察度は1350年三十歳の時中山王に即位する
その成り行きは英祖王統五代目西威王の死去に伴い
国の安寧を得んと、そでまで世子制で王位を継承されて来たが
臣下、諸侯は知徳ある察度を推挙し中山王に即位させた
当時中山王が支配していた地域は
現在の北は読谷から南は那覇、首里まで
その北側地域は北山王が
南側地域は南山王が支配していた
この三王は互いに勢力争いを展開していた
中山に1372年明王朝から入貢するよう迫って来た
察度はそれに応じ異母兄弟の泰期を派遣し
明国とは朝貢関係になった
1392年には官生(留学生)を派遣し
明国との関係を強化して行く
そして日本や高麗、東南アジア諸国と貿易を行い
琉球は貿易中継地として発展し
中山は経済、文化の中心地と成り大きな功績を残した
中山の勢力は、北山・南山より比べ優位になっていった
琉球の最古の歌謡集「おもろさうし」に
察度王の偉業が謡われ讃えられている