人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

伊江島の祭&祀【4】

2019年04月25日 00時00分39秒 | 日記

  伊江島の最大の年中祭祀である

ウプウィミ(大折目)は、旧暦の七月下旬頃

日を選んで三日間に渡って行われる祭祀である

 

島で栽培する穀物の種蒔き、収穫の季節の

ウィミ(折目)で豊年祭や予祝行事を行う

シチビ(節日)、キジャミ(刻み)などとも言う

 

また祭祀期間中は仕事を休み

日頃食しない御馳走を神に供えその後

 

ウサンデーサビラ((供え物を下げ頂く)と言って

家族で御馳走を食べ、一日仕事を休み

アシビ(遊ぶ)をするので「アシビ」とも言う

 

ウプウィミ(大折目)

一日目、ニヤーグニ(庭踏み)の祭祀

ニヤーグニの場所を浄め、ノロ(神女)が白装束を着

頭にはホールンチャゴイ(葉の冠)をかぶり

 

手には弓を持ち、ノロが殿に向かって

ヤニヤーユクマサイ(来年も益々祝されるように)と唱え

豊穣を祈願する

 

二日目、の祭祀 メースィカンニヤ祭祀

メースィカンニヤで、ユートゥイ(魚釣)の儀式をする

 

三日目、はノロと掟神がフサト御嶽に揃い神遊びを行い

七つの神事を行いその後グシク御嶽で祈り

そして今帰仁に向かって祈る、ウプウィミは終了する

 

ウィミ(折目)祭祀をサラット紹介しましたが

この祭祀は、島にある御嶽や御願所に鎮座する神と

ニライ カナイの神を迎え

 

五穀豊穣や航海安全・豊漁・無病息災などを祈願し

島の世果報(ゆがふう)を願うのである

 

そして

ヤニヤーユクマサイ(来年も益々祝されるように)と祈り

招いたニライ カナイの神に感謝し

ニライ カナイ送る祭祀である

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伊江島の祭&祀【3】

2019年04月20日 00時00分48秒 | 日記

  伊江島には、以前には東江集落、西江集落、川平集落の

三ヶ所だった、明治八年頃に、五集落になり

昭和二十二年には八集落になっている

 

伊江島には、ウフ(大)ノロ、アガリノロ、佐辺ノロ

中ノロ、大水ノロと五人のノロ(神女)いた

 

ウフノロは伊江ノロとも呼ばれ、伊江按司の妻か娘が任命され

島全体の、ノロ・神人などを統括していた

 

各ノロには管轄する拝所があり

集落ごとの祭祀は年間を通して行っている

 

また、ウフノロと共に、世ぬ主(国王)や

公議、国のユガフウ(世果報)を祈願する

 

伊江島には御嶽や御願場が多数存在している

その中で最も聖地として信仰の対象となっているのは

 

タッチュと呼ばれるグシクヤマ(城山)にある

グシク御嶽である

 

そこにはヨシアゲムイにヨーセジ神と

伊江ムイにアマミヤアガナシ神が祀られて

 

航海安全と無病息災、豊漁

豊作を祈願する拝所と成っている

 

伊江島には麦穂祭、麦大祭、年沿、畦払い

ウプウィミ(大折目)などの年中祭祀がある

 

島最大の祭は、ウプウィミで

島民総出で行う祭祀である

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伊江島の祭&祀【2】

2019年04月15日 00時00分29秒 | 日記

  伊江島はほぼ平坦な石灰岩台地で

中央から東寄りに古生層チャートから成る

 

標高172mの伊江島唯一の山

イータッチューと呼ばれ、島のシンボルとなっている

 

島の人はグシク(城)またはグシクヤマとも呼んでいる

 

イータッチューは島が形成されるよりも

七千年前も古い、オスレープ現象と呼ばれているものによって

形成されたと言われている

 

これは古い岩盤が新しい岩盤に潜り込む中で

一部が剥がれて新しい岩盤の上に乗る現象によって

形創られたと考えられている

 

この現象は世界的に見ても

伊江島のタッチュだけだと言われている

 

独特な型をした、赤色のチャートの岩山タッチュは

昔から航行する船の目印となっていた

 

去った戦争で砲弾の跡が多数残っている

 

米国インデアナ州出身で世界的に知られている

コラムニスト、アーニパイルが(昭和20年4月20日)

米軍従軍記者として、沖縄戦取材中に

 

日本兵に狙撃され、同年4月18日に死去(44歳)した

伊江島に彼の記念碑が建てられている

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伊江島の祭&祀【1】

2019年04月10日 00時00分28秒 | 日記

  伊江島は沖縄県本部町の西に約9㎞に位置する

面積22.76k㎡、東西に細長い形状で8.4㎞

南北に3㎞の島

 

一島で沖縄県国頭郡伊江村と成っている

人口4590人所帯数2258(2119年2月末現在)

 

伊江村は東江上・東江前・西江上・西江前・川平と五つの

集落(字)があり

 

行政区は東江上・東江前・阿良(あら)・西江上・西江前

真謝(まじゃ)西埼・川平(かびら)と八つの集落に別れている

 

フェリーが発着する港がある、川平集落周辺が島の中心になっている

 

伊江島全体がほぼ平坦で、中央から東寄りに

イータッチューと呼ばれる、伊江島唯一の山がある

 

グシクマヤ(城山)と呼び島のシンボルとなっている

 

また、古くから信仰の対象となり

グシクヤマ御嶽(拝所)となって

信仰を集めている

 

ヨシアゲムイにヨーセジ神と

伊江セイムイにアマミヤガナシ神が祀られ

 

イベを置き、航海安全・無病息災・豊作・豊魚を

祈願する祭場となっている

伊江島には伝統祭祀が継承され守られ行われている

 

伊江島は去った大戦で日本軍の飛行場などの

軍事拠点が有ったため、激戦地となり

軍人と民間人合わせて約3500人が亡くなっている

 

戦争に関する施設や史跡などもある

現在島の約35%を占める米軍基地飛行場がある

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ヤガンウュミ

2019年04月05日 01時13分10秒 | 日記

  ヤガンウユミ(野厳折目)は

粟国島最大の伝統祭祀である

 

ニーヌハ(北の端)と呼ばれる所にヤガン御嶽がある

このヤガン御嶽で旧暦六月二十四日から二十六日の三日間

島最大の祭祀が執り行われる

 

ヤガン御嶽の近くの東北にヤマガマと呼ばれるところに

アラバ御嶽がある、このアラバ神を招いて行う祭祀である

 

このヤガン ウユミ祭祀の由来

昔、毎年旧暦の六月頃に成るとヤガンバルに

鎮座する神が、突風を起こしたり

畑仕事に来た人々の目玉をえぐったり

鼻を削たり、妊婦は流産するといった災いがおこった

 

困った島の人々は、今帰仁城の世ぬ主(城主)に

何とか荒ぶれる神を鎮めてほしいと願い出た

 

今帰仁世ぬ主は家来のピシチウフシュ(平敷大主)に

この荒ぶれた神を鎮めるように、粟国島に遣わした

 

ピシチウフシュは、バーイ(干魚)、粟、ミチ(神酒)などを準備させ

粟国のノロ(神女)達と一緒に荒ぶれる神をヤガンバルから

 

御願所のイビガナシーまでお連れし

用意したウサギ物(供え物)でもてなした

その後、この荒ぶれ神は島の人々に悪さをしなくなった

 

島の人々は感謝として、今帰仁祠を建立している

 

それから毎年旧暦の六月二十四日から二十六日は神を鎮めるため

ヤガン ウユミ祭祀を行い続けてきた

 

現在、島の繁栄と健康も祈願する

ヤガン ウユミ祭祀と成っている

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マースヤー

2019年04月01日 00時18分12秒 | 日記

  粟国島に、マースヤーと呼ばれる伝統行事がある

マースヤー(塩売り)は旧暦の大晦日から元旦にかけて行われている

 

粟国島には三つの集落がある

イリ(西)集落、アガリ(東)集落、浜集落と三つの集落がある

 

この三つの集落には、ハルクミ(原組)と言って

十一の集落に成っている

 

マースヤーは十一集落ごとに祭祀が執り行われている

 

旧暦の大晦日の夕刻から、元旦の未明にかけて

子供から大人まで参加して行われる

 

集落内の家々を練り歩き

マース(塩)売り役が口上を述べて

新しい年の無病息災と豊穣を祈願するのである

 

その後、三線(さんしん)や太鼓の演奏

そして何週間も前から練習して来た歌や踊り

伝統芸能を披露し

 

去りゆく年に感謝し新しいが

素晴らしい一年と成るように祈願し祝うのである

 

島の出身者はこの日に合わせて帰省してくる

島は一年で一番の賑わいである

 

マースヤー行事の由来は諸説あるが

お正月に大量の塩が必要となるため、売り歩く風習が

島の芸能と融合したとされている

 

百年以上継承され伝統行事として

現在も大切に守られ行われている 

マースヤー

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