人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

西表島 【4】

2017年05月25日 00時02分31秒 | 日記

  西表島は、ほとんどが亜熱帯ジャングルで覆われていて

島全体の80%以上占めている

 

琉球王朝時代に何度か強制移住が行われたが

マラリア病によって多くの人々が犠牲になる

移住と廃村が繰り返された歴史がある

 

そのため、手付かずの豊かな自然が残っている

東洋のガラパスコと呼ばれている

 

日本最大規模のマングローグ群や、ヤエヤマヤシ群と

珍しい動植物が生息している

 

自然を生かした観光業が盛んに行われていて

バラエティーに富んだ、アクティビティーを可能にし

ジャングルで楽しむ、アクティビティーが充実している

 

マングローブカヤック、滝トレッキング

ピナイサーラの滝50メートル以上のキャニオニングなどで

大自然を体感でくる

 

西表島には美しい自然の砂浜が多くある

星砂の浜での、星砂探し、海亀が産卵に訪れる月が浜など

 

また、透明度を誇る青い海でダイビング・シュノーケリングなど楽しめる

西表島!!!

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西表島 【3】

2017年05月20日 00時01分42秒 | 日記

  マラリアはマラリア原虫を持った

ハマダラ蚊によって感染する恐ろしい病気である

 

太平洋戦争終戦間近に、日本軍の命令により

1945年3月末に西表島に強制疎開が

石垣島・竹富島・黒島・新城島・波照間島の住民に命じられた

その結果多くの人々が犠牲になった、世に云う戦争マラリアである

 

特に波照間島の島民は

1945年4月頃から始まった

移住先は食糧が乏しく、劣悪な環境で抵抗力が落ち

それに合わせて、マラリアが発病し発病患者が次々と病死し始めた

 

沖縄での戦争は、1945年6月23日に終ったため

7月に疎開が解除され、それぞれの島に帰還したが

 

戻った島には食糧も薬もなく体力が落ちほとんどの

住民はマラリアに感染した、子供を含め、488人が亡くなった

 

八重山諸島全体での犠牲者は

資料によると当時の全人口は3万1671人

マラリア病で亡くなった住民は、3647人とある

 

八重山では直接の戦争よりも

マラリア病の被害が多かったためマラリア戦争と言われている

 

八重山のマラリア撲滅運動は1922年頃から始まり

1949年にはほぼ撲滅され

 

最後に患者が出たのは1961年である、それ以後は出ていない

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西表島 【2】

2017年05月15日 00時41分37秒 | 日記

  西表島の歴史はマラリアとの戦いの歴史であると言える

 

マラリアとは、蚊によって媒介する恐ろしい病気である

マラリアは、マラリア原虫を持った、ハマダラ蚊に刺されると感染する

 

すると寒気で身体が震え

その後に高熱や頭痛、吐き気などがあり

震えと高熱の繰り返しが、2,3日続き

体力が衰え、そして赤血球が破壊される

 

また、脳マラリアによる意識障害や腎不全などをお越し

死に至ることもある恐ろしい病気である

 

琉球国時代、宮古・八重山諸島だけに施行された

人頭税(1637年)とう政策が実行された

 

そのため西表島の開拓を奨励した

納税する穀物の生産を上げるためである

 

八重山諸島の人々が強制的に移住をしいられ

そしてマラリアよって多くの多くの人々が犠牲になった

移住と廃村とが繰り変えされた悲惨な歴史である

 

また、1886年(明治19年)三井物産会社が

炭鉱採掘の許可を取り、工夫200人余りの人で採掘したが

3年間で半数の100人以上がマラリアに感染し死亡した

 

残りの人達もマラリアに罹患したといわれている

そのため、1889に事業を休止している

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西表島 【1】

2017年05月10日 00時02分15秒 | 日記

  西表島(いりおもてじま)は

沖縄県八重山郡竹富町に属する島で

 

沖縄本島に次いで、2番目に大きい島である

西表島は山がちで、平地がほとんど無い

亜熱帯のジャングルで覆われて、約80%国有地となっている

 

居住地は海岸沿いのほんのわずかな土地に

14の集落が点在している

 

沖縄本島から南西に、460㎞に位置し

石垣島から高速船で約40分面積289,61㌔㎡

人口2437人・世帯数1887(2016年7月現在)

 

産業は手付かずの自然を生かした観光業を中心に

農業(稲作・さとうきび・パイナップルなど)

牧畜(牛)・漁業などが営まれている

 

亜熱帯のジャングルで覆われた島は

西表国立公園に成っていて、東洋のガラパコスと呼ばれ

天然記念物のイリオモテヤマネコが生息する島として有名である

 

東側に大原港に注ぐ仲間川は天然保護地区として

国の天然記念物に指定された日本最大規模のマングローブ郡や

天然記念物ウブンドルのヤエヤマヤシ群が生息している

 

西表島である

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八重山 【16】

2017年05月05日 00時02分07秒 | 日記

  石垣島 <2>

石垣島には歴史に関する記録は

14世紀頃までの記録された歴史書はほとんど存在しない

 

石垣島が初めて歴史書に記載されるのは「続日本記」714年に

「信覚」「しがき=いしがき」などの人々が

大宰府に来朝したと記されている

「信覚」は石垣島を指すといわれ日本の歴史に初めての記録である

 

沖縄の歴史に登場するのは

14世紀末頃、琉球王府が編纂した史書である「球陽」に1390年に

宮古と八重山(石垣)が中山王察度に入貢したと記述されている

 

歴史の有る石垣島で数多くの御嶽(83か所)、拝所があり

伝統的祭祀、行事が多く存在し祭祀形態も根強く受け継がれている

 

沖縄本島よりも石垣島には濃厚に残って

島の暮らしの中に息づいている

 

祭祀・神事を執り行うのは、沖縄ではノロ(神女)

石垣では、ツカサ(司)神司とも呼ばれる

女性神職者

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八重山 【15】

2017年05月01日 00時01分10秒 | 日記

  石垣島 <1>

石垣島は沖縄本島から南西に約410キロ、面積は222.25k㎡で

沖縄本島、西表島に次いで、3番目に大きい島

 

八重山地域の政治・経済・教育・交通・文化の中心地で

石垣島一島で石垣市である

人口49265人、世帯数23585(2016年12月現在)

 

石垣島は豊かな自然と独自の歴史や文化を有し

古くから受け継がれた民話・芸能・伝統的神事・祭祀など

多く存在している

 

石垣島といえば、青い空と真っ白な砂浜のビーチでの

シュノーケリング、ダイビング、ウィンドサーフィン

パラセーリング、グラスボートで美しい珊瑚

色鮮やかな熱帯魚の鑑賞、満天の星空は最高です

 

石垣島最大の石垣島鍾乳洞

また伊原間サビチ洞は海に抜ける鍾乳洞

 

多くの遺跡、伝統芸能など多彩である

また、グルメ・ショピングなども楽しめる

石垣島である

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