1609年3月4日薩摩軍3千余兵、80余りの船団が
琉球に侵攻し奄美大島・徳之島・沖永良部
そして3月5日琉球本島今帰仁運天港に侵攻
次々と攻略、琉球国軍の抵抗はむなしく
4月4日首里城は陥落、尚寧王は降伏し首里城を下城する
5月15日尚寧王薩摩へ連行され
1610年将軍徳川秀忠に謁見のため江戸へ
8月28日江戸にて秀忠に謁見し尚寧王臣従を表明する
その随行、約百余名の中に勢頭役として
真常も随行していた、その帰り
1611年木綿(きわた)の種を
薩摩から持ち帰り屋敷内で試植し研究した、
そうして栽培法と木綿の織り方を普及させ
後の琉球絣織の基礎を築いた
また、ウージ(甘蔗)の栽培法とウージ(サトウキビ)から
サーター(砂糖)の製糖方法を琉球全島に普及させる
サトウキビの発祥の地はニューギニアの島々であると言われ
6000年前後現在のインドと東南アジアに広まり
砂糖の精製は北インドが発祥とされている
中国では紀元前3世紀頃から長江流域で
甘蔗から砂糖が作られていた
琉球にもサトウキビをウージとして栽培されていたが
砂糖にする製法は知らなかった
琉球は明王朝と朝貢関係にあり度々明国を行き来していた
1623年頃王府の高官であった真常は部下を
明国に派遣し製糖方法を学ばせ
そして琉球においても
ウージから砂糖(黒糖)を製造する事が出来た
そして琉球全島に普及させ琉球の基幹産業のひとつになった
現在でも沖縄を代表する重要な産物である