなかった

 

ある時夢に人が現れ「師、志を遂げたいと

欲するなら是より北山に向かって大きな声で

呼なさい応じる所に霊験があるだろう

そこが即を居所である、私は熊野権現であると言った」

 

夢から目覚め、言われたとおり

峰に声を上げると前の山に響きがあった

そこは急崚な山で霊地のようで人蹴のおよぶ場所ではなかった

 

それでも登ってみると途中鬼が現れ

鶴翁は霊験であると思って、これを拝した

 

事の成り行きを、国王に奏上すると

尚泰久王も同様霊夢を見たことから

 

この出来事は、なにか意味のあることであるからと言って

この地に宮を建立した

 

また鶴翁はこの地を歩いていた時、古鏡を見つけ

それを得て宮内に納めたと云う、などの伝承がある

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沖縄の仏教 【9】

2017年09月01日 00時01分33秒 | 日記

 鶴翁和尚 <1>

鶴翁和尚は、沖縄仏教に多大な影響を与えた一人である

琉球国由来記巻11密門諸寺延縁起

 

袋中良定が著した琉球神道記などに

鶴翁の事績などが記述されている

 

鶴翁が、1450~1457年に

首里末吉に末吉宮の別途寺院として遍照寺を建立した

山号は大慶山真言宗に属した

 

元は万寿寺といい臨済宗寺院だった

その後何度か寺院名が変わっていく

 

薩摩藩の支配後(1609年)は遍照寺となり

一般民衆には、しいしーぬてぃら(末吉寺)と呼ばれた

 

遍照寺本尊は大日如来

または、毘盧遮那仏で山号は金剛山である

 

偏照寺は玉城朝薫(1684~1734年)によって

創作された組踊執心鐘入の舞台となった寺院としても有名である

 

沖縄戦で寺は焼失したが

戦後、寺地を沖縄市久保田に移し再建されている

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