第二尚氏王統三代目尚真王(1477~1527年)のとき
地方領主である按司を首都首里に集居させ武器を取り上げ
中央集権体制政策を行った
各地域の聖域、御願所を御嶽と言う呼び名に変え
神事、祭祀を整理し統制化した
また、ノロ(神女)の組織を整備し階層化した
集落のノロが各集落の御嶽を管理させ
全体のノロの上大阿母(おおあも)
その上に三人の大阿母良礼が首里の三間切りを掌管する
その上に阿応理屋恵佐司笠
その上に聞得大君を置いた
それらの高級神女を総じて三十三君と呼んでいた
聞得大君は
琉球全土のノロの頂点に立つ存在である
聞得大君は琉球国を守護する国王の「おなり神」である
王妃よりも上位に置かれていた
最初の聞得大君は尚真王の妹(音智殿茂金)である
祭祀制度を制定し階層化して
琉球を中央集権化と祭祀との祭祀一致の政策を行い
王権を不動のものにした
この第二尚氏王統は
19代(1469~1879年)410年(明治12年)続いた
(第一王統は1406~1469年、7代続いて63年)