尚真王は叔父二代目宣威が王位を退位した後を受け
1477年尚真十二歳の時、三代目琉球国王中山王に即位
1479年冊封を受け、歴代王の中で最も長く琉球国を統治した
初期の頃は母后オキヤカ(宇喜也嘉)が幼少の王を
補佐し政治に関与していたと言われている
尚真王は五十年、国を統治し多くの事績を残している
最大の実績は、中央集権体制を断行した事とされている
また各地域を支配していた按司(領主)を王城である
首里城の周辺に居住させ、そして武器を取り上げた
その地方に按司掟と言う王府の役人を置いて
全島を支配下に治めた
按司たちには収入を保証し、位階を与え
身分に応じた、色の冠や簪の着用を定めた
また太古から各地にあった祭祀,神事、祭場を整備し
聞得大君を頂点に地方の祭司を行う神職を
ノロと呼ばせ組織の中に組み入れ、階層化した
初代聞得大君は尚真王の妹月清である
尚真王は政治を中央集権化し、祭祀制を階層化して
祭政一致を行い、王権、第二王統を盤石体制に整えた
北は奄美群島から、宮古、八重山諸島まで支配下に置き
それぞれの島、地域に役人を配置し
祭祀を行うノロ(神職)を任命した