人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

仏教  【24】

2015年02月25日 00時05分04秒 | 日記

 教義  <11>

仏教の愛

人間の最も根源的な欲望であり

原義は「渇き」であり


人がもし喉が渇いている時に水を飲まないでは

いられないというような行動を言う


それに例えられる根源的な行動が

人間存在の奥底に潜在しており


そこでこれを「愛」とか「渇愛」と訳し

時には「思愛」とも訳す


広義には煩悩を意味し

狭義には貪欲と同じ意味である


また、この「愛」は

十二因縁の第八支に組入れられている


仏教においては

すべての生命は平等であり


相手の幸福を願う心が

人間の目指すべき理想であり


仏教の思想であると説く !!!

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仏教  【23】

2015年02月20日 00時02分08秒 | 日記

 教義  <10>

無明

無明とは迷いのこと

また、真理に暗いこと

智慧の光に照らされていない状態を言う


仏教では十二因縁の根源に無明をおく

すべての苦は、無明(迷い)を原因とする


煩悩から発生し、智慧によって

無明を破ることにより消滅すると説く


我というものが存在するという

見解(我見)が無明である


無常であるものを常在と見るが

それが失われると苦しみが生じる

すべての苦しみはこの無明を原因として発生すると説く


この苦しみを消滅する方法は

初期経典には定形文句として

四諦・八正道であると説かれている


この四諦・八正道を知らないことも無明である

たとえば、闇について、多くの人は

「闇は存在する」と漠然と考えている


しかし、闇に光が当たると、

闇はたちまち消えうせる

闇がどこか別の所に移動したわけではない


つまり闇は初めから存在しなかったということである

闇は「光の欠如」ということであって


闇と呼ばれる「なにか」が存在するわけではない

精神的な「苦しみ」についても

同じようにとらえることができる


智慧の光によって、苦しみはたちまち姿を消す

苦しみが、何か実体を伴って存在しているわけではない


実際には無いものを有ると考えるのが

無明である !!!

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仏教  【22】

2015年02月15日 00時02分39秒 | 日記

  教義  <9>

輪廻

仏教において輪廻は重要な教義であり、

輪廻を苦と捉え、輪廻から解脱することを目的とする


仏教では輪廻を主体となるべき「我」、

永遠不変の魂は想定しない


無我でなければ

輪廻転生は成り立たないというのが仏教の立場である

輪廻に主体(我 ・ アートマン)を想定した場合

それは結局、常住論か断滅論に陥る


なぜなら主体「我」が存在するなら

それは恒常か無常のどちらかである


恒常であるなら「我」が消滅することはありえず

永久に輪廻を続けることになり


無常であるなら

「我」がいずれ滅びてなくなるので

輪廻は成立しない


このため主体を否定する無我の立場によって

輪廻を合理的に説明が出来るという !!!

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仏教  【21】

2015年02月10日 00時02分31秒 | 日記

 教義  <8>

縁起

縁起とは、仏教の根幹をなす発想の一つである

「原因に縁って結果が起きる」という因果論を指す


ブッタは、此(煩悩)あれば彼(苦)があり

此(煩悩)がなければ彼(苦)がない


此(煩悩)が生ずれば彼(苦)が生じ

此(煩悩)が滅すれば彼(苦)が滅すると言う


煩悩と苦の認知的・心理的な因果関係としての

此縁性縁起を説いた


ブッタは縁起について私の悟った縁起の法は

甚深微妙にして一般の人々の知り難く

悟り難いものであると述べた


またこの縁起の法は

わが作るところに非、また余人の作るところに非


如来の世に出ずるも出てざるも法界常住なり

如来は、この法を自ら覚し、等正覚を成


緒の衆生のために分別し演説し関発顕示のみなりと

述べ縁起はこの世の自然の法則であり

自らそれを認知しただけであると言う

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仏教  【20】

2015年02月05日 00時05分24秒 | 日記

  教義  <7>

諸法無我

人間は、しらずしらずの間に

自分自身の現存在を通じて、


幼い時から成長して現在にいたるまで

肉体や精神の成長変化を認めながら


そこに 自分 と呼ぶ実体的「我」を想定し

成長変化してきた 自分 そのものをつかまえて

自分は自分 であると考える


しかし、諸法無我はそれこそが

我執であるとして退け


変化をその変化のままに

変化そのものこそ 自分 なのだと説くのである


この意味で、諸法無我は

自己としてそこにあるのではなく


つねに一切の力の中に 関係そのもの として

生かされていると教える !!!

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仏教  【19】

2015年02月01日 00時00分34秒 | 日記

 教義 <6>

諸行無常

諸行無常とは、この世の現実存在はすべて

すがたも本質も常に流動変化するものであり


一瞬といえども同じ物が存在することができない

諸行とは一切の造られたものは有為法をいう


生滅の法は苦であるとされているが

生滅するから苦なのではない


生滅する存在であるにもかかわらず

常住なものであると観るから苦が生じるのである


これが、仏教の基本的教えである !!!

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